江戸時代の人は江戸幕府をなんて呼んでいたか? 学校で歴史を勉強すると、教科書に「老中、勘定奉行」などの役職の載った「江戸幕府のしくみ」なんて図が出ている。生徒さんも当然、江戸時代の人も江戸幕府を幕府なんて呼んでいたのかなと漠然と考えているかもしれません。しかし、これは大きな間違いですね。鎌倉時代では「幕府」は「吾妻鏡」(鎌倉時代に関する基本史料のひとつ)によれば、将軍の屋敷を「幕府」と呼んでいることが知られています。政治のしくみではなく建物そのものですね。 江戸時代、各藩(「藩」に関しては註参照)の侍が江戸幕府を何と呼んでいたかというと、それは「公儀(こうぎ)」です。江戸の庶民は「公方様(くぼうさま)※将軍のこと」で代用していました。町名主や偉い商人などが改まった席では「御公儀(ごこうぎ)」を使ったかも知れませんが。大体、江戸の町民にとって幕府の重役なんて全然無関係だから、むしろ町奉行所が