私はテレビの映像編集者ですが、何度か自ら企画を立て、取材に行ったことがあります。その中でも、学童疎開船「対馬丸」の取材に行ったことは印象に残るものでした。 太平洋戦争末期の1944年、沖縄ではいずれ訪れる米軍との戦いから幼い命を守ろうと、子供たちを本土に疎開させることにしました(日本軍側にとっては、子供たちは戦闘の足手まといになるとの判断でした)。そのとき使われた船のひとつが貨物船だった対馬丸でした。 800人以上の学童を含む教師、付添人ら1661人を乗せて、疎開先の長崎へ向けて出港。しかし、目的地を間近にした深夜、アメリカの潜水艦「ボーフィン号」に捕捉されてしまいます。この潜水艦の魚雷攻撃によって、対馬丸は一瞬にして沈没。大勢の幼い命が暗黒の海の底に沈んでいったのです。 この対馬丸の護衛にあたっていた2隻の護衛艦は、子供たちをひとりも救助することなく、一目散に逃げ去りました。海中から浮か