体調不良の妻から「お釜がえらいことになっている」 帰宅して炊飯器開けたら...2歳息子の頑張り見える衝撃光景にほっこり
ココロ社です。 今回は、元号が昭和から平成に変わったころの話。 あのとき、『一杯のかけそば』という童話が空前のブームになっていた。 話のあらすじはこうだ。 ある年の大晦日、子供二人連れの母親がそば屋を訪れ、お金がないがどうしても食べたいと、一杯だけかけそばを注文し、三人で分けあって食べた。 その年からしばらく、大晦日には三人で来て、一杯のかけそばを注文して食べていたが、ある年からぱったりと来なくなった。そば屋は、三人がまたいつか来てくれると思って何年も待っていた。 来なくなってから10年以上経ったある年の大晦日に、あのときの三人がやってきた。子どもたちは立派に成長していた。聞くと、それぞれ銀行員と医者になり、この蕎麦屋でかけそばを食べるためにわざわざ集まったという。三人は三杯のかけそばを頼んでおいしく食べたのだった。 若い人には信じられないかもしれないが、平成になりたてのころには、この作り
あの戦争とは何だったのか。 あれが「防衛のための戦争」であったという見方は根強くある。しかし他方で、あれが「侵略戦争だった」と言われれば、そう思われる歴史的な筋もないことはない。 そのように世の中を二分するような全く異なる見解があるとき、正邪を軽々しく論ずるわけにはいかない。いずれの立場にも考えがあり、部分的に見ればそれぞれの主張には論拠があるからだ。あの戦争の背景にはかなり複雑な要因があった。それは、70年の時を経た今なおそう思う。 一口に言えば、日本人はそもそも浮き上がっていた。それは誰も否定できないはずだ。 私もその中の一人である。1941年の末に太平洋戦争が始まり、まだ20歳にも満たなかった感受性の強い時分の私は、いわゆる「興亜青年」のはしくれだった。「日本は神国である」という極めて単純な考え方──あまりに神がかり的で、独善的な思想がその背景にあった。 そもそも日本の近代とは、欧米
2015年もあと数時間で終わろうとしている。みんなやっていることなのだけど、軽い振り返りなどをしてみようと思う。 2015年は、個人的にはあまり振るわない1年だった。やりたいことはあれもこれもと膨らんだのだけど、その分ひとつの活動に十分に集中することができず、結局は全体的に何もできなかったような一年だった。ご存知のようにブログの更新も停滞したが、ではその分何か別の活動が捗ったかと言われるとそういうこともない。 2015年を一言であらわすなら「トレードオフをうまく飼いならせなかった一年」ということになるかもしれない。Aという活動に時間を割けば、その分だけBという活動に割く時間がなくなる。こんなことは小学生でも理解できる単純なことだと思うのだけど、いざ何かをしようとすると「AもBも」やろうとしてしまう。実際にはAもBもどころではなく、AもBもCもDもEもFもぐらいあれこれとやりたいことを分散さ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く