新R25は、いま注目のビジネスパーソンが集結する「ビジネスバラエティメディア」です。「シゴトも人生も、もっと楽しもう」をコンセプトに、R25世代のみなさんが一歩踏み出すあと押しをするコンテンツをお届けします。
送別会のシーズンになり、会食の機会も増えたのではないでしょうか? そんな中ですが、一つここでハッキリさせておきたい問題があります。 こちらの楽しそうな会食・・・。 しかし、ここに一つの病魔が巣食っていることにお気付きでしょうか? そう、これ、「みんなでご飯を食べてるときに皿に残る一口分の料理」です。 関西では「遠慮の塊」などと呼ぶそうですが、正直に言ってこれ気持ち悪くないですか? なんで残るの?誰のために?食べていいの?だめなの? 触らぬ神に祟りなしとばかりに放置され、お開きになるまで残る例も珍しくないのではないでしょうか。 さて、前置きは省いてさっそく本題ですが、これは食べたほうがいいのでしょうか? それとも食べたら「こいつ空気読めないな」と陰口を叩かれるのでしょうか? 筆者の数少ない働いている知人5人に聞いてみたところ、以下のような答えが帰ってきました。 Q.皿に残ってる一口分の料理を
こないだ友人たちとお酒を飲んでいたとき、宗教っていいよね、という話になった。 そもそもは雅楽の話をしていたのだけど、そこから雅楽と天理教の結びつきが強いという話になって(天理教の家の子はそのへんの中学生がギターやピアノを始めるような感じで雅楽を始めたりするそうだ)、そこから天理教の話になっていった。 天理教はそんなに派手に外向きの活動はしてないけれど、信者は多く日本の各地で着実に活動しているらしい。仲間同士の結び付きも強く、何かあったときは信者のネットワークをたどって協力し合う。 「自分がもし身寄りの無い年寄りで、家族も友達もいなくて寂しく一人暮らししていたとしたら、誰かが定期的に訪ねてきてくれたらそれだけでものすごくうれしくない?」 それはすごくいいなと思ったし、そういう役割を果たしているのは、宗教か家族くらいしか現実的には存在しないのかもしれない。 同じ宗教の信者なら仲間が家を訪ねてき
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く