人気アーティスト槇原敬之さんVS漫画界の大御所松本零士さんの「盗作」騒動は泥仕合の様相だ。一時、収束に向かうとの報道があったものの、「逆ギレ?」とも取れる文章を槇原さんは自身のホームページに2006年11月7日に掲載した。「正々堂々と裁判で決着していただきたい。さもなければ、公式な謝罪を頂きたい」。 松本さんの代表漫画「銀河鉄道999」の中で書いた文章が、槇原さんが人気デュオ「CHEMISTRY」に提供した「約束の場所」(06年10月4日発売)の詩の一部分とそっくりだと、松本さんが槇原さんに抗議をした。こう06年10月19日発売の「女性セブン」が報じたことから騒動が始まった。 「盗作者であるとの汚名を着せられた」 問題の部分はこうだ。 『時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない』(松本さんの文) 『夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない』(槇原さんの詩) この歌はオリコ
植木等さんが亡くなって、各局で追悼番組が放送されている。 古き良き時代の日本人に元気を与えた大タレント。テレビというメディアでいえば、いまや伝説化したバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」がなつかしい。クレージーキャッツのメンバーとして出演し、「お呼びでない・・・これまた失礼しました」というギャグで一世を風靡したんだよな。 そのクレージーキャッツも7人中4人が鬼籍に入ってしまった。時代の流れを感じずにはいられない。 たぶんクレージーキャッツという存在は、テレビ界で最初に現れたオールラウンド型のスーパースターだった。歌だけでなく、バラエティからドラマまででなんでもできるマルチプレーヤー。そのさきがけだったのだ。 そういう「オールラウンドのスーパースター」の雰囲気は、クレージーからザ・ドリフターズに受け継がれ、いまはSMAPに引き継がれているんだと、オレは思う。ドリフはバンドからスタートして、「
葉書の整理をしていた。その中に、結婚を知らせる一枚の葉書を見つけた。私は恐々と、その葉書を手にした。そこには平凡な一組の夫婦の写真があった。私は、ずっと、相当永い間、この葉書を正視することが出来なかったのだ。その葉書が来た時に、その二人が結婚することはわかっていたけれども、自分でも思いがけないほどの衝撃を受け目の前が真っ暗になった。 何故衝撃を受けたのか。それは、その夫婦の男の方が好きで、女に嫉妬して、、、、と、いう単純な話とは、ちょっと違う。私は、その女が嫌いだった。憎んでいたと言ってもいい。大嫌いだった。憎んでいることに気付かず、しばらくの間「友達」のフリをしていた時期もあった。 その女は「いい人」で、皆に好かれているように私の目には見えた。いろんなことが、人より「ちょっと駄目」な所も、「ちょっと駄目だけど一生懸命な頑張り屋さん」な所も、「無邪気で純粋」な所も、完璧じゃないからこそ好感
1 名前: ◆rotiEKAY.k @ろちかφ ★ 投稿日:2007/04/01(日) 22:14:18 ID:???0 高校1年生のときから10年間もひきこもっていた男性は、まるで“仙人”のようだった。 伸ばし放題で腰まで届いた髪に、精気をなくした能面のような表情。払いのけてくれることを期待して男性のつめにマニキュアを塗ってみたりしたが、反応はまったくなかった。 「心と体が“仮死状態”。なにが彼をここまで追い込んだのか、見ているだけで悲しかった」 1年後。同じ法人のスタッフが自分の人生を語ると、男性も涙を見せながら引きこもる前の人生を語り始めた。初めての「心の交流」。報告に涙が止まらなかった。 「生身の体験を何年も失っている仮死状態の人が、人間の自然治癒力で表情や感情をちょっとずつ取り戻していく。それはすごく感動的。お金に焦点を当てたら絶対にできない、心の底からうれしくて涙が出
何気に反応をいただいてしまったので続きというか補足を。 先に私の立場だけ明確にしておくと、声優っていうのは本来リトルメジャーであれば十分じゃないかと思っています。決してビッグメジャーを目指す必要はないんじゃないかなと。故に他の芸能人と同様の扱いを受けるような必要ないと思います。というかこの十数年でリトルマイナーからリトルメジャーにステップアップしたということだけでも偉大な革新だったんじゃないかな。10年くらい前が第三次声優ブームとか言われたけど、この5年くらいはある意味「高位安定」にあるっていうのは凄いことだと思います。 ところがファンサイト的なものだったり、あと2ちゃんねるなんかの一部の書き込みを見てみると、「俺が好きな○○がもっとメジャーにならないのはおかしい!」みたいな言い回しを見かけることがあって、ひとつの意見として正しいんだろうなと思いつつ違和感を感じます。対象は声優もそうだし、
「やおい」をごく大雑把に、「ホモソーシャリティのホモセクシャルへの読み替え」と定義してみる。 ホモソーシャリティはホモセクシャリティを排除することで成り立つから、やおいはホモソーシャルな集団にとって、排除した当のものを突きつけてくる存在、ということになる。やおいに必ずしもその意図があるとは言えないにしろ、やおいには、ホモソーシャル集団の排除したホモセクシャリティを顕在化させる(しかも、多くの場合は戯画化して…)一面も、確かに備わっている。やおいは、ホモソーシャル集団に属する男たちが触れずにいるものを、含み笑いと羨望のまなざしとともに指してみせる。 「メロディ」4月号のよしながふみ&羽海野チカ対談がおもしろい。見た目仲良くないんだけど、お互いの力を認め合ってて、それでその人が本当に困った時には手を貸してやる関係みたいなものを、やおいだと私らは呼んでいて、 と、よしながふみが言っているのを読ん
最近の秋葉原はPCパーツショップの閉店が相次ぎ、DVDショップやアニメショップの台頭が著しい。行政が「世界のIT拠点」を目標に2008年までの駅前再開発を進めている中にあって、街の顔がPCからアニメやメイド喫茶といった新世代の産業へ移り変わろうとしている印象を受ける。その一方で、Windows Vista特需が発生するなど、自作PC市場は再び盛り上がりも見せている。 複雑に変化するこの街は、今後どのような姿になっていくのだろうか。この連載では、研究者やメイドさん、ショップの経営者、街のご意見番など、さまざまな立場の識者に話を聞いて“アキバの明日”を探っていく。 第1回は、事象の変化を複数の要因をもとに総合してシミュレーションしていく「社会シミュレーション」の研究者、東工大の小山友介助手に話を聞いた。小山氏自身、自作PCやアニメなどのサブカルチャーに通じており、秋葉原文化の特性を見抜いたうえ
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