タグ

ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (69)

  • 生まれて初めて出会った「おたく」――80年代地域社会の記憶 - シロクマの屑籠

    私が生まれて初めてオタクに出会ったのは、小学生の頃だった。 育ったのは、人口数万人規模の地方都市の、市街地から大きく離れた集落である。隣近所の付き合いが盛んで、長い伝統を誇る神社を奉じ、どこにも知らない人間などいないような、濃厚な地域社会。それが私の故郷だった。 そういう生活空間というのは、大人達にとって“しがらみの多い場所”だったのかもしれない。しかし小学生の私には関係の無いことで、地域の大人達の見守りのもと、子ども仲間*1と群れながら、まずまず人間関係に恵まれた学童期を過ごせていたと思う。 「俺の兄貴は、祭りにも町の行事にも参加しないよ」 そんな話をクラスメートのA君から聞いたのは、小学校6年生ぐらいの頃だったと思う。 いわく、「うちの兄貴は地域行事にも祭りにも参加していないから、シロクマ君(注:筆者)は知らないんじゃないか。兄貴はゲームに詳しいから、今度うちに遊びに来てみなよ」。 確

    生まれて初めて出会った「おたく」――80年代地域社会の記憶 - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2010/10/27
    シリーズ化希望!
  • 普通の人が尊敬できないように育てられた人達

    「普通の人が尊敬できないように育てられた人達」。 特別な職業やメディアに登場するスターのようなキャラクターしか尊敬の対象にできないような・普通の職業の人やクラスメートには軽蔑に近い印象をデフォルトで抱いているような、そういう境地の人達が、まだまだ世の中には存在する。 【メディアスターや凄い人しか尊敬できないような育て方をすると…】 「三つ子の魂百まで」と日の諺にあるけれども、これは「誰をどう尊敬するか」の分野でもかなり当てはまる。小さい頃、どんな相手をどんな具合に尊敬するように育てられたのかは、性分としてこびりつきやすく、後々まで尾を引きやすい。 例えば、小さい頃から花形職業・メディアスター・伝記になるような偉人ばかり尊敬するように教え込まれ、近所の人や普通の職業の人なら見下しても構わないという家族の目線のなかで育ってしまった人は、その価値観を内面化させてしまいやすい。「尊敬対象かくある

    普通の人が尊敬できないように育てられた人達
    eal
    eal 2010/08/22
    ぼくには「特別な職業やメディアに登場するスターのようなキャラクターしか尊敬の対象にできない」傾向があるけど、それは、そう育てられたからそうなったのか?
  • 褒められ慣れていない人の悲劇

    よく“褒めるのは難しい”といいますが、実は“褒められるのもけっこう難しい”っていう話。 上司に評価された時。 誰かに好きだと言われた時。 ありがとうと言って貰えた時。 「べっ別に、あ、あんたなんかに評価されたくて、やったんじゃないんだからね!」 と自己弁解したくなってしまう人や、黙って俯いて赤くなっている人って、巷にも案外いるんですよ。なんというか、褒められたら情緒的にパニクってしまったり、いたたまれなくなってしまう人。 これがアニメに出てくるキャラクターなら、かわいいツンデレですねで済む話ですが、現実の人間の場合、褒められるたびにパニクっているようでは大きなハンディになってしまいます。褒められてもモチベーションが確保できないどころか、やがて、褒められるのを避けるべく屈折したパーソナリティを身につけてしまうかもしれません。 「褒められたら、褒められた分だけモチベーションが得られる」ってやつ

    褒められ慣れていない人の悲劇
    eal
    eal 2010/08/05
    思い当たる話だな
  • 欲しがるオタクから欲しがられたいオタクへ----オタクの欲望トレンド今昔 - シロクマの屑籠

    かつて、「オタクの欲望」というと、好きな対象をまなざしたいとか、好きな対象を手に入れたいとか、そういうのが中心だったと思うし、事実、オタクは色んなものを愛玩したり収集したりして欲望を充たしていた。 しかし、最近はそれだけでなく、愛玩されたいとか、欲しがられたいとか、そういう欲望も強まってきているような気がする。 欲しがるオタクから、欲しがられたいオタクへ。 または、 かわいがりたいオタクから、かわいがられたいオタクへ まなざしたいオタクからまなざされたいオタクへ という風な。 「欲しくなる美少女」から「自己投影したくなる美少女」へ オタク界隈の美少女キャラクター達をみていると、特にそれが感じられる。 十年ぐらい前を思い出してみよう。 幼なじみ、病弱、メイドロボ、幼女 etc……。かつて人気を博していたのは、どちらかといえば受身で、保護欲や所有欲をストレートにくすぐりそうなキャラクターが多か

    欲しがるオタクから欲しがられたいオタクへ----オタクの欲望トレンド今昔 - シロクマの屑籠
  • オタクじゃない奴が入ってきた vs オタクが増えた - シロクマの屑籠

    先日、秋葉原の某同人ショップで買い物をしている時、レジに並んでいる前の人達がこんな会話をしていた。 「ここの客層、変わったよね」 「なんか、オタクじゃない人も同人誌を買うようになって、だいぶ雰囲気が変わった。」 「場違いっていうか」 ああ、こういう感覚の人ってまだまだいるなぁ、と改めて思った。 「オタクじゃない人も同人誌を買うようになった」と認識しているということは、この人達にとって、「同人誌を買うやつ=オタク」ではなく、たぶんオタク認定するための基準は他のところにあるのだろう。 一方で、最近では以下のような意見をよく見かけるようになった。 いわゆるライトオタク増加論、だ。 今や、オタクとは程遠かったガチでオサレな人達がオタク(?)になっているっぽい。オサレな人達や無遠だった人達がニコ動によってオタク文化と接触して、ハマっていっているのかな。僕の実感としては、格的にオタクがライト化という

    オタクじゃない奴が入ってきた vs オタクが増えた - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2010/03/07
    「新しい流れは、いつも外からやってくる」「次世代のスタンダードになりそうにないからといって、「オタクじゃない奴が入ってきた」とみるような価値観をすべて斬って捨てるのもどうか、と思う」
  • 自己愛充足のためのネットツール比較――twitterを中心に - シロクマの屑籠

    ちょっと昔、「日のインターネットは残念」と言った人もいましたが、日のネットユーザーの過半数が、その場その場で自己愛を充たすためのツールとしてネットを活用しているというのは事実でしょう。ブログやMixiやtwitterなども、知的討論のためのツールではなく、他人から褒めて貰いたい・飢えた自意識を充たしたい・たくさんの人から注目されたい…そういった願望充足のためのツールとして普及してきた面が大きいようにみえます。 では、自己愛を充たすためのツールとしてのブログやtwitterの使い勝手はどうなのか?反応や注目を得るための難易度が高いのはどのツールなのか?長所や短所はどんな具合なのか?このエントリでは、自己愛の充たしやすさという視点から、既存のインターネットツール幾つかを比べてみようと思います。 比較表――twitterからウェブサイトまで いきなりですが、まとめたのが以下の表です。ネットツ

    自己愛充足のためのネットツール比較――twitterを中心に - シロクマの屑籠
  • コミュニケーション技能は『国語』よりも『体育』に近い。 - シロクマの屑籠

    屋の平積みコーナーに行くと、たいていの場合、ビジネス指南書やライフハック的な書物に混じって“コミュニケーション指南書”の類が積んであったりする。手にとってページをめくってみると、あれこれの知識やテクニックが網羅されていて、頑張って書いてあるなぁと嘆息せずにはいられない。 けれでも、これらの“コミュニケーション指南書”を 勉強 しちゃってる人って結構いるんじゃないのかと思うと、無残なことだなぁ、とも思う。 もし、知識をインストールさえすればコミュニケーションの技能が習得できるっていうなら、教科書でも読めば誰もがコミュニケーションに困らなくなるだろうし、“お勉強熱心な人達”はいまごろコミュニケーションがメキメキ上達して、猛威を振るっていることだろう。でも、現実にはそうなっていないし、実際、“コミュニケーション指南書”をたくさん読んだからといってコミュニケーションの達人になれるわけでもない。そ

    コミュニケーション技能は『国語』よりも『体育』に近い。 - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2010/02/09
    そっか、ぼくは体育が苦手だからコミュニケーションできないんだ?
  • オタクヤンキー問題 (オタクDQN問題) - シロクマの屑籠

    「気弱なオタクをヤンキーがカツアゲする。」 「秋葉原のオタク狩り。」 長年オタクをやっている人なら、こういうフレーズを耳にしたことはあるんじゃないかと思う。少なくとも私は、かなりいろんな所で耳にした。そしてこれは都市伝説のたぐいではなく、実際に知人が被害に遭って金品を奪われたという話にさえ出くわしたこともある。 良くも悪くも、かつてのオタクには恐喝や暴力沙汰にはあまり強くない、どちらかといえばヤンキーのカツアゲ対象になりやすそうなイメージが強かったと記憶している。犯罪者予備軍のような偏見の目でみられていた90年代も、実物のオタクは、よく言えば折り目正しい、悪く言えばチキンハートな、暴力や恐喝とは縁のない人達でほとんどが占められていた。少なくとも、暴力や恐喝で問題解決したがるような人に遭遇することは、かなり稀だった。 だから、【ヤンキー(DQN)とオタク】というと、オタクが抑圧される側でヤン

    オタクヤンキー問題 (オタクDQN問題) - シロクマの屑籠
  • なぜ「惚れたい」でなく「モテたい」なのか - シロクマの屑籠

    いつの時代にも恋愛相談は尽きませんが、最近よくみかけるのは「モテるにはどうすれば良いのか」「モテない自分をどうすれば良いのか」というタイプです。それどころか、「どうせモテないなら、どうすれば平穏に過ごせるのか」なんていう恋愛相談すら、最近では見かけるようになりました。 けれども、これって不思議だと思いませんか?ちょっと昔だったら、 ・「○○さんが好きだけど、どうアプローチしていいのか分からない」 ・「○○さんを好きになってしまった。どうすればいいのか。」 こういう恋愛相談がもっと多かったと思うんですよ。それか、『電車男』の「めし どこか たのむ」みたいに、デートのhow toみたいな相談も多かったかもしれません。いずれにしても、既に意中の女性なり男性なりがいて、その人と恋仲を深めるための相談が多かったと記憶しています。 ところが、惚れた後の相談なんて今日日は流行らないみたいで、「モテたい」

    なぜ「惚れたい」でなく「モテたい」なのか - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2010/01/26
    「いいひとなんだけど男としては見れない」とか。
  • 「他人を尊敬する力」を測るバロメータ - シロクマの屑籠

    誰かを尊敬する力、他人に敬意を抱く力 - シロクマの屑籠 ひとことで「他人を尊敬する力」と言っても、そのありさまは十人十色で、少ない人物を熱烈に崇拝する人もいれば、幅広い人物にまんべんなく敬意を抱いている人もいる。このため、一見すると「他人を尊敬する力」に違いはあっても優劣や強弱は無いようにみえるかもしれない。 けれども「他人を尊敬する力」には、割とはっきりとした強弱があると思う。少なくとも、社会適応への有利不利というのは間違いなくある。例えば、カリスマ的人物を熱烈に信奉している人などは、一見「他人を尊敬する力」が強いようにみえて、実際には「他人を尊敬する力」がかなり弱いと思うし、気付かないうちにいろいろ損をしている可能性も高い。 「他人を尊敬する力」が乏しい人ほど、尊敬対象が狭くなりやすい 私が「他人を尊敬する力」の強弱を見分ける際に真っ先にチェックするのは、「高い理想を引き受けてくれる

    「他人を尊敬する力」を測るバロメータ - シロクマの屑籠
  • あなたのコミュニケーション、言葉に頼りすぎていませんか? - シロクマの屑籠

    http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/ NHKテレビドラマ『坂の上の雲』。原作が司馬遼太郎のこのドラマは、見事なところがそこらじゅうにあるけれど、阿部寛、木雅弘、菅野美穂、松たか子 といった俳優の演技も見所のひとつだ。正直、毎週楽しみで仕方がない。 名優達の演技はどれも、表情豊かで常に言外のメッセージに満ちている。例えば12/13の放送では、日清戦争に出兵する秋山好古とそのの別離のシーンが印象的だった。秋山好古は阿部寛が、そのは松たか子が演じているのだが、その言外のやりとりが見事というほかない。僅かにの側に台詞があるものの、秋山好古は馬上から僅かにゆっくりと微笑みを返すだけである。けれども、コミュニケーションは完膚無きまでに成立している。 あのやりとりに限らず、『坂の上の雲』には、言語だけでは到底描写しつくせないような精妙なコミュニケーションが随所にちりば

    あなたのコミュニケーション、言葉に頼りすぎていませんか? - シロクマの屑籠
  • まるで「洋楽の威を借りる狐」じゃないですか - シロクマの屑籠

    2009-08-29 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」 リンク先の記事には色々と突っ込みどころがあるが、少なくとも、趣味を愛する人の視点としてはちょっと弱いようにみえる。 一昔前まで、洋楽のアーティストというのは無条件に優れた存在で、それを聴いているだけで他者との差異化ツールとして機能していた。 洋楽って、そんな風に聴くモノなんですか? これは、優越感ゲーム・差異化ゲームのなかでも特に怠惰な方法であり、休み時間、クラスメートが見向きもしないような難解な哲学書をこれみよがしに眺めてみせて優越感にひたる手法と質的には変わらない。文章を書いたid:republic1963さんは、音楽への造詣を深めることの重要性や聞く耳の涵養などについて(エントリ内で)まったく言及していないようだが、「聴くだけで」クラスメートに差を付けたいというのは、およそ趣味を愛している人間

    まるで「洋楽の威を借りる狐」じゃないですか - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2009/09/27
    (後で適切なタグを考えること)
  • 「君がどんなものに言及しているかを言って見給え、君がどんな人間であるか言ってみせよう」 - シロクマの屑籠

    君がどんなものをべているかを言って見給え、 君がどんなであるか言ってみせよう。 ブリア サヴァラン[味覚の生理学] この格言のありがたいところは「べている」のところを「選んでいる」や「言及している」に改変しても意味が通じるところだ。人は、志向する対象が何であるかによって、自分自身の内側に抱え持っている執着や性癖を語る。さらに、志向する対象に触れ親しみ影響を受けることによって、執着や性癖をますます加速していく。だからこそ、プライベートな棚を親しくない人にみせるのは躊躇われるわけだ。 ところで、大抵のネットユーザーやはてなブックマーカーもまた、言及の対象を自分の好みや執着にあわせて選んでいる。ブログであれ、はてなブックマークであれ、大手小町であれ、ネットユーザーは、自分の言及したいと思った事物に偏りまくったかたちで言及を繰り返しているのが常だ。言及の内容は、賞賛かもしれないし、批判かもし

    「君がどんなものに言及しているかを言って見給え、君がどんな人間であるか言ってみせよう」 - シロクマの屑籠
  • 『ラブプラス』って“肉食系男子”“リア充”向けじゃね? - シロクマの屑籠

    「萌え属性」の次の時代を予感させる『ラブプラス』 - シロクマの屑籠 ところで、この『ラブプラス』というゲーム、ギャルゲーとしては“草系男子”“非モテ”向きではなく、どちらかといえば“肉系男子”“リア充”向きだと感じる。 なぜなら、主人公の言動も、ヒロインの態度も、脇役の台詞も、ゲームシステムまで含めたすべてが「男性側が積極的に努力や試行錯誤を積み重ねて、女の子を喜ばせることで自分も楽しむ」という価値観に貫かれているからだ。 具体的には、 「女の子に好かれるために毎日努力しましょう」 「女の子に好かれるようコミュニケーションをしましょう」 「恋人になってからも甲斐性を発揮して女の子を悦ばせましょう」 こういうノリが作品の隅々*1にまで浸透していて、「女の子のために男ががんばるのは当然。がんばって女の子を悦ばせて、それでもって自分もハッピーな気持ちになろう!!」という価値観が曇りなく提示

    『ラブプラス』って“肉食系男子”“リア充”向けじゃね? - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2009/09/13
    「「積極的に努力と試行錯誤を積み重ねて、女の子を喜ばせて自分も楽しくなるような」“肉食系男子”“リア充”向けのギャルゲーが、もっと沢山あったっていいと」ぼくがゲームやらないのは、めんどくさいから。
  • 「あの綾波レイは、長門有希っぽくないからダメ」(ネタバレ含む) - シロクマの屑籠

    ※この文章は、ヱヴァ劇場版ネタバレを含みます。『ヱヴァンゲリオン破』をご覧になっていない人は、読まないほうが良いと思います。 TV版エヴァンゲリオンから14年経った後の、映画版ヱヴァ。14年経った状況だからこそ、以下のような台詞は十分にあり得る。 「あの綾波レイ、長門有希っぽくなかった。」 「タバサのほうがよくね?なんか生々しくてキャラが立ってない。」 「感情が豊かすぎる!」 綾波レイは、青髪無口系とでもいうべきキャラクターの系譜のなかでは始祖に近い存在だが、90年代のエヴァブームが去った後、幸か不幸か優れたキャラ造形の“子孫”に恵まれまくり、次第に存在感が少なくなっていった。昨今、青髪無口系といえば、まず第一に長門有希やタバサあたりを連想する人も多いのではないだろうか。実際問題、こういった“子孫”達のほうがキャラクター造形そのものは徹底していて、“萌えやすい”。 対して、劇場版ヱヴァに出

    「あの綾波レイは、長門有希っぽくないからダメ」(ネタバレ含む) - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2009/07/14
    『今回の綾波レイの生臭さよりも長門のキャラっぷり感を指向するというオタな人の選択は、もちろんアリだとは思う』
  • 俺は、真希波マリの涙目がみたくてしようがないんだ(ネタバレ含む) - シロクマの屑籠

    ※この文章は、ヱヴァ新劇場版ネタバレを含みます。『ヱヴァンゲリオン破』をご覧になっていない人は、読まないほうが良いと思います。 真希波 マリ イラストリアス。 新劇場版ヱヴァで登場してきた眼鏡娘である。 リメイクされたとはいえ、1990年代のテイストを漂わせた登場人物ばかりのエヴァのなかで、この娘だけは完全に21世紀的な容貌を与えられ、スクリーンのなかで異彩を放っている。 細い眼鏡、丈の短いチェックのスカート。「自分は大人を利用している」と言ってみたり、自分自身のリスクや危険を顧みずに戦闘や状況を楽しんでいるさまは、2000年代のスマートなキャラクター造形としていかにもありそうなものだと思う。もちろん彼女は、“正義”や“平和”に衝き動かされて血をたぎらせるような、“古き良き時代の熱血系”ではない。昭和歌謡を口ずさむ姿も、昭和時代そのもののテイストというよりは、“昭和歌謡を歌う平成っ子”を連

    俺は、真希波マリの涙目がみたくてしようがないんだ(ネタバレ含む) - シロクマの屑籠
  • “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” インターネット上でみかけた、なんとも痛烈なフレーズである。 20代〜30代の男性で、このフレーズを他人事と笑って済ませられる人がどれぐらいいるだろうか。 “ママにとって理想の良い子”として生活せざるを得なかった男性諸氏。 “ママの言うとおり勉強し、塾に通って大学に入った”男性諸氏。 “いつもママの顔色を窺いながら幼年時代を過ごしてきた”男性諸氏。 俗に、“三つ子の魂、百まで”というけれど、上に挙げたような処世術に終始してきたような人は、近年の世代には決して少なくない。共感よりもエゴで包み込むような母親・安定した情緒ではなく予測困難な不安定さを提供する母親のもと、“ママのお人形”にならざるを得なかった・ならずには生き延びられなかった人は、“ママのお人形”だった頃の痕跡を、人格や処世術に色濃く残しているのが常である。 こういった“ママのお人形”問題は今に始

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2009/06/20
    だいたい当たってるので不愉快だ
  • 現実の女性に「おにゃのこ」と言った際のリスク - シロクマの屑籠

    某所で「おにゃのこ」という単語についての論議を見かけた。 オタク系由来の単語だが、最近ではネットスラングとしてある程度は使われているようにみえる。 元来、「おにゃのこ」という単語は(二次元)美少女キャラクターを愛でる際に用いられる、僅かに照れ隠しを含んだ単語だった*1と記憶している。だがこの「おにゃのこ」という単語は、ときどき現実の女性に使われることもあるようだ。僕がみてまわった範囲でも、オタク男性が女性に対して「おにゃのこ」という単語を用いている状況を、オフ会などで少なくとも数回程度はみたことがある。 この「おにゃのこ」という単語、(二次元)美少女キャラクターに対して使われる限りではそれほど問題は無いようなんだけど、現実の女性に対して使われると、女性の側としてはあまり良い気分がしないようである。ためしに、うちの嫁様に聴いてみた*2。 俺「女性に対して男性が“おにゃのこ”って言葉を使ってい

    現実の女性に「おにゃのこ」と言った際のリスク - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2009/04/22
    『嫁「人形をかわいがっているような、モノ扱いしているような、そんな感じがする。」』
  • 低血糖を呈している人の経験談を、そのまま鵜呑みにしていいの? - シロクマの屑籠

    20年来のつらさがほぼ消えたことについて 今の日人は、過去にはあり得なかったほど多量の炭水化物に囲まれて生活している。それが糖代謝に大きな負荷をかけているという理解は、おそらく正しいのだろう。だから殆どの現代人にとって、短期間に大量の炭水化物を摂取しすぎないように事を工夫するのは悪いことではないとも思う。 否定的なタイトルをつけたけど、実は私自身の生活も、リンク先で書かれている事の内容にかなり近い*1。まあ、マクロビオティクスとかいう言葉とは縁が無く、炭水化物の摂取源としてパスタを重視している点が違うけれど。 しかし、リンク先の記事をライフハックとして鵜呑みにする前に、ちょっと立ち止まって考えて貰いたい部分があるので、三つほど突っ込みを入れてみようと思う。 1.かなりの低血糖を呈する人の体験談だという点 身体のホメオスタシスを保つうえで血糖値はきわめて重要なファクターなので、正常な

    低血糖を呈している人の経験談を、そのまま鵜呑みにしていいの? - シロクマの屑籠
  • 若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化 - シロクマの屑籠

    誕生でも発見でもなく、越境が始まったんだと思う - 未来私考 「脱オタ」が無意味になる時代は来るか? - Something Orange 「ライトオタク」が、話題になっているらしい。 “筋金入りのオタク”ではない人達も『東方』や『アニソン』などを楽しむようになり、オタク文化がクラブミュージックやファッションのような他文化と交流するようになってきている、という現状認識は、じつにその通りと思う。秋葉原やコミケなどの敷居が低くなっているのに加え、ニコニコ動画のような、気軽につながりやすい場が整備されたことによって、こうした動きが加速された、というのもなるほどと思う。そして「ライトオタク」に該当する人達が、“筋金入りのオタク”とは違った振る舞いをみせるだろう、というのも予想できる。 では、これから「ライトオタク」がもっと流入してきたらどうなるのか? オタク文化圏の外側では、おそらく、クラブミュー

    若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化 - シロクマの屑籠
    eal
    eal 2009/02/15
    これを読む限りだとライトオタクっていうのはWeb2.0環境に適したトライブって感じ。作品に流行はあるだろうし、もはや中年(俺含む)は昔の作品を見て懐かしむしかない。