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現代史に関するecuaのブックマーク (27)

  • 三菱広島・元徴用工被爆者裁判の現時点での法理論上の争点について

    「強制連行先で被爆した責任は三菱重工や日政府にある」として未払い賃金や損害賠償を求めた「三菱広島元徴用工裁判」は提訴から九年近くが過ぎた。今年、中国人強制連行事件は、新潟勝訴、福岡敗訴、広島勝訴と司法判断が揺れている。しかし「国家無答責」「民法上の時効」「企業の保護義務違反」等耳慣れない用語が多く理解が難しい。そこで西松建設強制連行事件(広島高裁)で7月9日に勝訴を勝ち取られたばかりの足立修一弁護士に、わかりやすく争点を整理して頂いた。 一  裁判での請求の骨子 この裁判では、現在、日国、三菱重工、菱重を相手方として、①強制連行・強制労働、被爆後に放置したこと、国が違法な供託を受け付けたこと、国が日国外の被爆者を差別してきたことに関して、不法行為に基づく損害賠償。②未払の賃金・強制貯金の支払。③強制労働の際の安全配慮義務違反という債務不履行に基づく損害賠償を求めています。安全配慮義務

  • 山本杉 - アンサイクロペディア

    このページの記述は全て事実なので、頭の固いウィキにも転載してあげるべきです。 アンサイクロペディアンの格の違いを見せつけてやりましょう。 山杉(やまもとすぎ、1902年8月19日生-1995年9月9日、女性)は日の医学者。ぶっちゃけ、日版女アルフレッド・キンゼイ博士。 日ではタブーとされていた性医学の研究者で、女性の立場から性医学の研究を行っていた。 父親は「自慰」という日語を作った性科学者の山宣治。…と、まことしやかに流布されている情報は誤りで、山宣治とは姻戚関係はない。 山宣治はオナニーの健全性を訴え、やりすぎて右翼に暗殺されている。 性医学の研究を行い、恋愛至上主義とかオナニー有害論を真っ向から否定していた。 夫は仏教学者で真言宗智山派の僧侶である山快竜(昭和23年7月14日に腹上死、享年56歳)。 経歴[編集] 大正12年 東京女子医専(現在の東京女子医科大学)卒

  • 伊藤隆「オーラル・ヒストリーということ <記録>」広島大学文書館紀要 : Journal of Hiroshima University Archives no.15 page.1-28 (2013-03-21)

    トップページ サイトマップ 学術情報リポジトリとは コンテンツの登録 コンテンツの検索 広島大学の刊行物 FAQ リンク ドキュメント 一覧 部局一覧 コンテンツ種類一覧 広島大学の刊行物 学位論文一覧 HiRについて 学術情報リポジトリとは コンテンツの登録 広島大学オープンアクセス方針 公開コンテンツの利用 ダウンロード数通知 FAQ ドキュメント 関連リンク お問合せ オーラル・ヒストリーということ <記録> 広島大学文書館紀要 15 号 1-28 頁 2013-03-21 発行 アクセス数 : 1588 件 ダウンロード数 : 565 件 今月のアクセス数 : 3 件 今月のダウンロード数 : 7 件 この文献の参照には次のURLをご利用ください : https://doi.org/10.15027/34690 ファイル情報(添付) JHUA_15_1.pdf 559 KB 種類

  • 東京駅(原敬、浜口雄幸遭難現場)

    東京駅(原敬、浜口雄幸遭難現場) ■東京駅 → 原首相遭難現場 → 浜口首相遭難現場 →東京駅写真 1.東京駅 1日に発着する列車電車が約2500という世界でも例を見ない大規模な駅、東京駅 。 現在では東海道、東北、京葉といった在来線や新幹線の基点となる駅です。 日で初めて鉄道が通ったのは明治5(1873)年の新橋・横浜間。 明治15(1882)年には私鉄・日鉄道が東京青森行きの基点となる上野駅を開業させています。 明治22(1889)年には新橋神戸間が全通していましたが、この新橋上野間を繋ぐ鉄道がなくとても不便だったそうです。 また、新橋上野間が繋がると神戸青森が全通になる→流通の大動脈が完成→経済効果の期待大 … という点から明治中期に帝国議会で上野新橋間をつなぐ鉄道が立案され、その途中駅として東京駅が設定された。 開業は大正3(1914)年12月、当時の呼称は中央停車場。 停車

    東京駅(原敬、浜口雄幸遭難現場)
  • Amazon.co.jp: 日本占領の研究: 義和,坂本, ウォード,R.E.: 本

    Amazon.co.jp: 日本占領の研究: 義和,坂本, ウォード,R.E.: 本
  • アジア女性資料センター - 【橋下発言】吉見義明教授が公開質問状

    橋下徹大阪市長・日維新の会共同代表が、「風俗活用」発言については撤回・謝罪するとしながら、日軍「慰安婦」問題についてはいまだに、「他国も同じようなことをしていた」「強制の証拠はない」「性奴隷と翻訳されているのは誤り」等と妄言を連ねていることに対し、長年、日軍「慰安婦」問題について研究をされてきた中央大教授の吉見義明さんが公開質問状を出されました。 吉見教授は6月4日の記者会見で、橋下氏の「ほかの国も『慰安婦』を利用していた」という発言について、「軍の施設として組織的に慰安所を作った国はドイツ以外になく、日の『慰安婦』制度は特殊だ」と指摘。また、橋下氏が昨年8月の記者会見で「吉見さんも強制連行の事実まではなかったと言っている」と述べたことについて、研究者としての名誉を傷つけるものであると抗議し、「居住の自由、外出の自由、廃業の自由、拒否する自由がなかった日軍『慰安婦』は、性奴隷制で

  • 朴永心さんの死去-耐え難い苦痛を抱えて

  • 20130524 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」

    ■2013年5月24日【金】 史実から問う、従軍慰安婦問題 日維新の会共同代表の橋下大阪市長と元従軍慰安婦の韓国人女性との面会は、女性側からの申し出でキャンセルされました。 いわゆる従軍慰安婦問題で日政府は、1993年当時の河野洋平官房長官談話で軍の関与を認め、「おわびと反省」を表明したものの、第1次安倍内閣が「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定しています。世論の中にも河野談話を問題視し、謝罪の必要はないとする主張も根強くあります。 きょうの番組では、双方の主張の前に、まず史実としてこれまでに明らかになっていることは何なのかをお聞きいただきます。これまで従軍慰安婦に関する数々の資料を掘り起こしてきた、吉見義明・中央大教授にお聞きします。 吉見教授への質問・反論など、リスナーの皆さんからのメール・ファックスを是非お寄せ下さい。 ノーカット(w

    20130524 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」
    ecua
    ecua 2013/05/27
    17minまで聞いた。
  • 特殊慰安施設協会 - Wikipedia

    安浦ハウスに集まる米国将兵たち 特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい・RAA)は、第二次世界大戦後、東京を中心に、連合国軍占領下の日政府の援助により作られた「慰安所」を中心とした占領軍用の慰安施設である。連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために設置された[1]。 英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日語の名称との間で意味が大きく異なる。 藤目ゆきによれば、RAAでは、最盛時には7万人、閉鎖時には55,000人の女性が働いていた[2]。 RAAは東京での活動が主であったが、そのほかの地域でも各自治体の警察の監督の下で「特殊慰安施設」が運営された。 日を占領下に置く連合国のうちの1国であるアメリカ軍は、公娼制度を認めず慰安所を置かないことが判明しており、イギリ

    特殊慰安施設協会 - Wikipedia
    ecua
    ecua 2013/05/17
    ついwikipediaでRAAの項目を。内務省仕事はやい。「実際には終戦3日後の8月18日に警視庁は花柳界の団体と打ち合わせを終え、内務省は同日に各地方へ「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」を行政通達している」
  • 「安倍政権、歴代と違う」東京裁判めぐり自民・高市氏 - MSN産経ニュース

    ecua
    ecua 2013/05/12
    過去の戦争に関し「国策を誤り」とした村山富市首相談話について「当時、資源封鎖され、抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」と指摘した。
  • 衆院内閣委員会での日本共産党の赤嶺政賢議員に対する安倍首相答弁(歴史認識関連部分)

    衆院内閣委員会での日共産党の赤嶺政賢議員に対する安倍首相答弁(歴史認識関連部分) (2013年4月26日、仮起こし=J) ※赤旗政治記者の仮起こしです。あくまでも、ご参考まで。 ◇ 赤嶺政賢議員 法案に入る前に安倍総理の国会発言について聞いておきたいと思います。昨日韓国の外務次官が別所駐韓大使を呼び、「日政府と政治家によるゆがんだ歴史認識と時代錯誤の言動に対し強く遺憾の意を表する」と抗議するなど、外交上の問題になっています。 問題の発端である4月23日の参議院予算委員会で安倍総理は、村山談話について、「いろいろ曖昧な点がある」とした上で、「とくに侵略という定義については、これは学界的にも定まっていないといってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」、このように述べました。 総理は、日の過去の戦争

    ecua
    ecua 2013/04/26
    安倍首相の歴史認識問題
  • レーン・宮沢事件:「秘密保全」危険性知って 北大生の遺族来日契機に、弁護士ら名誉回復へ活動- 毎日jp(毎日新聞)

    ecua
    ecua 2013/04/24
    毎日新聞 2013年04月06日 東京夕刊
  • 母性保護論争-晶子とらいてう

    働く女性と子育てについて大正の昔に繰り広げられた「母性保護論争」。以前から与謝野晶子と平塚らいてうの母性保護論争には興味を持っていました。 与謝野晶子は浪漫派の歌人で与謝野鉄幹との間に11人も子供を産んだ子だくさん。一方平塚らいてうは青鞜上のエッセイをきっかけに婦人解放運動家として歩を進め、避妊により出産は2回に留め、堂々と産児制限を唱えました。この2人が母性を論じ、社会による母性保護の是非を論じたと聞けば、思わず「晶子→子沢山の母性礼賛者、らいてう→母性よりも女の自立を求める能力主義者」と思いこむところです。 ところが、実際には役者が完全に入れ替わっているのです。11人の子供を抱えててんてこまいだったはずの晶子の方が「母性に甘えるな!」と言い、婦人解放を唱えるらいてうの方が「母性を社会で支えましょう」と言うのですから、人間の思い込みってのはほんとにはずれるもんだなぁと思います。 晶子とら

    ecua
    ecua 2013/04/04
    すばらしい記事
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  • 昭和を歩く -2- (2.26事件)

    ●2.26事件を巡る(上) 初版2001年7月14日 三版2005年5月8日 <V01L01> 鈴木侍従長官邸跡の場所を特定 8月15日の終戦記念日が近づいてきましたので、「昭和を歩く」と題して、戦争へ至った道を少し歩いてみたいと思います。第一回は昭和11年2月26日に起こった「2.26事件」を取り上げてみます。雪の降る2月に起こった陸軍を中心とした反乱ですが、真夏に取り上げますのですこし時期がアンマッチで臨場感が出ないですがお許しください。 <2.26事件> 昭和11年2月26日の未明、前夜からの雪の中で陸軍の一部決起将校が近衛師団の近衛歩兵第三連隊、第一師団の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊の1,483名の将兵を使いク-デタ-を起こします。ク-デタ-は、午 前5時に一斉に開始され、総理官邸、赤坂の高橋是清蔵相私邸、四谷の斎藤実内大臣私邸、荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸、麹町の鈴木貫太郎侍従長官

  • スパイにされたひとびと(3)――撮影も取り締まりの対象に

    戦前・戦中の日社会は、治安政策を強化・拡大させ、多くのひとびとをその影響下におくことに成功しました。最も声だかに流言・デマ統制が叫ばれたのもこの時期です。 以下では、そうした戦前・戦中の日の治安政策の一例として、軍機保護法や要塞地帯法に触れたとされる事件を見てみましょう。今回は、軍事施設付近を撮影して検挙されたケースが中心にとりあげられています。朝日新聞による「スパイ防止ってなんだ・新聞週間を機に」という連載からの抜粋です。 関連まとめ: スパイにされたひとびと(1)――戦時下のスパイ防止法 続きを読む

    スパイにされたひとびと(3)――撮影も取り締まりの対象に
    ecua
    ecua 2013/02/19
    スパイにはされたくないものだ。
  • 宗教を取り締まる――明治期治安政策の一断面

    明治維新後の日では、文明開化や復古をスローガンにしながら、新しく国家規模で治安対策が整備されていくことになります。安寧秩序を乱すものとしてデマや流言の統制を求める声が高まるのもこの時期です。 今回は、こうした治安政策創設時の一コマとして、維新政府による宗教の取り締まりのようすを見てみましょう。安丸良夫「近代化日の暗箱(ブラック・ボックス)」という文章からの引用です。 出典: 安丸良夫「近代化日の暗箱(ブラック・ボックス)」(初出は1974年)『日ナショナリズムの前夜―国家・民衆・宗教』所収 続きを読む

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  • 「スパイ防止法案」をめぐって(2)――その背景と問題点

    敗戦後、日社会は占領によって大幅な変更を迫られた治安政策を再整備していくことになります。デマや流言の統制を求める声も消えたわけではありません。 以下では、そうした戦後治安政策の復興の歩みのひとつとして、「スパイ防止法」をめぐる議論を見てみましょう。1980年代に―とりわけ1985-7年に大きく―問題となったこの法案を、同時代人はどのように見ていたのでしょうか。朝日新聞1985年10月23-27日に掲載された「国家秘密・スパイ・知る権利」という連載からの抜粋です。 関連まとめ: 「スパイ防止法案」をめぐって(1)――戦後治安政策史の一断面 続きを読む

    「スパイ防止法案」をめぐって(2)――その背景と問題点
  • 内政史研究会旧蔵資料 | 憲政資料(憲政資料室) | リサーチ・ナビ | 国立国会図書館

    受入事項所蔵資料形態原資料数量406点書架延長10.1m旧蔵者内政史研究会 (ないせいしけんきゅうかい)旧蔵者生没年1963-1994旧蔵者履歴内政史研究に必要な資料収集・保存を目的に1963年に発足。当初は辻清明を代表とし会員は9名であった。後に升味準之輔が長く代表を務め、会員数も年々増加した。戦前行政に携わった人々に、主としてインタビュー形式で回顧談や行政に関する意見等を聴取した。聴取作業は、1963年から78年まで、66名を対象として269回にわたり実施した。このうち231回分、84冊をタイプ印刷で刊行、1994年4月解散。受入(1)1995年4月、個人より寄贈 (2)2001年1月、個人より寄贈(番号11-A~Eのみ)主な内容青木得三、安倍源基、新居善太郎、今井一男、大橋武夫、鈴木俊一、松学、村田五郎他、戦前旧内務省地方局、警保局、厚生省等の官僚、さらに右翼・左翼運動の関係者の談

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    ecua
    ecua 2012/10/23
    「若し夫れ、情の激する所、濫に事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして…」