終戦記念日であった今日(8月15日)、TL上にあふれた正午の「黙祷」のつぶやきに混じって、3.11という大震災のメモリアル・デーと、8.15という終戦のメモリアル・デーとが重なったものとしてみえてくる、というつぶやきが複数の方から投稿されていました。 3.11と8.15というふたつの日付が、重なったものとしてみえてくる/あるいは重なったものとして語られるその理由は、どのあたりにあるのでしょうか。また、そのふたつの日付の重なりは、どのあたりでふたたび別々のものとして捉えられていくのでしょうか。 そうした問いをめぐって、@dabiturさんが「放射能安全言説」を切り口にして連投しておられました。 続きを読む
![3.11と8.15の類似性と非類似性、あるいは「放射能安全言説」のゆくえ (@dabiturさんによる)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/0c738745e48ed34ac66e0cb21014d9fd4052008b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Ff173e034ecf7a2d0503293b21a842d8c-1200x630.png)