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ブックマーク / manba.co.jp (3)

  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(18)「バケツの宿」(最終回) | マンバ通信

    原作とアニメーションの相違の中でも、もっとも気になる箇所の一つが「水鳥の青葉」の中でのすずの台詞だ。原作ですずがリヤカーを押しながら刈谷さんに語りかけることばは次のようなものだ。 生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居ってものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある うちはその記憶の器としてこの世界に在り続けるしかないんですよね (下線は筆者) 原作では、この「記憶の器」ということばが大きな鍵となっている。それが何を意味するかを考えるために、花見の頃、リンが桜の樹の上ですずに言った次のことばを思い出してみよう。 ねえすずさん 人が死んだら記憶も消えて無うなる 秘密は無かったことになる それはそれでゼイタクなことかもしれんよ 自分専用のお茶碗と同じくらいにね (下線は筆者) リンのことばは、記憶=秘密の器としての人の生のことを語ろうとしている。リンにとって、「記憶」と「秘密」とが結び

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(18)「バケツの宿」(最終回) | マンバ通信
    ei-gataro
    ei-gataro 2017/05/26
    読み応えありすぎて最初のほうの内容忘れてる^_^; 何度も繰り返し読める論考。監督のお墨付き。
  • 片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(前編) | マンバ通信

    作品の細部にまでこだわって描写する監督・片渕須直。作品の細部を読み解こうとする研究者・細馬宏通。「この世界の片隅に」をめぐって、この二人のトークセッションが行なわれた。聞き手も受け手も、ものすごく細かいところについて語っていて、思わず「こまけー!」と声が出そうになるのだが、しかし読めば読むほど、原作も映画当に丁寧に作られた作品であることがしっかりと伝わってくるトークになっている。観客は原作と映画はすでに見ているという前提でのトークなので、未見の方はまず作品を味わってから読まれることをおすすめします。 (2017年1月28日、京都・立誠シネマで行なわれたトークセッションを再構成したものです) 「はだしのゲン」を2巻から読んだこうの史代 細馬 あの映画を拝見して、まず「監督はすごくマンガを読み込む人だな」と感じたんですね。それも単なるマンガ好きでパッパパッパ読んでるということじゃなくて、細

    片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(前編) | マンバ通信
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(8)虫たちの営み | マンバ通信

    さて、正月早々、これはトリならぬ虫の話。 「戦争しよってもセミは鳴く。ちょうちょも飛ぶ。」 そう物語った19年夏のある日、すずは晴美がしゃがんで「ありこさん」を見ているのに気づく。二人はアリの行列をたどってゆくのだが、そのアニメーションの描写に、わたしは思わず笑ってしまった。アリの行きと帰りが描かれていたからだ。 (図1 『この世界の片隅に』中巻 p. 12) 原作のマンガでは、アリの行列は一列に描かれている。アリをマンガ的に描くときのお約束だ。しかし、アニメーションではアリは二列になっており、しかも片方は逆向きに動いている。さらにその片方をよく見ると、それぞれの小さなからだが何ものかを運んでいる。晴美とすずは、マンガでは一列のアリの向かう先をたどるのに対し、アニメーションではアリの行き帰り、すなわち収穫の営みをたどる。この間鳴っているコトリンゴの音楽は、ピアノ、木琴、弦のピチカートによっ

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(8)虫たちの営み | マンバ通信
    ei-gataro
    ei-gataro 2017/01/04
    劇中の“虫”の描写から語る『この世界の片隅に』。本当に奥が深い。
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