これはおもう。「本とか雑誌は、引用して批判しても引用の範囲内だったら合意は得られるだろうけど、有料コンテンツを切り取って引用批判にどこまで同程度の合意がとれるかっていうと。」 / “メルマガボールZ 危険なふたり! はてな村はねむれな…” http://t.co/TfHgXqMD
晒しただの晒されただの、悪口書いて批判されたら傷ついただの、スルーできないのは恥ずかしいだの、有名税だから我慢しろだの(ω)そんなの、ぼくから見れば、ぜんぶかっこわるいし、恥ずかしい(ω)
大量のフォロワーを抱えた有名人がよくやっている「自分宛ての気に入らない批判ReplyをRTで晒し上げ、本人はそれ以上一切言及せず、取り巻きが攻撃しているのを眺めて狂喜乱舞」という行為は、虫使いや死霊術師を連想させる。
早い話、「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった、という話に落ち着くんじゃないかと思う。 先日Twitter周辺で、「匿名批判」を声高に論じている人を久々に見かけた。その際、この人は何をいっておるんじゃろうな、みたいな違和感を感じたので、ちょっと自分の中でその違和感をまとめてみたくなった。今更なあ、と自分でも思わないでもないが、整理の為ということでご容赦願いたい。 以下はおはなしの要点。 ・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。 ・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活
炎上のドコに問題があるんだろう。論理的で妥当な批判ならば、仕方が無いのではないか。公開してしまった以上、批判もあるだろうし、敷居の極端に低いWWWでは、数が集まるのは仕方ない。論理的でない、妥当でない批判は、もちろん論外だが。
やはり「新しいバージョン対応まだぁ?」というコメントがありw。こういうのはhatena側に言ったらいいの?それとも火狐?自分と同じようにhatenaツールバーのファンも多くてちと安心(?)。だって便利なんだもんw。 そういうわけで更新はメチャメチャ遅れとります。というかツールバーのせいにしといてw。別にネタ切れというわけでもないのだけどね。ツールバーのあまりの便利さになれてしまったためhatenaのトップページは登録する気にもなれずw。 それはそうと。タイトルの『批判と悪口』。何か新しいブログパーツとかガジェットが出たらgoogle等で検索せずにまずhatenaを覗いてみます。そういうのはhatena住人の方がレビューをやっていて食いつきが良いのだw。特に人気が出てきた記事であればブクマされやすいしね。こないだ記事にしたBlogopolisはブクマ数をベースにしているので「紹介だけであまり
マーケティング研究ブログするつもりが、最近は専ら戯言の類(主にアニメネタ)ばかりです。本当にスミマセン。 ※本ブログの内容は個人的見解であり、当然ながら所属組織及び企業の意見を代弁するものではありません。 ブログを書いていると、様々な人からコメントをもらう事があります。 多くは古くからの友人であったり、同じ早稲田大学ビジネススクールの同期であったりと知っている人からであるのですが、 たまたまブログを読んだと思われる社会人大学院を目指している方、国内MBAに興味のある方、時にマーケティングに関わっているっぽい人など見知らぬ方からもメッセージを頂くことがあります。 個人がわかるようにして以降は、その数が増えた感じがします。 基本的にはブログは自分自身のために書いているわけですが、それでもやはり、「役に立った」とか「こういうのもあるよ」などお礼やアドバイスのメッセージをもらうと、嬉しくなるわけで
炎上とかで思うのだが、私以外の人が似たような批判してる場で私がいうべきことなんてなんもないよね。
確実にいえるのは、「何かを批判するのなら、その「何か」について出来うる限り知っておくべき」だということ。 大して読んでもいない本を、殆ど遊んでもいないゲームを、ちらっと見ただけのエントリーを、自分の想像で勝手に補って批判するのはとても礼を失した行為であるということ。聞きかじっただけのソースで、大部分を脳内補完してDisを展開するのは凄く危険な行為であるということ。 けど、「批判したいもの」というのは、第一感で「キライなもの」「気に入らないもの」であることが多いから、それを多く知ろうとする行為にはある種の苦痛が伴う。その苦痛を乗り越えるのは大変に難しい。ドラゴンズレアというゲームを批判する為に、ドラゴンズレアというゲームを最後までクリアしようとする行為にも似る(勿論、ドラゴンズレアというゲームが非常に入りにくいことは確かであって、その「入りにくさ」を批判するというのは無根拠な批判ではない。そ
主張に一貫性が無いという批判の仕方が気に入らない(高密度小池)+はてブの反応 数年前とか数ヶ月前とかの発言をひっぱってきて、「言ってることが変ってるぞ!!」とか批判する人いるじゃないですか。あれが僕は嫌いなんです。数ヶ月も経てば主張が変わるもんだろうと。 “ユニクロ”や“ニトリ”が真摯な商品開発と価格合理性で国民ブランドの地位を確固たるものとする中 【小島健輔さん 2009-07-31】 “ユニクロ”や“H&M”、“マクドナルド”や“ニトリ”で満足してしまうファスト消費文明が落日の日本を象徴しているように思う 【小島健輔さん 2009-08-04】 流石に五日間しか経ってないと「どっちなんだよ!!!!」って思う。 引用されている二つの記事に矛盾はありません。他社より明らかに安い価格で同等(以上)の品質を実現するためには、「真摯な商品開発と価格合理性」の追求が必要です。 マスを狙う企業という
あるAさんがブログに何かを書いたとして、どこかのBさんがAさんを批判するブログやコメントを書いて、そしてAさんがBさんの意見に対してさらに反論したり批判したりした場合に、「Aさんは反論されたり批判されることに慣れてないんですかねえ、ネット上に意見を書くということは誰から批判されるか分からないということですよ」とかいう間抜けな反論をするBさんがときどき出て来るのは何故なんだろう。 この場合に批判・反論されて焦っているのは明らかにAさんではなくBさんである。そもそもAさんは好きなことをブログに書くべきだし、Bさんがそれについて好き勝手な批判をするのも自由だし、Bさんがあまりにもアホなことを言っていたらAさんがそれを「アホか」って言うのも当然のことだ。自分は反論を書くのに自分が反論を書かれることを想定していないのはあまりにも何か抜けていると思うのだが、なんかそういうのをちょくちょく見かける気がす
前に 10000時間積み上げるだけの簡単なこと・・・本当に? という、天才にまつわるエントリを書いた。10000時間じっと何かをし続け、立派な何かになる(以下天才)というのはものすごく大変なことである。Tumblrのどっかで、「10000時間なんてたった417日じゃないか!」という批判的突込みを受けてかちんときたが、まあ捨て置くことにした。L.starにもようやく批判される程度の知名度が出てきたと喜ぶべきところだろうし、ネットには眠らず飯も食わず1年以上何かに専念できる、化け物のような人間が本当に存在するかもしれない。あるいは延々批判し続けているネット評論家なら、ネット評論家ならきっとやってくれる! いうわけで今回の話はネット評論家というか、ネット上における批判者についてである。 「エスパー魔美 – くたばれ評論家」 が、ずいぶんTumblr界隈とかで話題になっているようである。「批判にへ
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