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ブックマーク / mubou.seesaa.net (29)

  • 今だからこそ、「実名/匿名」問題を個人的に総括してみる。: 不倒城

    早い話、「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった、という話に落ち着くんじゃないかと思う。 先日Twitter周辺で、「匿名批判」を声高に論じている人を久々に見かけた。その際、この人は何をいっておるんじゃろうな、みたいな違和感を感じたので、ちょっと自分の中でその違和感をまとめてみたくなった。今更なあ、と自分でも思わないでもないが、整理の為ということでご容赦願いたい。 以下はおはなしの要点。 ・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。 ・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活

  • 何故ロボットアニメのタイトルには、「漢字数文字 + カタカナ」というものが多いのか。: 不倒城

    ふとしょーもないことが気になった。既出かどうかは知らない。 端緒になったのは下記の記事である。 リメイクしてほしい80年代名作ロボットアニメランキング うーむ、顕著だ。何が顕著かって、挙げられているタイトルのフォーマットである。 100機動警察パトレイバー 89.7装甲騎兵ボトムズ 69.2聖戦士ダンバイン 53.8伝説巨神イデオン 48.7魔神英雄伝ワタル 46.2六神合体ゴッドマーズ 46.2戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー 46.2ゴッドマジンガー 43.6太陽の牙ダグラム 38.5銀河漂流バイファムトランスフォーマーとゴッドマジンガー以外は、全てが「漢字数文字 + カタカナ」という枠におさまり(ダグラムがちょっと微妙だが)、その全てが「主役級メカあるいは主役キャラ」をカタカナ部分に据えている。 まあ、主役メカや主役キャラがタイトルにくるのは当然っちゃ当然として、この「漢字数

    ekken
    ekken 2010/11/09
    これはおもろい考察
  • 「ドラえもん」と「キテレツ大百科」の比較論。: 不倒城

    言うまでもなく、「ドラえもん」と「キテレツ大百科」はいずれも藤子・F・不二雄先生の代表作の一角である。この二作は、色んな点で相似しており、かつ色んな点で相違している。 この二作の似たところ、違うところを分析してみると面白そうな気がしたので、ちょっとこのエントリーでまとめてみる。原作版とアニメ版を厳密に区別していないことについては予めお断りしておく。長文なのでお暇なときに。 以下はWikipediaの参照URL。ちなみに、作品の成立自体はドラえもんが1970年、キテレツ大百科は1974年で、キテレツの方が新しい。 Wikipedia:ドラえもん Wikipedia:キテレツ大百科 ○この二作が似ているところ。 ・主要キャラクターの配役。ドラえもんにおいてはのび太・ジャイアン・スネ夫・しずかちゃん・ドラえもん、キテレツ大百科においてはキテレツ・ブタゴリラ・トンガリ・みよちゃん・コロ助と、配役は

    ekken
    ekken 2010/08/24
    "「線の細い主人公・大柄なガキ大将・マザコンのボンボン・ヒロインの女の子・ロボット」" ロボットは別として、その他は藤子先生お決まりのパターンだよね。
  • 「勝ち負け」で計るようなものをそもそも議論と呼ぶのだろうか。: 不倒城

    あんまりまとまってない。メモ的に。 議論というものはそもそも何なのかというと、何らかのテーマに関して知見を出し合って、そのテーマに沿った新たな結論・アイディア・あるいは新たな問題提起を導出する為に行うものだと思う。少なくとも私はそう思う。 然るに、議論における「勝ち負け」とは一体なんなのだろう。お互いが何らかの違う目的をもって、要するに相手に言うこと聞かせてやろうとして諤々やり合うのならそれは説得合戦であって議論ではないし、どちらかの意見が明らかに正しくてもう片方は単に分かってないだけならそれは教育と呼ぶべきだし、自分の意見は絶対正しい、改良の余地はないと確信しているならそもそも議論をする意味はない。 議論とは「自分の意見」「相手の意見」それぞれの不備、足りない点を検証する為のものだ。もしも自分の考えの不備を指摘され、それを受け入れることが「負け」だとするなら、極論すれば、議論というものは

    ekken
    ekken 2010/05/04
    この数ヶ月書こうと思っていたことが、ほぼ包括されている。
  • 少年漫画の「爽快感」について、または「はじめの一歩」の構造問題: 不倒城

    少年漫画における「爽快感」の正体ってなんだろうなあ、というお話。 まず前提。少年漫画の肝は、どうやって読者に「読んでいて気持ちいい」という爽快感を提供するか、というところにあると思う。そして、その爽快感にはそれ程多種多様なパターンが存在する訳ではなく、基的な部分では「落差を演出する」「マイナスの状態からプラスの状態へもっていく」という一言で要約出来るのではないかなあ、と思う。 例えば、主人公の前に強大な敵が現れる。主人公が大苦戦する。大ピンチになる(マイナスの状態)。 そこから、例えば仲間が助けにきたり、新しい技が閃いたり、戦闘中に突如髪が金色になって大幅パワーアップしたりして辛くも戦闘に勝利する(プラスの状態)。気持ちいい。 マイナスからプラスに飛躍することによって得られるカタルシス。これは「よくある」爽快感演出の一例だ。 例えば、「非常にイヤなヤツ」が悪役・敵役として登場する。読者に

    ekken
    ekken 2009/10/08
    これは面白いマンガ論。
  • 「批判」が求める最低条件。: 不倒城

    確実にいえるのは、「何かを批判するのなら、その「何か」について出来うる限り知っておくべき」だということ。 大して読んでもいないを、殆ど遊んでもいないゲームを、ちらっと見ただけのエントリーを、自分の想像で勝手に補って批判するのはとても礼を失した行為であるということ。聞きかじっただけのソースで、大部分を脳内補完してDisを展開するのは凄く危険な行為であるということ。 けど、「批判したいもの」というのは、第一感で「キライなもの」「気に入らないもの」であることが多いから、それを多く知ろうとする行為にはある種の苦痛が伴う。その苦痛を乗り越えるのは大変に難しい。ドラゴンズレアというゲームを批判する為に、ドラゴンズレアというゲームを最後までクリアしようとする行為にも似る(勿論、ドラゴンズレアというゲームが非常に入りにくいことは確かであって、その「入りにくさ」を批判するというのは無根拠な批判ではない。そ

  • ネット上では「誰も有名人である必要はない」: 不倒城

    まあ理想論なんだろうけど。 ネットでは「誰もが有名人」である 先日、Twitter上で有名人 vs 自称非有名人という構図のバトルが発生しました。自称非有名人であるユーザが有名人に対して批判的な意見を「個人的なつぶやき」としてTwitterに書き込んだ事が発端でした。この批判的な意見は有名人に届き、有名人はTwitterで反論を行いました。 反論された自称非有名人は「テレビに出てる人に文句言ってる感覚」という感想とともに謝罪を行いつつ、有名人が反論するのは「大人げない」と不満をTwitterやブログに書き込みました。それらの推移を多くのネットユーザが見つつ、様々な意見が様々な人々によって様々な媒体を使ってネット上に吐き出されました。 今回の件のように「引っ張り出される」という状況は、ネットのフラットさが生んだ現象なのかも知れません。現在のWebの世界は善くも悪くもフラットな一面を持っていま

    ekken
    ekken 2009/09/02
    あとで
  • 「自分には楽しめないことを楽しんでいる人にいちいちケチをつけたくなる症候群」: 不倒城

    に名前をつけたい。何だろう、局外者シンドローム? まあ、なんというんでしょう、自分や他の誰かに何かしらの被害が及ばない限り、たくさんの人が楽しそうなのは基的にいいことなんじゃないかと思うんです。 勿論、「自分は何故楽しくないのか」を分析することは重要な思考法だし、それを外に向かって投げるのも自由だと思いますが。 ただ、わざわざ皆が楽しんでいるところに突っ込んでいって、楽しんでいる人達に向かって全力で水をぶっかけたがる人を見ると、ぬるま湯精神の保有者としては、何もそこまで特攻精神に溢れんでも、とか思わないでもない訳です。特攻戦法に士気使い過ぎだと思わないでもない訳です。Rホウ徳ですか君は。 ということで、しんざきはあんまり興味がないことはがんがんスルーしますけど、お祭り自体はもう幾らでも発生するといいんじゃないかと思いますよ。火事にならない程度に。

  • ドラゴンボール的「転回」とウルトラマンの関係。: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(770) 雑文(512) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(335) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(40) FF3(6) Civ4(18)

  • レトロゲーム万里を往く その77 ザナック: 不倒城

    さてここで問題です。あなたにとって、「ファミコン最高のシューティング」とは何でしょう? 何度か似たようなことを書いているが、それが何であれ、「最高」を決めるのは意外に難しい。「最高のゲーム」などというテーマではより一層その難しさに拍車がかかり、「人の数だけベストゲームがある」というテーゼはあながち誇大でもないんじゃないかと思わせてくれる。 例えばゼビウスやグラディウス、あるいはツインビーといった、ファミコン初期の偉大な移植作を挙げる人がいるかも知れない。スターソルジャーやへクター'87といったキャラバン系シューティングも名前が挙がるだろうし、「烈火」やオーバーホライゾンといったFC後期のタイトルが出てきても不思議ではない。 スカイキッドやイメージファイト、B-WINGやエクセリオンといったタイトルに入れ込んだ人もいるし、アーガスやテラクレスタ、ヴォルガードII辺りも当然アリだろう。ファルシ

    ekken
    ekken 2008/03/19
    "「ファミコン最高のシューティング」とは何でしょう?" 答え;スターラスター。
  • 不倒城: ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」といラベルで救済するのはそろそろやめにしようよう

    世界があまり変わらないのでブログやめようかと思う 政治的な左右を問わず、相変わらず汚い言葉で自分の感じている正義を主張する大小の声にちょっとうんざりして。こちらを読んで、ふと思ったこと。ブクマでもそのまんま書いたことだし、正直タイトルの時点で完結してしまってる訳だが。 汚い言葉、というか。問題は汚い言葉じゃなくて、「強い言葉」と「汚い言葉」を混同している人、だと思う。汚い言葉を使うことの印象だけに目がくらんで、その印象が説得力を強化するという幻想を抱えて。 そして、その混同を自覚しないままに、自分の文章の吐き散らし方を「芸風」「持ち味」だと思い込んでしまう人、でもあると思う。前者がレベル1なら後者はレベル2だ。 レベル3になると、ただ思い込んでしまうだけならまだしも、これが自分の芸風なのだと周囲に喧伝してしまう人、という称号を入手してしまう。この辺にくるとそろそろ引き返せない。後戻りをしよ

  • あなたが「書きたい」と思ったエントリーが、一番面白いエントリーだと思うのですよ。: 不倒城

    少なくとも私はそれを読みたい。「なんか書かなきゃ」で書かれたエントリーよりも、「あ、これ書きたい」で書かれたエントリーを読みたい。 「あ、これ書きたい」だけで埋めつくされたブログって、きっとすげー面白いブログになるだろうし、いつか必ず誰かが突き当たって、「あ、すげー面白い」と感じると思う。Webの読者ってホント凄い。「誰かが面白いと感じる」ものを絶対に見逃してくれない。 で、重要なのは「あ、書きたい」と思うペースであって。それは多分脳みそが息継ぎをするペースっていうか、表現欲求が空腹を感じるペースっていうか、割と生理的なもの、てきとーなものであって。24時間なんて人工的なペースで規定出来るものじゃないんじゃないかなあ、と。 これ読んで、なんとなくそう思いました。まあ、ペースなんてものはそれこそ人それぞれなんだろうけど。 私は書きたい時に書きたいことを書くし、他の人が書きたい時に書いた記事を

    ekken
    ekken 2008/02/15
  • 「NGワード機能=ツンデレホイホイ」説。: 不倒城

    実は「NGワードに入れればいいじゃん」と言う防御線を張る為に存在している気がするんですよね、アレ。 順番にいこう。 ・NGワード機能とは何か。 例えば2ちゃん専用ブラウザ等に実装されている、「NGワードが含まれているレスは非表示にする」という機能。NGワード自体は自分で設定して、それが含まれているレスは存在しないものとして扱われる。 ・何の為にあるのか。 一般的には、荒らしのID・名前などを設定して、荒らしが書き込んだレスを丸ごと飛ばす為に存在するものだとされている。されているのだ。 勿論それは嘘ではない。ないのだが、この機能、実際の所荒らしに反応したくてたまらない人対策としての効用の方が大きい気がする。 何度か書いているが、世の中には「憤慨したくてたまらない人」というのがたくさんいるし、「スルーしたということを強調したくてたまらない人」というのもたくさん存在する。2ちゃんにおける、「そう

  • SBMの同調圧力を防ぐ為のたった一つの方法: 不倒城

    ブクマする前に他の人のブックマークコメント読まない様にすればいいんじゃないの? はてなブックマーク - はてな村民は、声の大きいヤツに同調し、魔女狩りを行う最低の村か? なんか知らんが元記事が編集されている。この程度の記事を運営が削除するとかアホですかという感じなので、多分書いた人が自分で編集したんだろう。一応ぐぐるのキャッシュはこっち。 いや、なんとゆーか、上の記事とか、記事のブクマでの議論がどうもピンとこなかったので原因を考えてみた。 同調圧力うんたらがどうしても気になるのなら、冒頭に書いた様なルールに従えばいいし、なんならシステム的にそういう制限を加えることも不可能ではない(やる意味があるのかどうかは疑問だが)。 そもそも「ブクマをするのは他の人のコメントを読んでから」という発想自体私になかったので、一体何の話をしてるんだろうと最初思った。先にコメントを一通り読んでからブックマークす

    ekken
    ekken 2007/09/18
  • 批判の批判に思うこと。: 不倒城

    ちょっと迷ったけど、気になったから書く。 サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり! こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば「左翼」と「JASRAC」と「マスコミ」の3点セット。これらを「サヨ」、「カスラック」、「マスゴミ」に置換してアジビラまがいの文章を書いている手合いからは、確固たる思想信条は感じられない。 何故確固たる思想信条が感じられないかというと、そもそも思想信条が読み取れる様な書き方をしていないからだろう。単純な話である。 そこに当に思想信条が存在しないのかどうか、単に時流に流されているだけなのか、それとも書いてないだけで実は深い根拠があるのか、んなこたあWebに存在する文言を読むだけじゃ分かりはしない。そこにあるのは、「根拠の明示なく(=思想信条の表現不足)口汚い論難・総括をした(=サヨとかカスラックとかマスゴミとか)」という厳然たる罪であり、 あわよ

  • 作家心理と、ファンレター。: 不倒城

    日記混じり。特に結論が出るよーな話ではない。 なんか久々に、知人の編集者さんに愚痴られた。昔お世話になったことのある方で、「ゴールデンウィークって何ですか」仲間でもある。 話はファンレターのことだった。 出版社によってやり方は色々違うのかも知れないが、彼は自分が担当することになった作家さんに、まず聞くのだそうである。「ネガティブな内容のファンレターは、そのまんま渡しますか、止めますか」 この場合、作家さんは2×2の4パターンに分類出来るそうだ。その一、「渡してくれ」と言う人と、「見たくないから止めてくれ」と言う人。その二、ネガティブなファンレターを渡されて、プラスの影響が出る人、マイナスの影響が出る人。 最初から「止めてくれ」と言う人に関しては、自分が分かっている人だから安心出来る、という。問題なのは「ネガティブな内容でも自分の糧になるから渡してくれ」という人で、かつ実際にはそれを読んでマ

  • ブログ観測者問題・スルー論: 不倒城

    命題その1:Web上での煽りに対し、「スルーしろ」「スルーします」と発言する人はその煽りをスルー出来ていない。 命題その2:煽りに反応する人がいなかった場合、それを指摘された煽りはスルーされていない。つまり、「全力スルーワロス」といったコメントがついた時点でその煽りはスルーされていない。 命題その3:命題その1及び命題その2から、Web上での煽りコメントは、そのコメントが残り続ける限り「スルーされた」と確定しない。 結論その1:ある煽りがスルーされたかどうかをWeb上で観測することは出来ない。 命題その4:ブロガーがスルーした煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが反応をしてくれる。 命題その5:ブロガーがスルーしなかった煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが「スルーした方がいいですよ」と助言してくれる。 結論その2:ブロガーがスルーしようがしまいが、煽りコメント

  • それはホントに「常識」か?・ポジティブ編: 不倒城

    不倒城は元来レトロゲームブログなのであるが、たまにネットの話とかブログ論めいた記事を書くことがある。 たまに、である。しんざきはそーゆー記事をたまにしか書かない。勿論元々レトロゲームブログのつもりであるという理由も大きいし、書きたいテーマが手元にないことが多いということも多いのだが、実はもう一つ大きな理由がある。 「そんなん常識じゃね?」と誰かに言われるんじゃないかなー、と常になんとなく思ってしまうからだ。 Webは広大である。自分が何かの考えを思いついた時、大抵の場合はWeb上の誰かが同じようなことを既に考え、書いていたりする。こればっかりはどうしようもない。自分が何かの考えの創出者、オリジナルである可能性は限りなく低いのだ。 ただ、「既出である」と「常識である」は当然のことながら全く違う。誰かが既に思いついたことだからといって、それが遍く人々の共通知識であるという可能性は、自分がオリジ

  • mixiと日記とチェーンメールの相関。: 不倒城

    前回のエントリーを受けて、ちょっと考えてみる。既出だったら勘弁。長文なんで興味がある方だけどうぞ。 (追記)一応文末にまとめを書いておきました。お忙しい人は結論だけお読みください。 mixiでまたチェーン日記 善意が混乱招く まず、大前提として重要なのが「mixiはとっくの昔に閉鎖環境ではなくなった」という認識だろう。 株も上場した現在、既に常識だったらどうしようと思いつつ一応書いておく。 ・「mixiファイアウォール」の実質性。 かつてはmixiの「紹介のみでしか入れない」という防護壁はそれなりに機能していた、と私は思う。多分一年半くらい前までは。もう少し具体的に言うと、mixiの利用者数が100万とかその辺のオーダーを軽々と突破するくらいまでは(実際はもうちょっと前にファイアーウォール自体は崩壊していたと思うが)。 ただ、mixiの防護壁は当然ユーザーが増えれば増える程脆くなっていく訳

    ekken
    ekken 2006/10/05
  • 2ちゃんユーザーの帰属意識について。: 不倒城

    以前ちらっと書きかけた、2ちゃんのユーザー意識と特殊性について。企業と2ちゃんが関わるとろくなことが起きないみたいだが、これなんでですかね、というお話。徹夜明けで眠いのでざっくりと。めっさ手垢がついた既出議論だったらすいません。 いわゆる2ちゃんねらーという層には、ある種の帰属意識というものが強い様に見受けられる。「2ちゃんねる」というもの自体に対する思い入れというか忠誠心というか、あるいは一種の所有意識の様なものが一部のユーザーの内にあるのではないかと思うのだ。 コミュニティに対する帰属意識というもの自体は別段珍しくもない。どんな単位であれ、自分の所属している組織に人は何かしらの思い入れをもつものだ。 2ちゃんねるのそれが少々特殊なのは、「思い入れ」の対象が人ではなく、完全無欠に「場」であることに起因する。 SNS、例えばmixiを使用している人で、mixiというコミュニティに帰属意識を