「ブログの自由と、われわれの不自由」の回で、「書きたいようには、なかなか書けないのだ。だから書くのだ」と書いたら、いくつかの反論があった。 その中には、反論というより反撥といった勢いで(“腹が立ってしょうがない”なんて書かれたりもした)、元の文に書いてないことにまで反論しているような文章もあって、驚いた。 「必要なら文章は書ける。書けないのは、その人にとってそれが必要じゃなかったから、もしくは、努力が足りないから、もしくは書きたいことを持ってないから、もしくはたくさんの文章を読んでないから」 そう考えている大人がいることを、ぼくは、ようやく実感した。 それは、ぼくにとって、少なからず、驚きというか、ショックというか、ある部分納得というか、ちょっと考え方を変えなければいけないなぁと思わされた体験だ。 何かについて書こうとする。 たとえば。 歩いていると、白い綺麗な猫がいた。 そのときの気持ち