http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/internet/index.html(日本でも、プロフ(自己紹介サイト)でなりすましいじめなどが起きていることが報告されています。)。この場合、「サイバーいじめ」を行っている主体はしばしば被害者のクラスメート等、被害者と現実社会で接触のある人々なので、ネット上で実名発言しないことによってはこのリスクを回避することはできません。 これを回避するためには、本人確認をした上で登録がなされるID認証が、少なくともその実名を冒用された人間から照会を受けた場合にはID登録者と発言名義人との同一性について(発言内容それ自体の違法性の有無に関わりなく)照会に応ずるという形で運用されることが必要となります。そういう意味では、私が提唱する共通ID制を導入するという方が、「成りすまし」対策としては有効です。la_causet
小倉先生のekken氏に対するこの反論は、さすがにちょっとおかしいと思う。何がおかしいかと言うと、どうやれば避けられるかという提案なくデメリットのみをあげて否定しているから。そして、議論に必要不可欠な行動としてekken氏がリストしているのに対して「書き方によっては受けきれない負荷になる」としている点。なぜなら、それはすべてにおいて適用可能なものであり、前提としてそれを置くならば、「全世界の人が納得する言葉遣いの基準と全世界の人が納得する連続投稿の基準」を厳格にシステム化して、そこから逸脱しないようにしなければならないから。そんな世界で有益な議論が進むと思いますか?「俺は1年に1回以上は応答できない。それ以上の要求を求めるのは荒らし」的な人をシステム的にどうやって満足させるのか。そういう提案があるならともかく。 ekkenさんから私について言及していただきました。 僕は以前、「管理人が不快
長いので格納 梅田望夫氏イナゴ論問題(ブクマコメント殺到)が起こる →それを横目に小倉弁護士がスルー力を求めることのコストを示し そこで「専門性のある優秀な書き手」に触れる →→そこで「コメント欄を閉じればいいではないか」という コメントにに対し、小倉弁護士が言及 コメント欄を閉じる事で解決できる問題ではないという旨を示す →→ekken氏がこれに対し「コメント欄を閉じれば良い」と反論 ノイズが紛れ込むのも仕方がないので、コメントの制限を 高くする事が良い解決策だと示す →→→これに対し小倉弁護士は「優秀な書き手は紙媒体等に 逃げてしまう」と反論 ここでNOV1975氏から「それならブログで書いてもらう 必要もないのでは」と反論 それに対し小倉弁護士は高度なやりとりが行われるのが理想で 「むしろ匿名コメントに責任が負わない現在のシステム」 が問題と示す →→→→さらにここでNOV1975氏
前回のエントリについて、「コメント欄を閉じればいいではないか」という趣旨のコメントがありました。 ただ、コメント欄等で執拗な誹謗中傷を受けたブログ主が、「コメント欄を閉じれば誹謗中傷コメントを見ずに済むから、ブログの更新を継続しよう」と考えてくれるとは限りません。質の高いエントリーを継続的に投稿できる専門家の多くは、紙媒体等にもコラム等を執筆する機会があり、そこまでしてブログを更新する必要性を欠くからです。 また、仮にそのブログ主がコメント欄を閉じるにとどめブログの更新は継続することにしたとしても、これにより読者とブログ主との間の交流は大いに制約されることになります。 コメント欄で匿名の陰に隠れてブログ主を誹謗中傷したり個人攻撃を行ったりする自由を容認することに、上記のような副作用を超える価値を見いだすことができるのかというと、少なくとも情報源としての価値についていえばそのような価値はあり
「理戦」に掲載して頂いた原稿の一部を加筆修正したものです。 現在の日本において、インターネット上での「表現の自由」は実質的に保障されているのだろうか。 もちろん、日本国憲法が保障する「表現の自由」には「インターネット上での表現」の自由も含まれると一般に解されており、それ故、法令で規制された内容または法令で規制された方法で表現活動を行わない限り刑事罰を科せられることはないし、法令による規制も極めて限定されている。また、「インターネット上での表現」については国家権力はもちろん、ISP等の電気通信事業者も検閲を行うことが原則として禁止されている。このように、インターネット上での「表現の自由」が形式的に保障されていることは疑うべくもない。 実際、私たちがインターネット上で表現活動を行う場合、たとえ政府の政策を批判するような内容であったとしても、逮捕され処罰される等の不利益をおそれて思わず躊躇してし
幸いにして今のところ,私のBlogにはありませんが。 コメントに,イヤガラセのような内容を書かれて,困っている方を時々見ます。 トラックバックにも,あるのかな? 見たことはありませんが。 まあ,トラックバックの場合は,相手もBlog持ってるということなので,特定がしやすくイヤガラセしにくいのかもしれませんが。 まあ,じゃあとりあえずトラックバックはいいとして。 コメントで。 あるBlogのコメント欄で,そのBlogを書いた人に対する「イヤガラセ」のような書き込みを見ました。 私はそれを見て,「一見,イヤガラセに見えるけど,言葉が乱暴で舌足らずなだけで,本人は理由があって正当な反論,批判のつもりで書いてるんだろうな。」と思いました。 こういう時って,その反応の仕方に,人となりが出ますよね。 「どういう理由で貴方はそう思うのですか?」と対話を求めたり。 「そうではなくて,私の言いたいのはこうい
こんなブログは読みたくもない じつはLSTYさんの2004/5/18の記事だったりするのですが、 ちょっと読む機会があったので触れてみます。 まぁ私が反応したのは実は「コメント」の部分なんですよね。 文章(本文)自体は 「ふ〜ん。へぇ〜。ほぉ〜」 少なくても興味があったのは 「一人の人間が考えるつまらない文章」 ってことでしたから俺には収穫があったような・・・ ちょっと脱線したので元にもどすとコメントです。 「通りすがり」って人がコメント残しているのです。 いつものように俺流にコメント返してみます。 こういう内容の文章、公開してもいいんですねえ。驚きます。 こういうコメントを「通りすがり」ってHNでのこしていいんですねぇ。 驚きます。 これだけの量の文章をずらずらと書き綴る根性もすごいけれど 暇があるのもすごいですねえ。本業が暇でオタク的日常(笑)。 あるんですよね。こういうブログ。 これ
本サイトをご覧いただくには Adobe Flash Player が必要になります。 お手数ですが、下記のリンクよりダウンロード後に、もう一度ご覧ください。 ドリコムからみなさまへ ドリコムブログユーザーの皆様。本当にありがとうございました。皆様とブログを通じて繋がっていられたこの数年は、我々にとっての誇りです。時に叱咤を、時に賛辞を、その全てがドリコムブログを形作っていたのだと痛感しております。今度お会いする時は読者とブロガーとして、再び繋がらせて頂ければと思います。 これまでドリコムブログを愛用していただきまして本当にありがとうございました。サービスが続けられなくなりましたこと大変申し訳なく感じており、ここまでご利用いただけましたこと深く、深く感謝しています。これからもブログという文化を楽しんでいっていただけますと幸いです。 ドリコムブログユーザーの皆様へ。ブログ創世記から利用いただき
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