「雑行捨てよ」と「修善の勧め」 雑行の本義は諸善万行。「廃悪修善」が仏教なのに「善を捨てよ」とは、如何なることか。 「雑行捨てよ」の『御文章』を朝・晩拝読していても殆どが「雑行捨てよ」の意味を知らない。知らないだけではない。 「善をするな、する必要はないのだ」「善を勧めるのは教えに反する」と言う者までいる始末。まさに仏教の破壊である。これは僧俗ともに、全く「雑行」の何たるかを知らないのが原因である。 「雑行捨てよ」とは、「善を捨てよ、しなくても良い」と言うことでは断じてない。善を行うことが悪い筈がなかろう。では、「諸善」を「雑行」と嫌われ、捨てよと、なぜ言われるのだろうか。 「雑行」とは、「悪い心で行う諸善」のことである。だから「捨てよ」と言われるのは善ではなく、「悪い心」なのである。「雑行捨てよ」は「悪い心を捨てよ」と仰っているのだが、その「悪い心」を知る人がない。 「悪い心」とは、弥陀