ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (3)

  • 人間として、あたりまえのこと(アセクシュアルについて)。 - hituziのブログじゃがー

    「人間として あたりまえのこと」というのは、学部のとき 文化人類学のセンセが よく ゆーてた ことばです。だれかが おもしろい服装をしていても、「ひととして あたりまえのこと」だと さらりと かたり、なにが あっても動じないというか、あっけらかんとしているのでした。 ただ、差別的なこと、暴力的なことについては、ものすごく するどい批判精神を もっている ひとです。だから、そのセンセが すきなのです。やまぐち、いきたいなあ。 さて、はてなブックマーク - こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。 - hituziのブログじゃがーを みてください。 わたしの「こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。」という記事に、ものすごく重要なコメントを くださった かたが おふたり いらっしゃいます。 id:nagachika thought しかしここでもアセクシュアルは切り捨てられる……。

    人間として、あたりまえのこと(アセクシュアルについて)。 - hituziのブログじゃがー
    elperro
    elperro 2009/08/12
    うん。性愛の枠を外したら、もっと窓が広がるね。それから「人間として」とか「人生」とかいう、文化的、社会的に堅苦しく捏造された枠も外しませんか?
  • 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

    ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は

    多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー
    elperro
    elperro 2009/07/21
    名付けについて明快に言語化。すてき。
  • ドキュメンタリー『精神』 - hituziのブログじゃがー

    観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda: 岡山など、大盛況! 7月18日と19日は、映画の上映あとに監督や出演者が おはなしされるということで、19日に『精神』というドキュメンタリー映画を シネマクレールで みてきました。 『精神』は、精神障害者の日常を「こらーる岡山」という「診療所であり、居場所であり、作業所である」空間を 舞台に「観察」した映画です。監督は、想田和弘(そうだ・かずひろ)さんで、デビュー作は『選挙』というドキュメンタリーです。ひじょうに たいせつな素材を 提供してくださるドキュメンタリー作家だと おもいます。 映画の舞台が岡山だっただけに、観客さんは ものすごく たくさんでした。18日も満員だったそう。 映画は、モザイクや音楽を つかわず、スジがきもない。淡々としていますが、おもしろ おかしく、あったかい。いろんなことを かんがえながら、うるうる ない

    ドキュメンタリー『精神』 - hituziのブログじゃがー
    elperro
    elperro 2009/07/20
    映画を観て、菅野さんに惚れちゃいました。やーんかわいい。「ともだちになりたいわ」を越えちゃって映画を冷静に観てられなかった。やーん恥ずかしい。
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