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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (9)

  • もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの - いつか電池がきれるまで

    yutoma233.hatenablog.com 『おのにち』さんは「はてなブログ」を長い間書いておられる方で、僕とは直接の絡みはほとんどないものの、固定読者も大勢いて、マイペースで更新されているのだろうな、と思っていました。 別にブログをやめるとかそういう話じゃなくて、『はてなブログ』有料版の期限が切れたのを延長せずに無料版でやります、というだけの話ではあるのだけれど、最後のほうに、こんな文章があったのです。 最近は、昔感じていたブログへの熱意みたいなものが残念ながら薄れてきつつあるんですけど、それでもやっぱり書くことは楽しいし、同じブログ仲間だ!と親近感を抱いている人達もたくさんいるので、これからも細々と続けていけたらいいなぁと。 ああ、ブログへの熱意みたいなものが薄れてきているのは、僕だけじゃないんだな、と。 それは別に今にはじまったことではなくて、もう5年前くらいから、僕が書いてい

    もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの - いつか電池がきれるまで
    elve
    elve 2022/08/10
    村民税を払わなくなった小野さんが吊るし上げられているのはここですか?
  • 永谷園の「お茶づけ」について、僕が40年近く誤解していたこと - いつか電池がきれるまで

    永谷園の「お茶づけ」には、幼少時からずっとお世話になってきました。 野菜も肉も魚も苦手だった僕にとっては、数少ない「安心してべられるもの」でもあったんですよね。 当時は「焼鳥には悪い鳥がなるのだ」と信じていましたし、口をゆがめて断末魔の叫びをあげている焼魚をみると、ごめんなさい!とか感じてしまう子どもだったのだよなあ。 なんなんだ、「悪い鳥」って。 今となっては、「べてしまうのはいささか申し訳ないが、こちらもべないと生きられないのでスマヌ」というくらいというか、むしろ、昔べられなかった分を取り返しているのではないか、というくらいの勢い、なのですが。 脱線してしまいましたが、「永谷園のお茶づけ」の話に戻ります。 僕は幼稚園くらいから、この「お茶づけ」をべていた記憶があります。 最初は「のり茶づけ」がいちばん好きで、次に「さけ」、「梅」は酸っぱいから苦手、だったのです。 「のり茶づけ

    永谷園の「お茶づけ」について、僕が40年近く誤解していたこと - いつか電池がきれるまで
    elve
    elve 2020/05/06
    子供の頃からお湯だったなぁ
  • 『はてなダイアリー』が静かに幕を閉じた翌日に - いつか電池がきれるまで

    2019年2月28日、『はてなダイアリー』が、16年の歴史を終えた。 βテストから『はてなダイアリー』を書き続け、2016年に『はてなブログ』に移行したあとも、はてなユーザーである僕にとっては、感慨深いというか、人生の何分の1かが終わってしまったような気分にさえなる。 とはいえ、16年前も、「今よりはちょっと若いオッサン」でしかなかったわけで、青春の一ページ云々、という気分にはならなかったのだけれど。 というか、昨日は早めに寝てしまっていて、日付が替わってから、『はてなダイアリー』終焉の日だったことを知った、というのが正直なところだ。 これだけの大きな節目の日だったにもかかわらず、ネットが寂寥感にあふれていないのは、ひとえに、『はてな』が、『はてなダイアリー』の記事を自動的に『はてなブログ』に移行する、という措置を講じてくれたためだと思う。 もし、そうでなければ、消えてしまうであろう、多く

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    elve
    elve 2019/03/01
  • 『ど根性ガエルの娘』を読んで、「家族の問題」を作品にすることの難しさを思う。 - いつか電池がきれるまで

    aoshimabooks.com 『ど根性ガエルの娘』、僕も読んでいたのですが、正直なところ、読むのに疲れてきました。 学生時代は、ハリウッドの量産型アクション映画をみて、「なんでこんなどれもこれも一緒にみえるエンターテインメント映画ばっかりつくられ、観られているのだろう? もっと人生の深みや陰を描いた重厚な作品がヒットすべきではないのか?」なんて思っていたんですよね。 しかしながら、僕も40代になってみると、その理由がわかってきたような気がします。 難病で死に向かっていくことや家族の複雑な問題というのは、「そのへんに煩わしいほど転がっているもの」であり、そんなものをわざわざ映画館で観て、暗い気分をフラッシュバックさせたくない、どうせだったら、映画館の、フィクションの中でくらい、日常ではありえない、ハッピーエンドの「冒険」に浸っていたい。 まあ、ハリウッドのエンターテインメント映画にも「家

    『ど根性ガエルの娘』を読んで、「家族の問題」を作品にすることの難しさを思う。 - いつか電池がきれるまで
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    elve 2017/05/19
    “「書かないほうが良い作品」”って誰が判断するのだろうか
  • 「出前の器は洗って返さない」という「非常識」な人たちの言い分 - いつか電池がきれるまで

    netallica.yahoo.co.jp 終わっちゃうんですね、『怒り新党』。 3月8日の放送のなかで、こんな「国民の声」が採りあげられていました。 私はアルバイトで宅配寿司の配達をしているのですが、桶を洗わずに返す人がとても多いのです。信じられません。 独り暮らしの学生とかならまだ理解もできますが、子どものいる家族でも平気でそのまま返してきます。しかもべ残しの材やゴミまでそのままです。 お二人(マツコさんと有吉さん)はちゃんと洗っていますか? 最近は使い捨ての容器の宅配も多いんですよね。 それはそれで、資源的にちょっともったいないかな、とも思うのですが、回収するのもなかなか大変らしいですね。店のほうも二度手間になるし。 これに対して、マツコさんも有吉さんも「もちろんちゃんと洗う」と仰っていました。 マツコさんは「洗わないどころか、汁がまだ残っているような器をそのままマンションの返却

    「出前の器は洗って返さない」という「非常識」な人たちの言い分 - いつか電池がきれるまで
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    elve 2017/03/10
    タイトルだけで出前の器を洗って(自宅で使用等して)、返さない、という話かと思って驚いたら違った。日本語難しい
  • 『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』を意固地になって語ってみるよ。 - いつか電池がきれるまで

    arrow1953.hatenablog.com 率直に言うと、これを読んだ時点では、「遊んだこともないのにこんなふうに書くなんて、なんか感じ悪いなあ、この『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』って、僕にとっては、すごく面白いゲームだったのに……くらいだったんですよ。 でも、こういう形ででも、評価の割には売れなかった(とされている)このゲームが、いま、話題になっているのは、ちょっと嬉しくもあったのです。 ブックマークコメントをみても「自分は買ったけど、面白かった」という声がたくさんあって、ああ、仲間がこんなにいたんだなあ、と。 ただ、僕自身の考えとしては、「このゲームを自分は遊んでいない」と公言して、こういう文章を書いているのは、「不用意だし不躾だが、悪質な人ではないのだろうな」というのがありました。 ゲームレビューのなかには、明らかに自分で遊んだこともないゲームを、他所のサイトなどから

    『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』を意固地になって語ってみるよ。 - いつか電池がきれるまで
    elve
    elve 2015/04/25
  • 「露出狂」として生きていくのは難しい - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:芸術家は露出狂 - (チェコ好き)の日記 「批評家の大部分は、創作側にまわりたかったけどかなわなかった人間」だというのは、身につまされる話だなあ、とか思いながら読みました。 『地獄変』は僕も大好きな作品なのですが、そういえばけっこう昔、デビュー直後くらいの裕木奈江さん(みんな覚えてる?)が、『好きな文学作品は『地獄変』」とどこかで言っているのを聞いて、「えっ?」と一瞬フリーズしたのを思いだしました。 秋元康さんお気に入り(だと当時言われていた)アイドルさんが『地獄変』だあ? 当に読んだことがあるのかねえ……なんて内心疑っていたのですが、その後の裕木奈江さんの人生行路を考えると、あれは当だったんだろうな、と。 こうしてブログなどを書いていると、いろんな反応をいただくのですが、まあなんというか、創作というか「人前に自分がつくった何かをさらす」というのは、かなり恥ずかしいことでは

    「露出狂」として生きていくのは難しい - いつか電池がきれるまで
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    elve 2013/11/18
    “……”が○○にみえて何の伏せ字なのか悩んでしまったwダイエレシス付きOと同じコードなのだろうか
  • ある中年男が「寂しいクレーマーおじさん」になった理由 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:寂しい人が小さく文句を言っていた - 続・鹿田内りなこさんのぺえじ 僕はこれを読んで、この「寂しいクレーマーおじさん」に、けっこう同情してしまったんですよね。 いや「哀れんでいる」というのではなくて、「この人と僕は似ている」と思うところがあって。 僕は基的に「大きな声を出す」のが苦手です。 そして、存在感が希薄なのか、ひとりで飲店に入ると、けっこう店の人に気付かれなかったりします(おもむろにを読み出したりするのも悪いのでしょうけど)。 賑わっているラーメン屋とかだと、カウンターで客側から「大盛りラーメン!」とか大声で注文しなきゃいけなかったりするじゃないですか。 でもまあ、そういうところに入ってしまったからには、やっぱりやめた、と出ていくわけにもいかず、意を決して「ラーメンひとつ、くだ、さい……」みたいな感じで、自分なりに大声を出して注文しようとしたりするわけです。 とこ

    ある中年男が「寂しいクレーマーおじさん」になった理由 - いつか電池がきれるまで
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    elve 2013/10/20
    “他人に「そんなこともできないの?」って、よく感じているから。”「よく」は感じないかなぁ。「たまに」だなぁ。自他に厳しい人かー
  • 「ポンコツのほうが、やりやすいです」 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):正しすぎて辛い(はてな匿名ダイアリー) これを読んで、いろいろと考えるところがあって。 このエントリのブックマークコメントを読むと、ああ、ネットで愚痴なんかこぼすもんじゃないな、とは思いますよね当に。 あの、実はですね。僕も5年前にこんなエントリを書いていたんですよ。 参考リンク(2):「正しいこと」の牢獄(琥珀色の戯言) まあ、若気の至りといえばその通りではありますし、いま読むと、かなり恥ずかしい。 いま、40歳も過ぎてしまって、子どもがひとりいて、という状況で、「正しすぎて辛い」を読んで感じるのは、「ああ、こういうのってつらいよね。でも、たぶん夫の側も『正義超人』じゃないんだろうな」ということなんですよ。 そしてたぶん、夫としては「追い詰めている」なんて思ってはいない。 僕にも似たような経験がありまして、で、思い切って言ってみたんですよ。 「そんなふうに正論で追い詰

    「ポンコツのほうが、やりやすいです」 - いつか電池がきれるまで
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    elve 2013/04/10
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