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ブックマーク / stanza-citta.com (42)

  • いろいろクドい話 » 職種別組合と熟練工

  • いろいろクドい話 » 英空軍の飛行機増産計画

  • 帰ってきた真実日記 Ju88計画の規模

    ドイツに四発重爆撃機が育たなかったのは再軍備開始時から「ウラル・ボマー」として四発重爆撃機の開発を開始して、試作を続けた結果、性能的に満足し得る見通しがあった試作第二世代にあたるハインケルHe177計画に対して、強硬に急降下爆撃能力を要求するという愚策によってその実用化を遅らせ、急降下爆撃のために固執せざるを得なかった双子式の大馬力発動機の不具合で量産機の信頼性も低く、事実上戦力とならなかったからだと言われています。 けれども我々は既にイギリス空軍もまた同じような試行錯誤の中で四発重爆撃機の開発を行っていたことを知っています。ドイツとイギリスは両国とも爆撃機の主戦力を双発爆撃機に置こうとしていたこと、四発重爆撃機はイギリスからドイツ土への長距離爆撃を行うための兵器であること、ドイツにとっても四発重爆撃機がイギリス土への空襲を意味するものだったこと、けれどもドイツもイギリスも予算と生産能

  • いろいろクドい話 » 勝ったのは誰か?

    イギリスの航空機工業界は1930年代半ばからの大増産に対応しきれず、1937年度には生産能力の限界に達してしまい、完成機数の伸びが鈍化してしまいます。受注が増えれば操業を強化して夜勤体制を採り、従業員を増やしてどんどん飛行機を作ればよさそうなものですが、それはあまりうまく行きません。1930年代初期までの飛行機生産と軍備拡張時代の大増産体制とでは飛行機の作り方そのものに質的な違いがあるからです。 1920年代から1930年代初期までの軍需産業にとって厳しい時期に細々と受注をこなしていた各社はその製品が機体であれ発動機であれ、少量生産に適応した生産設備と生産方式を採用していました。大雑把に言えば少ない受注を延々とい延ばしながら暮らしていた訳ですから、そこから一転して大増産に向けて動き出すには色々なことを変えなければなりません。その一例に工具の問題があります。 発動機製造には金属を削る切削

  • いろいろクドい話 » 熟練工を徴兵するとどうなるか?

    の航空機工業について「戦時に熟練工を徴兵するような配慮の無さが不良品の山を築く原因となった」という批判をよく見かけます。なるほどもっともな事です。育成に時間の掛かる熟練工を工場から戦場に駆り出してしまえば工場には未熟な新人しかいなくなりますから製造現場はさぞかし混乱することでしょう。そんなことにさえ気づかずただ単に兵隊の頭数を揃えれば良いとする軍部の無配慮が敗戦を早めたのだと説かれると、思わず相槌を打ちたくなります。 しかし、現実は違います。熟練工を徴兵してもしなくても「何も変わらない」が当です。それが証拠にアメリカもイギリスもドイツも工場から熟練工をどんどん徴兵しています。それはなぜでしょうか。 軍備拡張時代初期の1935年から第二次世界大戦突入後の1941年までのイギリスでの主要航空機工業関連会社の就業者数は次の通りです。 1935年 機体関係 15000名  発動機関係 120

  • いろいろクドい話 » 防弾装備は役に立ったか?

  • いろいろクドい話 » 正月特番 「原爆機の邀撃はこんなに大変」 1

    夏休み特番からサボりにサボって再開したとたんに大晦日になってしまいました。けれども、編で続いている核戦略下の地上戦についてよりイメージを深められるかも、と思い、アメリカ空軍の邀撃機とその戦術についてご紹介したく思います。1950年代のアメリカがまだまだ実力が伴わず、ミサイルさえろくに無い揺籃期にあったソ連の核軍備によって、どうして対ソ先制核攻撃を「抑止」されてしまったのか、現場の様子がわからないと腑に落ちないと思うからです。 人間が肉眼で空を見上げて敵機の侵入を発見通報する防空監視哨といえば我が国の専売特許のような気持になりますが、民間の力を借りた肉眼に頼る旧式な哨戒システムを太平洋戦争が終わってからも大規模に存続させた国があります。それはアメリカです。 広大な国土を持つアメリカは全土をカバーするどころか要地を守る防空レーダーシステムさえ、なかなか完成しません。導入案はあっても膨大な数の

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 36 (ワルシャワ条約機構統一軍の「電撃戦」)

    「嵐」演習で検証された西ヨーロッパ侵攻作戦とはひと言で言えば核攻撃の成果を最大限に利用した電撃戦でした。パリまで10日で到達するという破天荒なシナリオに現実味を与える従来にはない要素とは核兵器のみが達成できる一瞬の大規模破壊が生み出すショック効果そのものでした。通常爆弾を用いた戦略爆撃が何ヶ月もかけて達成する仕事を一日で仕上げ、野戦重砲兵が何日かを費やして成し遂げる破壊を一瞬で実現することで生み出された衝撃を利用して無人の野を行くように進撃すること、またはそのような戦いが可能か否かを確かめることが「嵐」演習の目的でした。 最初の核攻撃はアメリカ軍から行われます。ただアメリカ軍の攻撃は既に警戒態勢にあった在東ドイツソ連空軍の偵察機によって即時に察知され、戦闘態勢にあったソ連軍はアメリカ軍の攻撃とほぼ同時に核攻撃を実施します。ただ「嵐」演習の「全面核戦争」とはあくまでもヨーロッパ戦域での全面核

  • 二足歩行戦車は男の夢よのぉ~ぉ

    二足歩行戦車は男の夢よのぉ~ぉ ガサラキいいですなあ。やっぱあのTAすよTA。 なんといっても、あの稼動音がイカス。それと、「戦車に替わる陸上戦力の花」としてのデザインが、ミリタリー野郎的にはいいカンジ。 やっぱ結局はロボットって、戦車に勝てないんですよね。戦車より背が高いし、可動肢があるから、その分ウェイトを落とすために、装甲は薄くしなければならないし、おのずと武装も戦車よりはランクが落ちる。でも、たいがいの人型兵器は戦車と同ランクの120mm砲なんぞを装備していたりしますが。 で、ロボットに兵器としてのアリバイを持たせる場合、もっとも有力なアドヴァンテージになりうるのは「不整地踏破能力」なんですが、それを付け加えた分のコスト上昇をペイすることは出来ないだろうというのが現実の厳しいところで。 架空世界の人型兵器として、一番イイ線を行っているのは、ガングリフォンのHi-MACSです

    emiladamas
    emiladamas 2012/04/15
    つい空挺なら山岳部隊ならとか妄想してしまうわけで。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 31 (戦車1万輌の調達計画)

    今回は西ドイツが戦後、軽戦車を1万数千輌もまとめて発注しようとした、というお話です。 戦車や大砲はアメリカからの供与を受けた新生ドイツ連邦軍ですが、新しい機械化軍の足となる装甲車については当初から独自の方針を堅持しています。最前線までの輸送を主体に考えられたアメリカ製の兵員輸送車はドイツ軍にとって魅力に乏しかったのです。かつての東部戦線で体験したソ連軍相手の機動戦では装甲擲弾兵はできる限り下車せず戦車と共に機動し続けることが最上の策でした。ドイツ軍はそうやって日に日に乏しくなってゆく歩兵戦力の維持に努めた経験がありますから、歩兵を乗せる装甲車には乗車戦闘という要素が不可欠でした。トラックの荷台を低い装甲で囲っただけのM3シリーズや、装甲で覆われているけれども乗ったら何もできないM113では火力に優るソ連軍相手の機動戦に不向きだと考えられていたからです。 完全装甲、乗車戦闘という要件の他にも

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 28 (連邦軍の命名と編成開始)

    アメリカが大量報復戦略を採用するのと平行して、ようやく再軍備が決定した西ドイツ軍の編成が始まります。国民感情に逆らっての兵員募集も大変でしたが、新しい国軍の名前もひと揉めしています。すでに「Bundeswehr(連邦軍)」はマントイフェルが名付け親だと紹介していますが、この名称も素直に決まった訳ではありません。 まず、新しい軍の名称について「Reiciswehr(ワイマール体制下と1934年までのドイツ国軍)」と「Wehrmacht(いわゆるドイツ国防軍)」を避けるという方針で検討が始まりますが、元将軍達だけではなくキリスト教民主同盟の中からも「Wehrmacht」支持や、12個の新設師団に「失われたドイツ都市の名を冠する」(ダンチヒ師団、ケニーヒスベルク師団、ブレスラウ師団など)といった西ドイツ音が垣間見える過激な提案まで出て来る始末で、再軍備を進めるブランク事務局のテオドール ブラ

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 21 (「クルスク戦から学べ!」)

    スターリンの提示した武装中立提案は結果的に挫折しましたが、ドイツの再軍備案に微妙な影響を与えています。NATOの掲げる対ソ防衛計画とは異なる考え方を芽生えさせたという点で武装中立提案は再軍備を計画する元国防軍の高級将校達の胸に響いていたのです。 ヒンメロート会議後にシュヴェーリンが失脚した後、アデナウアー政権はより格的な国防省の前身となる機関を設けます。テオドール ブランク(Theodor Blank)を長に据えたブランク事務局の誕生です。シュパイデル、ホイジンガーといった元将軍達の代表者はこのブランク事務局の下で活動を開始しています。そしてヒンメロート会議の出席者が将軍だけでなく佐官クラスまで含まれていたようにブランク事務局の実務はより若い世代が担当していましたが、その中には戦時中、陸軍総司令部参謀として戦争計画立案に携わった有力な参謀将校としてボーニン大佐(Bogislaw von

    emiladamas
    emiladamas 2011/12/16
    面白いアイディアだけどそりゃ袋叩きにも合うわな。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 20 (スターリン最後の反撃)

    朝鮮戦争が西欧諸国に与えた衝撃は翌1951年後半頃にはすっかり醒めてしまいます。極東の戦争がヨーロッパには飛び火してこないとほぼ確信されたからですが、ドイツ国内の再軍備気運も同時に落ち着いてしまいます。こうした隙を突くようにして提示されたのがソ連からのドイツ中立化提案でした。 西ドイツの再軍備はNATOの傘下に入る前提がある限り西欧諸国にとっては非常に有望な計画でしたが、東側、すなわちソ連にとっては今まで通常兵力で話にならない程に弱体だったNATO軍に西ドイツ軍が加わることは無視できない問題でした。核戦力での劣勢を通常戦力での優勢で補っていたソ連にとって新しい西ドイツ軍の誕生は絶対値として12個師団以上の地上兵力増強と新たな海空軍部隊の出現を意味していますから冷戦の行く末を変える一大事です。 そこで病床にあった晩年のスターリンは最後の取引を持ち掛けます。その切り札は「ドイツの再統一」でした

    emiladamas
    emiladamas 2011/12/12
    “なぜかこのタイミングでアメリカの原爆投下を糾弾する反核平和運動が始まります” つ第五福竜丸
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 16 (機動警察構想)

    爵位を持った将軍でありながら民間企業で働いた経験を持ち、国外での生活が長く、ナチスドイツ陸軍の情報参謀でありながらリベラル派かつ親イギリス派で開戦反対論者、和平工作を睨まれて前線に出されても装甲擲弾兵師団、戦車師団を率いて剣柏葉付騎士十字章の受章者となる戦場の英雄でもあった文武両道のシュヴェーリンですが、他の将軍達とは来るべき対ソ戦に対するイメージが全く異なっています。 「ソ連軍侵攻時には西欧同盟軍の戦線は維持できない」 「現在のドイツ国民には対ソ戦を再び闘う意思がない」 「戦時には西に逃れる大量の難民が奔流となって防衛戦もままならない」 シュヴェーリンの対ソ戦イメージはこのようなものです。戦車師団の英雄でありながらも「最新鋭装備の戦車師団でいま一度ソ連軍と機動戦を戦う」夢を見なかったという点だけでドイツ陸軍の将軍達の中で異彩を放っています。ファーレーズの包囲戦から血路を開いて撤退した時に

    emiladamas
    emiladamas 2011/10/28
    ついT34に立ち向かうブロッケンを妄想してしまう。
  • いろいろクドい話 » D-Dayに飛ぶ旧式スピットファイア

    唐突ですが、1944年6月6日、7日のイギリス空軍戦闘機コマンドの損害を読み上げてみたくなりました。名画「史上最大の作戦」に描かれているように連合国空軍は圧倒的な兵力でドイツ空軍を沈黙させたと言われるノルマンディ上陸作戦ですが、イギリス空軍戦闘機コマンドの損害を拾い上げてみると色々と細かなことに気が付きます。 6月6日 63飛行隊 スピットファイアⅤ(W3443号機) シェルブール沖で対空砲によって被撃墜(友軍スピットファイアによる誤射の可能性有) 164飛行隊 タイフーンⅠb(MN454号機) 薄暮制空作戦にてFw190によって撃墜される。 165飛行隊 スピットファイアⅨ(MK589号機) 薄暮制空作戦にてJu88を攻撃、防御火器で撃墜される 165飛行隊 スピットファイアⅨ(MK751号機) 薄暮制空作戦にてJu88を攻撃、防御火器で撃墜される 168飛行隊 マスタングⅠ(AM225

  • 好古の新潜水艦日記 » Blog Archive » 「P-38」最初の空戦

    今回は陸軍機絡みの戦史の話でも。 アリューシャン方面に最初に出来た米側の飛行場は、ウムナク島のフォート・グレンに「秘密飛行場」として作られた陸軍飛行場であります(同飛行場はウラナスカ島のダッチ・ハーバーから西に約60浬の位置にあり、爆撃機の運用も考慮した全長1,500m、幅30mと実に立派な滑走路を持つ有用な航空基地でありました。…但し日側はアリューシャン作戦開始前の時点で、同飛行場には全く気付いておりませんでしたorz。 さてフォート・グレンの飛行場は一九四二年四月に完成、日側のAL作戦実施に対応する形で五月二二日より同方面に展開する第11航空軍所属の陸軍機の展開が開始されます(同飛行場での作戦行動を開始した六月一日時点で、同基地への展開機数はP-40Eが17機、雷撃機として展開したB-26が6機)。この時期同方面にはP-39/P-40装備の第11と第18戦闘機隊が展開していましたが

  • いろいろクドい話 » イワンのばか

    漫画にあるようなソ連軍イメージはいつ何処で誰が広めたことなのかと言えば、終戦後のドイツ高級将校達の回想録に始まります。 ・質では優越していたが量で圧倒された。 ・戦術は単純な突撃主義だった。 ・督戦隊の恫喝による人海戦術が最大の特徴だった。 ・粛清の影響で野戦将校は無能な者ばかり。 ・戦争後期にはドイツ流機動戦の稚拙な模倣が行われた。 ・そもそもまともな陸戦理論は存在しなかった。 こんなソ連軍イメージが語られて来た訳で、これは別に彼等が嘘を言ったのではなく自分自身がそのように認識していたからなのですが、客観的にはドイツ陸軍がソ連軍に対しての体系的な研究を殆どして来なかったことの単純な反映でもあります。 こうした認識は戦後にドイツ軍に代わってソ連軍と対峙することになったNATO軍にとっても受け容れやすいもので、冷戦時代を通じてソ連軍の陸戦の実相や陸戦ドクトリンに対する表面的な評価はあたかも真

    emiladamas
    emiladamas 2011/06/24
    ブクマしてなかったが結局これにつきる。”ドイツ将校団が何としても認めたくなかった事実は「その量だけでなく理論的にもまったく圧倒されて手も足も出なかった」という厳しい現実です。”
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 7 (「対ソ戦のプロフェッショナル」)

    ドイツの将軍達が戦史を書くのは歴史を重視するプロシア陸軍以来の伝統とも言われます。けれども敗戦後に書かれた回想録は必ずしも事実に根ざしたものとは限りません。ハルダーの下で戦史編纂作業の統括をつとめたホイジンガーなどはどう考えても立ち会っていないだろう場所や部署での会話や状況をまるで自身がその場にいたかの如く書き上げたことで批判されていますが、トップに立つ人物の回想がこの有り様ですから他の将軍達の叙述にもルールに従って大幅に脚色された部分が含まれることになります。 そして1948年頃になるとヒトラーだけでなく、国防軍総司令部のカイテル、ヨードルといったOKWの将軍達も批判の的になり、「諸悪の根源はヒトラーと国防軍総司令部であって陸軍参謀部は純粋に軍事的な組織である」と明確に主張されるようになってきます。「武装親衛隊は戦闘部隊であって一般のヒトラー親衛隊とは区別しなければならない」という武装

  • いろいろクドい話 » 空軍不振、本当の理由

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 6 (ドイツ軍戦記執筆のルール)

    敗戦後、捕虜となったドイツの将官には連合軍からの尋問と戦犯としての裁判が待っていました。ニュールンベルク国際軍事法廷です。この裁判の結果は紹介するまでもありませんが、開廷までの間に被告となった将軍達の弁護資料として大規模な供述書が作られています。 これが「将軍供述書」と呼ばれる文書ですが、この文書は連合軍側からの一方的な尋問によるものではなく、ドイツの将軍達の自主的な主張が将軍達の手でまとめられているところに特徴があります。 序言 ブラウヒッチュ(元陸軍総司令官) 1920年~1933年までのドイツ軍 マンシュタイン及びヴェストファル(元西部軍参謀長) 1933年~1938年3月31日まで ( 同上 ) 1938年春~1942年秋まで  ブラウヒッチュ及びハルダー(元陸軍参謀総長) 1942年秋~1944年春まで  マンシュタイン及びヴェストファル 戦争最終年         ( 同上 )