三洋電機株式会社は、同社の2次電池を太陽光で充電できる「eneloop solar charger(エネループソーラーチャージャー) N-SC1S」を11月21日に、充電式のカイロ「eneloop kairo(エネループカイロ) KIR-S1S」を12月1日に、それぞれ発売する。価格はいずれもオープンプライス。店頭予想価格はN-SC1Sが20,000円前後、KIR-S1Sが4,000円前後。 今回発表された2製品は、同社が2005年11月に発売したニッケル水素電池「eneloop」のブランドを継承し、充電して繰り返し使うコンセプトを中心に据えたもの。同社は新たに「eneloop universe」と名付けたブランドを立ち上げ、今後、同様のコンセプトの家庭用電子機器を複数投入する予定だという。 同社は、コーポレートスローガン「Think GAIA」に基づき、総合家電メーカーから電池、太陽光発
1 :水先案名無い人:2006/10/31(火) 10:12:55 ID:DYPPjGJl0 ?BRZ(5000) 中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい? ◇ふー、びっくりした うーん、今回は簡単だとぼくは思っていた。 だって、中国と韓国はおとなりの国だものね。これからもずっとつきあっていかなければなら ないのだ。この質問のこたえなんて考えるまでもない。けれど、最近の東アジア情勢を、みん ながどんなふうに感じているのか、それが探りたくてこのテーマにしたのだ。 するとあらら、不思議。寄せられたのは厳しい反韓国・反中国のメールばかりだった。なぜな のかしらん? というわけで、今回は多数を占める「しなくていい」派からいってみよう。 「近隣国と友好関係をつくるのは『望ましい』ことであって、『なすべき』ことではない」(住所不明・匿名さん)。 「都合のよいときだけ、新時代にむけて新しい関係を
■おかしいのは私か 例えば病院で治療中に亡くなった患者さんがいれば、物理的に「仕方が無かった」ようなケースであっても、マスコミは医師の責任や医療体制の不備について云々する。小中高校生が授業中の事故で亡くなれば、その生徒が自らふざけていたのであっても、マスコミは教員の責任や学校の責任について云々する。生活保護が受けられず亡くなった人がいれば、マスコミは役所の職員の杓子定規な対応について云々する。そしてそれに基づいて「世間」もそれらを云々する。云々していることの中身やそれを問題にすること自体がどうなのかということはおいといて、マスコミとはそういうものであり「世間」とはそういうものである。公平性とか長い目で見てとか法的にどうかってこととは関わりなく人は情緒レベルであれこれ言うものだし、マスコミもそれに乗じる。 でもなぜか、警察に追いかけられて車が事故る件については、警察の責任を云々してるマスコミ
有田芳生の『酔醒漫録』 ジャーナリスト、新党日本の副代表として挑む日本の根本的転換。その眼から見た日々の雑感を綴ります。「酔醒」は中国の「梁書」にある「酒を飲むこと能はざるも、賓客交遊を好む。終日獻酬して、其の酔醒を同にす」から取りました。 10月29日(日)朝起きて儀式のようにバッハをかける。木村久夫さんの旧制高知高校時代のスナップ写真に挨拶をして、パソコンに向う。机上に置いたファイルから「もうひとつの遺書」の1枚を取り出し、1行づつ読み解きながらキーボードを打っていく。一回の作業にあまり時間をかけないよう注意している。60年前にチャンギー刑務所で遺書を書いている木村さんの真情をこの心の奥深くで受けとめる必要を感じているからだ。脳裏には刑務所の独房で鉛筆を手にしている木村さんの姿がありありと浮かんでくる。気分を変えるために「酒とつまみ」の連載原稿を少しだけ書く。「わだつみ会」の現執行部が
また、ゲーム用のBD-ROMのほか、BDビデオ(BD-ROM)、BD-R/REの再生に対応。DVDメディアは、DVD±R/RWに対応し、VRモード記録(DVD-R/RW)のディスク再生も可能で、CPRMもサポートする。また、AVCHDメディアのサポートも正式に表明している。音楽CDや、SACD(マルチチャンネル/2ch)の再生も可能。 BDビデオディスクはリージョンAに対応。日本のほか、東アジア(中国は除く)、米国で発売されるディスクについては再生が可能となっている。なお、海外の“PLAYSTATION 3”規格のゲームタイトルについてもプレイ可能だが、各仕向地域(リージョン)ごとに動作検証を行なっているため、リージョンの異なるディスクとハードの動作保証は行なわないとしている。 そのほか、PSPとUSBや無線LAN(60GBモデルのみ)経由で接続して、各種ファイルのやりとりが可能なほか、ゲ
■ドーキンスはマチガッテイル系の続き。 南堂氏は、私による具体的な批判には一切反論できず、その代わり「[ドーキンス説を] 批判をしているのではなくて、拡張をしている*1」というコメントをした。「トンデモ」とまで言っておいて「批判はしていない」というのは言い訳にしてもかなりびっくりする部類に入る。アインシュタインがニュートン力学のことをトンデモと言っただろうか。 それに、ある学説を拡張するにしても、その学説を理解しておくべきである。南堂氏のたとえを借りると、フランス料理の仕方を知らないのに、フランス料理を拡張することはできない。フランス料理を作ったことはおろか、フランス料理の本すらまともに読んだこともないのに、「フランス料理はトンデモだ」などと主張し、反論されたら「フランス料理を否定していない。拡張しようとしているだけ」ってのはかなりトンデモだと思うぞ。 南堂氏は、ドーキンスを含めて現代の進
このごろメディア関係者と顔をあわせると、必ず「景気が悪い」という愚痴り大会がはじまる。 紙メディアの凋落現象については、今に始まったことではないが、現在、進行している状況がこれまで経験したことのない事態であるということが徐々にわかりはじめている。 過去にも厳しい時代はあったが、その厳しさは、バブル経済崩壊後に続いた日本経済の長い停滞など、言い訳になる比較的明確な理由があった。実際、これまでの経験則でいえば、日本の大手メディアの広告収入は、日本経済の体温を先行して反映する指標になっていて、現実の景気回復曲線に先立って、テレビ、新聞などの広告収入は増加に転じていた。企業は、景気回復を見込んで、新製品の市場投入や新規投資を行い、そうした先行投資が広告市場に流れ込んでいたからだ。 しかし、事情は変わった。日本経済は昨年から、回復傾向が鮮明となり、今年の春までは日本中が株高に湧いたにもかかわらず、大
以前から漠然と思っていたことなんだけれど、最近、週刊誌や隔週誌でそのペース以外で連載される作品が増えていますね。 すぐに思いつくかぎりでも、「週刊モーニング」の〈天才柳沢教授の生活〉は月一連載。同じく「モーニング」の〈バガボンド〉は単行本一巻ぶん溜まるまで連載しそのあと休載というペース。 その〈バガボンド〉の井上が「ヤングジャンプ」で描いている〈リアル〉は不定期連載。また、山田風太郎&せがまわまきの〈Y十M〉は「ヤングマガジン」で3週連載して1週休むペース。 あと、手塚治虫&浦沢直樹の〈PLUTO〉は隔週誌の「ビッグコミックオリジナル」で月一連載。琴義弓介の〈ナエガユル〉は「ヤングキング」で月一連載しているみたいですね。 それから、いまは毎号掲載されていますが、村上もとか〈仁〉も最近まで不定期連載でした。 そして、荒木飛呂彦の〈スティール・ボール・ラン〉が「ウルトラジャンプ」に移籍するまで
プレジデントファミリーが絶好調だ。今まではこうした男性向けビジネスマンの育児関連雑誌といえば、NEWSWEEKの別冊の独壇場だったのだけれども、それを崩しつつある。こんな本がキヨスクで売られているのだから、おそろしい。北朝鮮問題を除けば、新首相の緊急課題も「教育改革」と言っているほどだから、おそらくこの分野は危機的状況なのだろう。 「ゆとり教育」が実施されたことの悪影響がじわじわと浸透してきたという側面もあるのだろうが、むしろ親子関係のアンバランスさに関して、父親&母親世代がようやく気が付いて、それを様々な形で修復しようとしている雑多な行動が非常に思い白いなと思ってみている。 前々からそういった風潮があったのだけれども、それが身も蓋もなく吹き出してきたのは、昨年辺りからだろうか? 「キレる子供」という表現自体は、すごく前々からあったのだけれども、親が子を敵対視し、それを強権で教育し直さなけ
2006-10-23 - エロ本編集者の憂鬱と希望 グラビアアイドルというのはグラビア、つまり印刷媒体、雑誌媒体に規定されるアイドルなわけだ。であるならば、このグラビアアイドルの変遷も、雑誌という産業構造の変化というものを変数に入れなければ、きちんとした批評が出来ないのではないか。中野晴行は『マンガ産業論』において、マンガを団塊の世代という圧倒的なボリュームの層が支えていた、という考え方を打ち出していたが(http://d.hatena.ne.jp/erohen/20041027)、これはグラビアアイドルも同じことで、グラビアアイドルという存在を支えていたのは、実は団塊の世代と同じ程度の人口インパクトを誇る、団塊ジュニアなのではないか。 慧眼。これは応用範囲が広いのではないだろうか? 明らかに人妻モノの蔓延とか、ライトノベル読者層の一般小説への移行などが見えるのは、実体として巨大マーケット
[mixi] ポエマー姉さん chinya @ ウィキ - 姉まとめ ひどい弟(中学生)がいて、姉(高校生)が数年前に書いていた詩のノートを2ちゃんねる(VIP板)へ勝手に公開したところ、大人気を博したのだという。 正直、ピンとこなかった。高校時代に文藝部に所属した私にとって、新鮮味はなかった。当時とある先生が付属中学(共学)で文藝同好会の会員を募ったら、たった3クラスから6人くらいが応募した。自分の作品を公開してもいいよ、という条件でこの人数なのだ。そして彼女らの作品が、ちょうどこんな感じだった。 ……というわけで困惑気味だったのだが、VIPPERの反応も一緒に収録したまとめを見て印象が一変した。ノイズが加わっただけなのに、これが素晴らしく楽しいのだ。→なぜにまとめると面白くないのか(id:KotoriKoToriko さん) 姉ちゃんの自作詩集発見した 姉ちゃんの自作詩集発見した2 姉
最近の「いじめ問題」の報道についての雑記:ekken いじめの質的変化 - Munchener Brucke 「いじめ問題」の一番大きな特徴は、自殺など被害者が具体的行動に出るまで(あるいは出ても尚)、「いじめが存在しない」ことになっている点にあると思う。 これは大きな事実誤認だろう。この世の中に、「いじめが存在しない」集団など一体何処に存在するというのだろうか。自分の身の周りを見渡してみればいい。そこかしこに「いじめ」、あるいはそれを想起される事象が転がっているはずである。 そう。「いじめが無い学校」こそこの世に存在しないのだ。 学校がスムーズに「いじめ」の存在を認める為には、まず「いじめ」というものが特殊な事態なのではなく、どういった集団、どういった人物においても当然の如く起こる問題だという認識の更新をしなけらばならない。その上で、学校側に求める職務を、「いじめを起こさないこと」から、
いじめ問題に「什の掟」問い合わせ続々という記事より。 北海道と福岡の児童・生徒がいじめを苦に自殺するなど、学校でのいじめが社会問題化する中、江戸時代の「什の掟(じゅうのおきて)」が教育関係者の注目を集めている。 “会津藩が藩校「日新館」入学前の子供たちに唱えさせたおきて”だそうで、全部で7項目あります。 日新館、 Nissin-kan Museumに詳しい説明がありました。 会津藩士の子供は、10才になると「日新館」への入学が義務づけられるが、その以前、6才頃から子供達には藩士としての心得が繰り返し教え込まれた。それが有名な「什の掟」である。いうまでもなく、会津精神の基本だ。 一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ 二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ 三 虚言を言うことはなりませぬ 四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ 五 弱い者をいぢめてはなりませぬ 六 戸外で物を食べてはなりま
■ 昨日、『産経新聞』「正論」欄に、「核論議における『無粋』と『洗練』 再論」という原稿を載せた。「再論」と断ったのだから、同じ題名の「初論」がある。雪斎は、「正論」欄では幾度も「核」を論じている。 ① 核論議における「成熟」と「未熟」 1999年10月26日 ② 「核」論議における「洗練」と「無粋」 2002年6月5日 ③ 「核」論議における「洗練」と「無粋」 再論 産経新聞のサイトには、既に「再論」の、全文が掲載されている。 ①、②を読んでから、③を読んでみれば、雪斎は、この八年近く、同じことを書いていたのだと確認する。。雪斎が11年前に言論活動を始めた折、最初に書いたのが、「『唯一の被爆国』という自閉」というタイトルの論稿であった。「唯一の被爆国」という立場を強調することは、「核」に関して何らかの特権的な「道徳の高み」に立って物事を語れるかのような錯覚を日本国民に与え、結果として
■ ヘンリー・A・キッシンジャーは、処女著作『復興された世界』の中で、「政治家」(statesman)と「予言者」(prophet)という二つの類型を示した。 キッシンジャーによれば、「政治家」は、「現実を創り出す」ことに関心を向ける「予言者」とは対照的に、「現実を操作する」ことを職分とする。 「予言者」は、自らのヴィジョンを最も重視する故に「何ができるか」よりも「何をすべきか」を問う。それ故に、「予言者」は、「政治家よりも人間に対して不寛容になる」のである。 それに対して、「政治家」は、善意や希望が挫折する可能性を常に念頭に置き、最悪事態に備えようとする。「政治家」にとって、第一の大義は、「生き延びる」ということなのである。 キッシンジャーは、「政治家」の事例としてクレメンス・メッテルニヒやロバート・スチュアート・カッスルリーを挙げ、「予言者」の事例としてナポレオンやアレクサンドル1世を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く