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ブックマーク / parupuntenobu.hatenablog.jp (2)

  • 上方で活躍した江戸落語家、東京で活躍した上方落語家 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    私の中で、激しく燃えているわけではないけれど、メラメラと小さな炎が絶えることがない静かなブームが落語になっています。 というか、世間でも1960年代以来の「平成落語ブーム」なんだそうです。落語に(漫才のような爆発的)ブームはない、と言ったのは誰か忘れましたが、私の中の落語ブームのように、小さな炎があちこちであがっているのがいわゆる落語ブーム。 しかし、最近は若手(江戸落語でいう二つ目)に個性的な噺家が出てきているようで、彼らがそれぞれの場所で火を起こしている状態のようです。 落語を生で初めて見たのは約10年前のこと。初期のガンになった知り合いの女の子を、「ガンは笑いでやっつけろ」とばかりに、大阪のNGKでお笑いを見に行きました。 トリが笑福亭仁鶴師匠だったのですが、仁鶴さんとくれば某テレビ番組のMCくらいしかイメージがなく、着物を着て高座に上がる姿に違和感すら感じていました。 しかし口を開

    上方で活躍した江戸落語家、東京で活躍した上方落語家 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • モダンガール、エアガール…昭和の「尖端ガール」たち - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    昭和初期とはどんな時代か。これは政治・経済・文化・・・人によって切り口が変化します。それが歴史の多様性というもので、見方は一つではありません。 その中でも、社会史・女性史という点という観点から見ると、女性の社会進出が急激に広まった時代という見方があります。 女性は家庭に入り家事をやっていればいい・・・そんな古い価値観にヒビが入り始めたのは1920年代、大正末期のこと。 格的な社会進出が始まったのは昭和初期の5~6年頃ですが、その間接的な証拠に、女性の社会進出をもじった新語が、この時代に雨後の竹の子の如く出現しました。1930年前後の流行語辞典を見てみると、 「○○ガール」 という言葉が山ほどあらわれます。1920年代の辞書には全くなく、明らかにこの時代に生まれた言葉ということを物語っています。 大手を振って社会に出る女性たちを世間は、 「尖端ガール」 と呼んでいました。 「尖端ガール」っ

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