どうでもいいといえばどうでもいい話なのだが、社運をかけて退化したまま固定してしまっている朝日新聞を読むたび思う。この新聞がアジびら並みの嗜好性を持っていることはもはや議論の余地はないし、これをガチで信仰している人もあまりいないだろうと思う。実際の購読者でも。が、しかし朝日は朝日なのだ。つまり、問題は、それにもかかわらず、選挙があるわけでなし、この新聞の持つ位置が落ちないことだ。 一般企業なら購買者が減れば困るためにそこである程度の「社会性」が獲得される、社会の動向によって価値観も変わるし、対応法にも工夫がなされる。が、朝日といった集団の場合、購読費といういわば純な利益ではなく、広告のお金がまず大きい。広告は圧倒的な部数減でもなければ減らないだろう。しかし部数減は可能なのか?例えば、圧倒的多数をどこかの誰かが引き受けている限り部数は減らない。こういうことが行われてたりしないのか? いや、でも