タグ

あとで読むに関するennoeaのブックマーク (20)

  • 【俺たちのガンダム】手塚治虫と富野由悠季にかけられた呪い - FREEexなう。

    手塚治虫は思ったより成功してないマンガ家で富野由悠季はワガママに生ききれない人 この記事のポイント なぜ、新作ではなく続編なのか? マンガの神様手塚治虫の苦悩 手塚治虫と富野由悠季の決定的に違うところ 富野由悠季の呪縛は世界そのもの この動画の全長版はクラウドシティと「岡田斗司夫のひとり漫画夜話11月09日号」 / 「《会員限定放送》岡田斗司夫のひとりマンガ夜話 11月9日号 第二部」で絶賛公開中 最近『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』に関して考えたので話させて。 ┃なぜ、新作ではなく続編なのか? ガンダムって、僕は「続編は好きじゃない」という話をしているよね。Zガンダムも好きじゃないしガンダムZZも好きじゃないし、∀ガンダムも今やってるガンダムGのレコンギスタも僕は「好きか?」といわれるとそんな好きじゃないんだよね。 ∀ガンダムは面白かったんだけども「なんでこれガンダムでするの?」

    【俺たちのガンダム】手塚治虫と富野由悠季にかけられた呪い - FREEexなう。
  • アニメーション監督術 第2回 細田守監督:レポート – ANIME'S IMPRESSIONS

    11月14日(土)に[アート・アニメーションのちいさな学校]のアニメーション監督術の2回目を受講しました。 今回は、細田守監督。アニメーション研究家の原口正宏さんが聴き手で進行。 会場は満員でした(40人位か)。(追記:後から聞いたのですが、人数多かったので別の部屋でモニタ視聴の人もいたとの事でした。その人数はわからず) 渡邊隆史さん(アニメプロデューサー)も来ていました。 「サマーウオーズ」の絵コンテをプロジェクターで映しながらの解説等もありました。※記事中に「サマーウオーズ」のネタバレあります。 以下、自分がとったメモと記憶をもとに箇条書きで。話の内容の全てをフォローしていない&できていません。 前回同様、自分で要点をまとめた事で監督の意とは少し外れてしまった点もあるかもしれません。悪しからず。 ●はじめに聴き手の原口正宏さんが編集してきた過去の細田守演出作品を鑑賞&解説 内容は、T

  • 「トップランナー 細田守」の収録を見学した人のメモ - なつみかん@はてな

    細田守 その42より。 間尺の話。これはハウル以降変わったこと。シャープでカチカチパキパキなものを作る事より、もっとゆったりしたもの、考える隙を持たせるものを。 サマウォの日の出の話。アニメだから出来る嘘、ではなく。アニメだからこそ描ける真実。 写真や実写ではそのままの映像を流すことでそのままのものが観客に伝わるが、どう見えるか、どう思えるかなどは観客の心情によって左右される。 ただアニメだと同じ風景を撮ったとしても、演出家の心情によって描写の仕方が変わり、その心情がそのまま観客にも伝えられる。 ロケハンをやって、そのまま使っている部分とそうでない部分があるのはそういう意味。 面白くないものを作ってよく脚家のせいにする人がいるけど自分はそういうことはしたくない 演出というのはいくらでも面白く出来るし、音響・作画その他全ての人に「これをやってほしい」と指示を出していい、何でもやっていい権限

    「トップランナー 細田守」の収録を見学した人のメモ - なつみかん@はてな
  • 【ぷらちな】『かんなぎ』撮影監督・廣岡岳さん「映像に空気感を」デジタル時代の撮影監督とは?

    映像に空気感を――デジタル時代の「撮影監督」とは? さまざまな素材を組み合わせ、モニターに映し出される最終的な画を作り出す仕事――「撮影」。 アニメーション制作にデジタル技術を用いることが一般的になった結果、その作業工程は、無限の選択肢を手に入れ、激変しました。 一部作品を除いて未だ注目されることの少ないその役職の姿を、『蟲師』『地球へ…』に関わり、武梨えり原作/山寛監督の話題作『かんなぎ』にも参加されている気鋭の若手撮影監督・廣岡岳さんに語っていただきました。アニメを深く観るため、また、これからのアニメ作りを考えるために知っておきたい内容盛りだくさんでお送りします。 ■黎明期のデジタル撮影 ――廣岡さんはアミューズメントメディア総合学院に在学中から撮影の勉強をされていたんですか? 当時のCG映像学科でLightwave3D(プロからアマチュアまで広く使われる3DCG作成ツール)やAft

  • AskJohnふぁんくらぶ: 押井ANIMEはこけおどし!(前編)

    質問 押井はしょせんこけおどし。『天使のたまご』はまさに決定的証拠です。インテリ芸術家を気取った84分のマスかきANIMEでした。物語に背骨にあたるものがないだけでなく、ユダヤ教やキリスト経のシンボル図像をこれでもかと押しつけてきます。何を伝えているのか自分でも知らないと押井人が公言しています。つまるところ「映像芸術」のすべてがある「映画」未満の作品、でした。 あれが嫌いだというわけではありません。いわゆる実験芸術系映画としては最高ランクの映像作品だと思います。だけど名前も明確な行動目的もない登場人物にくわえ、少女が眠っている間に彼女の無垢を利己的理由で打ち崩す存在としてキリスト像を持ち出したりする作品を何かの寓話として崇める気にはなれません。『天使のたまご』は映像的には類を見ないほど抜きんでているとしても、中身については果たしてどうでしょうか。もともとメッセージなぞないのだとしたら、何

  • 『耳をすませば』について(1) - metamorphosis

    予告通り、今日から『耳をすませば』について問題にしていきたい。まずは、なぜ今『耳をすませば』を語るのか、ということから語っていきたい。 アニメ『耳をすませば』が公開された年は1995年である。この年に公開・放送された作品で他に注目に値するものとしては、『新世紀エヴァンゲリオン』や『攻殻機動隊』などがあるだろう。僕は、以前にも言ったことだが、1995年というのは大きなメルクマールの年だと思っている。それは、80年代サブカルチャーの終わりを告げる年である。80年代的な何かに終止符を打つ作品が『新世紀エヴァンゲリオン』だったと考えられるのである。そして、このことは、『耳をすませば』にも言えることである。 『耳をすませば』について、極めて不可解な点がある。それは、なぜ、この作品を宮崎駿が監督しなかったのか、ということである。宮崎は、この作品に、かなり積極的に関わっている(少なくとも脚と絵コンテと

    『耳をすませば』について(1) - metamorphosis
  • 『耳をすませば』について(2) - metamorphosis

    前回は、非常に大まかな形で、『耳をすませば』という作品をどういった方向から問題にするのかということを提示しておいた。今回から、具体的に、論を展開していきたいが、まずは、物語という観点から出発したい。 僕は、物語というものを考えるときに、いつも、それを「日常生活」という言葉と対立させる形で考えている。つまり、日常生活がまとまりのない(経験の)断片の集積だとすれば、物語はそこにひとつのまとまりを与えるものである。物語には始めと終わりがある。そこには明確な切断があり、取捨選択がある。場面と場面との間の時間は省略され、短絡させられている。 『耳をすませば』も、当然のことながら、ひとつの物語である。そこには始めと終わりがある。この物語は、夏休みの途中から始まり、冬の初めに終わる。なぜ、夏から始まり、冬に終わるのか? このように問うことに意味があるのも、それがひとつの完結した物語だからである。 物語と

    『耳をすませば』について(2) - metamorphosis
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • nagaitosiya.com

    This domain may be for sale!

  • ロボットアニメの歴史

    ロボットアニメの歴史 目次 ロボットの誕生 ロボットアニメの黎明 永井豪と長浜忠夫 機動戦士ガンダム 太陽の牙ダグラム 超時空要塞マクロス 80年代大ブームの深淵 新世紀エヴァンゲリオン 総  括 ロボットの誕生 ロボットという概念は、それほど古いものではない。1920年に、チェコスロヴァキアの偉大な作家カレル・チャペックが、戯曲『R.U.R(ロッサム社のユニヴァーサルロボット)』で用いたのが最初である。 チャペックの着想に影響を与えたのは、チェコに中世から伝わる「ゴーレム伝説」である。ゴーレム、すなわち「ラビ(ユダヤ司祭)の魔法の呪文で動き出して働く泥人形」が、ロボットの原型になったのだ。 ロボットという言葉自体は、チェコ語の「賦役労働(ラバタ)」から思いついたらしい。 ただし、彼の作品に登場するロボットは、機械仕掛けでも泥人形でもない。遺伝子操作によって造られた人型生命体なのである。1

  • 富野×HJ対談

    永久保存版  巨匠(マスター)インサイド・インタビュー 第1回 「嘘をつかない事・男であり続ける事」 映画監督 富野由悠季氏 記念すべき第1回のゲストは、10年程前に朝日新聞『若者の広場』で「子供の尊放する人No.1」に輝いた映画監督、富野由悠季氏だ。 去る2月21日、サンライズ近くの喫茶店で時間を忘れる程の奥の深いお話。「トミノ哲学」に触れ、その人柄に感動してしまった…。 富野監督にインタビュー 喫茶店の奥の席で上品にコーヒーを飲む紳士…。我々コミックマスター・スタッフ (以下HJ)を案内してくれたサンライズI氏の御紹介でインタビューは始まった。予定時間1時間。しかし、実際には1時間半経っても、話は尽きなかった。その情熱に敬意を表しつつ、インタビューを再現したい。 HJ お忙しい中、ありがとうございます。よろしくお悔いします。 富野(以下T) こちらこそ。 HJ まず

  • みんなオタクになれ - 愚仮面

    趣味ならば選ぶことも諦めることも新たに身につけることも可能だろう。だが、オタク趣味ではない。オタクは生き方なのである。一度オタクとして生きることを選んだならば、もはや違う生き方は存在しない。そういう人間に対して「オタクをやめろ」というのは死ねというのと同じことである。だが、非オタがオタクをただの趣味だと思っているかぎり、それは理解してもらえないだろう。そして「オタクとわたしとどっちが大事なの?」と無邪気な刃を向け続ける。 (柳下毅一郎 田透「電波大戦」あとがきより) ということで今回も「検証・若者の変貌―失われた10年の後に」の内容をまとめていきたいと思います。しかし毎度毎度ねえ、何かしらのを取り上げてでしかモノ語れませんで、お前はそうでなきゃ考えられねえのかっつうアレでねえホント…('A`) さて、今回はまず「音楽」について。なんで音楽が取り上げられるかと言うと、少なくとも02年

    みんなオタクになれ - 愚仮面
  • アニメーション学科 吉松孝博氏インタビュー/アミューズメントメディア総合学院

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 作画雑談!キレるドラ - 批評家もまた批評さる

    1980年ごろのTV版ドラえもんを見てみました。 いやー面白い。最高! 時代性なのか、みんなの演技がなんともぶっきらぼうでゆるくて、 絶妙なギャグアニメです。 とくにのぶ代さん演ずるドラが近年のものとは違って 傍若無人な感じややんちゃな感じが出ててすばらしいっす。 ドラ発言集。 ひみつ道具を口に入れるのを「ばっちい」とためらうしずちゃんに対し 「なんだよ気分悪りぃな、嫌ならいいんだよ?」の一言。 冗談を真に受けて出かけてしまうのび太に対し 「おいおい、裸の王様の話を知らないのかよ!」とのぼやき。 作画の話をすると、おそらく当時の一般的な作画(70年代のなごりが残ってる) がされてるだけなんでしょうが、どうも金田絵に見えてしまう・・ ビョーキだ(笑)。 しずちゃんが金田的美少女に見えたり、「ネズミとばくだん」の サスペンスなアオリの構図が金田作画に見えたりするビョーキ。 金田作画の影響がいつ

    作画雑談!キレるドラ - 批評家もまた批評さる
  • 「啓示」と「神話」と「エウレカセブン」 : 藤津亮太の「只今徐行運転中」

    2006年11月21日04:06 カテゴリ仕事書籍 「啓示」と「神話」と「エウレカセブン」 『グレートメカニック』21号の「総括! 始まりは最終回」で取り上げた「交響詩篇エウレカセブン」の原稿です。タイトルは……微妙だったのでここでわかりやすく付け直しました。 「啓示」と「神話」と「エウレカセブン」 『未知との遭遇』と 『エウレカセブン』の関係 映画『未知との遭遇』の主人公ロイ・ニアリーは、ある夜、UFOと遭遇してしまう。その日から、彼の人生は一変する。頭の中からUFOとある地形のイメージが離れなくなってしまったのだ。 こんな体験をなんと呼べばいいだろうか? SF的に解釈するのなら、ロイはUFOが発したメッセージを直接脳で受け取ったということになるのだろう。だが、ここでは映画の持つ呪術的側面に敬意を払って、もっと象徴的にこの体験を解釈したい。ロイは「なにかものすごいものを見る」という一種の

    「啓示」と「神話」と「エウレカセブン」 : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
  • 灰かぶり姫の灰皿 : エウレカセブンをリスペクトする(1) - livedoor Blog(ブログ)

    2006年04月02日05:17 カテゴリ作家と作品たち エウレカセブンをリスペクトする(1) 1/29放映の第40話からオープニングが変わりましたね。とにかくよく動くクリップで、各方面で好評みたいです。四期を通して、このシリーズはそれぞれに力の入った主題歌に恵まれたように思っていて、少し結末の行方が仄見えるようでも、やがて視聴者を包むだろう喪失感が予告されているようでもあるリリックにも、作り手の行き届いた演出を感じていました。 夢心地の朝一番に/差し込んだ光と終わってしまう恋/ 明日からは別々の道/ て そんな突然心の準備が出来ない/ 縮まらない 何かを僕らは知っていたの? (「sakura」/ ニルギリス) きっかけを発見するのにさほどの時間は必要ないのであって、はみ出した「/て/」の一文字が引き受ける作詞者の構成への意志に気付き思わず微笑んでしまうよりさらに早くさえあるかもしれない。

  • 灰かぶり姫の灰皿 : エウレカセブンをリスペクトする(2) - livedoor Blog(ブログ)

    2006年04月02日05:16 カテゴリ作家と作品たち エウレカセブンをリスペクトする(2) このポップな記号を二人はいつどこで習い覚えたのだろうという、不安な読みがある。このイメージは過去には登場してはいないし、かつてある時サクヤとエウレカの視野の中にあったそれが、この夢の中で(私たちはもうこの言葉の扱いに注意しだしたほうがよい)レントンやノルブを想う描かれた感情とともに読み出され再演されたのだと、物語上の時間軸に収まりよく理由付けることは難しい。私たちの眠りや夢にかかわる想定とは無関係に、端的にこのイメージはフィルム上に突然現れる。作品を作り上げる上であらゆる水準での外部への参照を集積しつつも、しかしその構成されたストーリーがイメージ=記号に物語的整合性を充填しようとする一点においては、ためらいなく張り渡された参照の線を取り払いフィルムへの自由な描き込みが選択される。作り手たちのこの

  • 「なんのためにロボットを出すのか」という問いへのヒント : 藤津亮太の「只今徐行運転中」

    2006年12月13日10:09 カテゴリ仕事書籍 「なんのためにロボットを出すのか」という問いへのヒント 「グレートメカニック」17号の「特集 2005年春夏のメカ・モード」の冒頭用として書いた原稿です。同誌21号でも特集「80's ROBOTS」の冒頭で、またロボットアニメについて語っています。こちらも近いうちにアップします。 「なんのためにロボットを出すのか」という問いへのヒント ちょっと気が早いかもしれないが断言してしまおう。'05年のロボットアニメ界隈における最大の批評的行為は、まちがいなくあの1/1スコープドッグ(正確にはスコープドックブルーティッシュカスタム)だ。 誌でも紹介済みだから、1/1のソレそのものについては細かく触れることは、ここではしない。だが、1/1の鉄塊が持つ圧倒的なマッスは、僕ら視聴者がブラウン管のメカに対して「リアルだ」とか語っていることの質的な浅はか

    「なんのためにロボットを出すのか」という問いへのヒント : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
  • こわれた人間 - 地を這う難破船

    眠気の都合から、乱暴かつ簡単にしか記せない。が、いま記しておくべきだろうと決めた。分節化を放棄して中間の脈絡をスキップしまくってでも。11月2日付エントリ『表象の吸血鬼』の関連。要は『交響詩篇エウレカセブン』の話でしかないが、射程はその先を見据える。ただ現在、射程の線上に位置する可能性について展開する余裕はない。なお、この件に関しては同じことなので、『エウレカ』のアニメ版とマンガ版を区別しない。 『エウレカセブン』において、アネモネとエウレカは「人間性の壊れた者」として現れる。否「人間性を最初から喪失した者」――これも正確でない。つまりは「人間でない者」として彼女達は登場する。人間でない者が人間性を持ち合わせないのは当然である。そして年間シリーズの50数話を費やして、彼女達は持ち合わせていなかった人間性をついに獲得する。失っていたのか奪われていたのか知らないが、美しくがらんどうな戦闘人形

    こわれた人間 - 地を這う難破船
  • 1