「上人が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能く上人の為人を表すと共に、真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の本質を示すものではなかろうか」

castlecastle のブックマーク 2023/12/31 20:30

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西田幾多郎 愚禿親鸞

    余は真宗の家に生れ、余の母は真宗の信者であるに拘(かかわ)らず、余自身は真宗の信者でもなければ、また真宗について多く知るものでもない。ただ上人(しょうにん)が在世の時自ら愚禿(ぐとく)と称しこの二...

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