2018年10月9日のブックマーク (3件)

  • ニュースの社会科学的な裏側: ジェンダー論をやっている社会学者は“被害者”

    社会学者の千田有紀氏の何度目かの炎上騒動の最中なのだが、「市民的公共性」と言う単語を濫用して突っ込みを受ける*1ばかりではなく、自分は権威なのだから素人は学識を疑うなと言う姿勢の過去の発言が槍玉にあがっている*2。 今回の事例だけではなく、他分野から見て根拠をよくつけられていない主張を社会学者がすることは多く、社会学と言う学問への疑問が渦巻く自体になっている。しかし、千田有紀氏の議論に関しては、社会学と言うよりはジェンダー論に内在した問題に思える。 1. ネット界隈で露呈するジェンダー論界隈の主張の脆弱さ ネット界隈ではお気持ち表明と揶揄されているが、ジェンダー論者はその程度の論理しか構成できない。 小宮友根氏は相関と因果の見分けがついていなかった*3し、古谷有希子氏のときは彼女がまだ院生であることを加味しても、周囲の社会学者はあれだけ初歩的な間違い*4を指摘することなく、むしろ擁護してい

    ニュースの社会科学的な裏側: ジェンダー論をやっている社会学者は“被害者”
  • オタクの表現様式と、「オタク左翼」の不可能性(2/2)

    前世紀末から2000年代には、成人向けの美少女ゲーム、エロゲーがオタク文化の最前線となり、この領域でいわゆる「萌え」表現の様式が大いに発展、整備され、あらゆるオタクジャンルに波及していったのであった。今日ではあらゆるオタクジャンルが「エロゲ化」した結果、エロゲー自体はその役割を終えて、衰退したのだと言ってもよいかも知れない。 古参のオタクなどには、ポルノ中心主義とも言える今日のオタクカルチャーに違和感を表明する向きも見られる。そこには、ほんらい「お色気」的な要素は、客寄せのサービスで、表現作品の質たりえないはずだという意識もあるように思われる。あるいは、売れないクリエイターが、ポルノで糊口をしのぐというような古典的なポルノのイメージというか。 しかし結論から言えば、広義のポルノこそオタク文化の主題である。ポルノ的欲求は、人間の最も私的な領域に属する事柄であるから、ポルノ表現を前面に押し出

  • オタクの表現様式と、「オタク左翼」の不可能性(1/2)

    初期のオタク文化の時代は、まだ世の中に、一般人も社会問題に関心を持つべきだという左翼的な(保守主義者達は、人がその分限、職務を超えて政治的であることを好まないという点で)考えが世間に残っていたので、オタクとしても、そういう態度をとる傾向にあったのである。なまじオタク文化をいつかは世間に認められるものにしたいという野心のあるオタクほど、その必要を感じていた。「ゴジラのテーマは反核」「ガンダムは反戦」などという解釈、主張は、そういう空気を背景としたものであった。しかしこれは今日からみるとやはり滑稽に見える。これらの作品の一番力が入っていて、見どころとなる部分が、取ってつけたような政治的言及には無いことは明白だった。この問題は、作家がどういう意図でそれを作ったかということではなく、実際の作品がどうなっているかという話である。別の言い方をすれば、作家が言葉の上だけで考えたことではなく、芸術家として