ブックマーク / number.bunshun.jp (10)

  • 「自分の責任」「きつかった」今季60戦目の浦和レッズは限界を超えていた…TV中継なきクラブW杯4位、25年“新装大会”でのJリーグへの要望(飯尾篤史)

    チームの広報に付き添われ、遅れてミックスゾーンにやってきた伊藤敦樹は、目を真っ赤に腫らしていた。 無理もない。前半25分に喫した2失点目の要因は、自陣ゴール前で彼がボールを奪われたことにある。一方で後半9分のPKによる同点ゴールは、彼のクロスをブライアン・リンセンが頭で合わせて相手のハンドを誘ったものだが、そんな事実はなんの慰めにもならないようだ。 「今日は勝てた試合だったと思いますし……自分の責任だと思っています」 荻原「この大会で自分がチームに残せたものは…」 同じくミックスゾーンで憔悴した様子を見せた荻原拓也は、試合の感想を求められてもすぐに返答できなかった。 後半20分からピッチに立ったが、後半27分にホールディングの反則を取られてPKの判定が下される。GK西川周作の好セーブによって失点は免れたものの、チームの反撃に貢献できなかった。 しばらく考え込んだ荻原は、なんとか言葉を絞り出

    「自分の責任」「きつかった」今季60戦目の浦和レッズは限界を超えていた…TV中継なきクラブW杯4位、25年“新装大会”でのJリーグへの要望(飯尾篤史)
  • 《破竹の11連勝、地獄の地域CLを突破》JFL昇格クリアソン新宿の守護神・岩舘直が「飛び込み営業」しながら目指した“原点”(飯尾篤史)

    実力拮抗の関東サッカーリーグ1部を制し、今季からJFLの舞台に歩みを進めるクリアソン新宿。「地獄」と評される地域CL、入れ替え戦を勝ち上がっていく様子は、マンガ顔負けの快進撃だった。そんなチームを最後尾で支えてきたのが守護神・岩舘直(33歳)だ。J1浦和などJリーグで8年間プレーするも、公式戦出場はなし。つまり彼のキャリアには「0」が並ぶ。稀有なサッカー人生を歩んできた男に、新たな挑戦への想いを訊いた(全2回の1回目/後編へ) J2の水戸ホーリーホックに2年半、J1の浦和レッズに5年半在籍したGKの岩舘は現在、クリアソン新宿という社会人チームでプレーし、運営会社である株式会社Criacao(クリアソン)で働いている。 元Jリーガーが自転車で飛び込み営業!? 社内での所属は地域共創室。岩舘にとって大事な仕事のひとつが、新宿におけるクラブの認知度を上げるためのポスター掲示の依頼だ。 「区内全域

    《破竹の11連勝、地獄の地域CLを突破》JFL昇格クリアソン新宿の守護神・岩舘直が「飛び込み営業」しながら目指した“原点”(飯尾篤史)
  • フェラーリ、新幹線、大阪メトロ…凄腕“世界的デザイナー”は、なぜJ2山形の新エンブレムを「代表作」と呼ぶのか?(生島洋介)

    「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ

    フェラーリ、新幹線、大阪メトロ…凄腕“世界的デザイナー”は、なぜJ2山形の新エンブレムを「代表作」と呼ぶのか?(生島洋介)
  • 下田アナの絶叫が心揺さぶる理由。「20回言い間違えたとしても……」(飯尾篤史)

    Jリーグや海外サッカー中継で人気を博す実況アナウンサーの1人、下田恒幸氏。代名詞とも言える決定機での“絶叫”は一度耳にしたら忘れられないインパクトを持つが、どのようにしてその実況スタイルは築かれていったのか――。生い立ちからターニングポイントとなった試合について語りつくした、渾身のインタビュー。 サンバを思わせる軽快なテンポも、抑揚のあるしゃべり方も、まるで良質な音楽を聞いているように心地良かった。 スタジアムに熱狂が訪れた瞬間の、爆発的な絶叫さえも――。 「ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!!」 遊びたい盛りにもかかわらず、友だちに別れを告げ、地球の反対側で暮らすことになった小学3年生にとって、ラジオから流れてくるサッカー中継は何よりの楽しみで、極上のエンターテインメントだった。 もちろん、ポルトガル語など理解できない。だが、それでもスタジアムの風景が、ピッチ上の情景が、あ

    下田アナの絶叫が心揺さぶる理由。「20回言い間違えたとしても……」(飯尾篤史)
  • 「スポーツで子供達に夢を」って?湘南・梅崎司が見つけた、その答え。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    真のプロフェッショナルとは何か。 子供達に夢を与えるということはどういうことなのか。 31歳にしてその真髄に達しようとしている男がいる。それが湘南ベルマーレのMF梅崎司だ。 今季、10年間所属した浦和レッズから湘南に完全移籍した彼は、若手主体のチームにあって、ベテランらしからぬ溌剌としたプレーと、ベテランらしい落ちついたプレーを織り交ぜ、中心選手として活躍している。 1人のベテランプレーヤーとして、梅崎は今年「当の自分を取り戻し、新たな自分と遭遇する年」と決めて、不退転の覚悟で湘南の地を踏みしめた。一昨年、昨年は怪我の影響もあり、選手層の厚い浦和において控えに回ることが多くなり、試合に投入されるのはいつも後半途中から。 しかも、その交代にしてもファーストチョイスではなかった。起用されるポジションは得意とするトップ下ではなく、ウィングバックでの起用が多かった。 「気持ちとしては試合に飢えて

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  • 27歳で、ついにフルシーズン完走。湘南・山田直輝が語る怪我と代表。(杉園昌之)

    完全復活では満足できない。今年2月、新しい自分になることを誓っていた。 「かつての姿に戻っても、停滞だと思う。もっともっと上を目指す。今季は見ててください」 10月29日、湘南ベルマーレの黄緑色に染まったBMWスタジアム平塚のゴール裏で、J2優勝のシャーレを両手に抱えた山田直輝は、無数のフラッシュをたかれ、充実の笑みを浮かべていた。 「チームの目標は達成できた。J1昇格が決まるまでは長い1年だったけれど、いまとなっては短く感じる」 大雨のなか、興奮冷めやまぬ様子でシーズンを思い返した翌日。晴れやかな平塚の朝、リカバリートレーニングを終えると、落ち着いた口調で自らの1年を振り返った。 「自分自身、変われたと思う。1シーズンを通し、試合に出て、昇格に貢献できたので。それは、ケガをしないで1年を過ごせたということ。個人の目標も少しは達成できたかな」 18歳で代表デビューも、度重なるケガに泣いてき

    27歳で、ついにフルシーズン完走。湘南・山田直輝が語る怪我と代表。(杉園昌之)
  • AFCが済州に下した処分を検証する。日韓サッカー騒動史に新たな視点を。(吉崎エイジーニョ)

    6月9日、韓国の『スポーツソウル』紙が第一報を報じた。5月31日のアジアチャンピオンズリーグラウンド16第2レグ、浦和レッズvs.済州ユナイテッド戦での暴行の処分だ。 ・試合中、警告累積でレッドカードを受けたチョ・ヨンヒョンに6カ月の出場資格停止。制裁金2万ドル。 ・試合終了直前に阿部勇樹に暴行したぺク・ドンギュに3カ月の出場資格停止、制裁金1万5000ドル。 ・試合後、槙野智章を追いかけたクォン・ハンジンに2試合の出場資格停止と制裁金1000ドル。 ・済州のクラブ側に制裁金4万ドル。浦和にも制裁金2万ドル。 これまで大きくは議論されてこなかったチョ・ヨンヒョンへの処罰とその重さは意外なものだった。アジアサッカー連盟(AFC)は後半36分にチョがファウルで退場し、なおかつ試合後の乱闘にまで参加したことに対して重い罰を課したとみられる。第一報が載った『スポーツソウル』は「済州は異議申し立てを

    AFCが済州に下した処分を検証する。日韓サッカー騒動史に新たな視点を。(吉崎エイジーニョ)
    envygreedlust
    envygreedlust 2017/06/10
    諸外国では異民族・異文化の人々が「共存」しているけど決して混じりあっているわけではない それぞれが「没交渉」と「憎悪」を行ったり来たりするだけ 今回のケースもそう、「混ざれる」と思うのは傲慢なのかもよ
  • 鈴木啓太が語りつくした引退と浦和。「だけど、寂しさがあるとすれば……」(寺野典子)

    「浦和の男で始まり、浦和の男で終わります」 2015年11月22日リーグ最終戦。すでに浦和レッズを去ることが決まっていた鈴木啓太は、自身の退団セレモニーで、現役を引退することを発表した。事前に漏れることなく「自分の言葉でサポーターへ伝えたい」という鈴木の決意表明は突然だった。 その後チームはチャンピオンシップ、天皇杯を戦い、鈴木の現役生活は2016年の元日まで伸びることに。そして年が明けた2016年1月10日、改めて引退会見が開かれ、その壇上に座った彼はにこやかな表情で、16年間に及んだ現役時代にピリオドを打った。 ――今日は1月19日なんですが、現在の心境はどのようなものですか? 「『これからやることがたくさんあるな』という感じですね。カレンダーを見たときに、真っ白なんですよ。『24時間すべて自分のペースで過ごせる!』というのが、嬉しいですね。サッカーを始めて以降、そんな風な日常があまり

    鈴木啓太が語りつくした引退と浦和。「だけど、寂しさがあるとすれば……」(寺野典子)
  • 勝点63のG大阪が2位、72の浦和が3位。その順位表にサッカーへの愛はあるか。(近藤篤)

    11年ぶりに復活した不可思議なチャンピオンシップは、サンフレッチェ広島の勝利で幕を閉じた。 広島が勝ってよかった。誰もがそう言う。もしかしたら、ガンバ大阪のファンでもそう思った人がいるかも知れない。理由は一つだ。これで広島が負けたら洒落にならなかったから、である。 実際のところ、広島にも負ける可能性はあった。もしオ・ジェソクの軽率な退場がなかったら、CSはどんな風に展開していたのだろうか? セカンドステージ優勝、年間1位、勝ち点74、得点73、失点30。歴史的とも言える数字を残したチームがもし、でもJリーグ王者ではないんです、となってしまっていたら、今頃僕たちサッカーファンはどんな議論を交わしているのだろうか? サッカーに対する愛情を欠いたように見える順位表。 例えば、こんなことだって起こり得たのだ。 JリーグのオフィシャルHPを訪ねて、順位表のところをクリックしてみてほしい。1秒も経たぬ

    勝点63のG大阪が2位、72の浦和が3位。その順位表にサッカーへの愛はあるか。(近藤篤)
    envygreedlust
    envygreedlust 2015/12/11
    近藤さんは経歴的にも昔からの・昔気質のサッカーファンですね / 私も埼スタ・メインアッパーの席で見てました / まあ、一旦、当該レギュレーション下で戦ってしまった後では何を言っても負け犬の遠吠え、ですね
  • 元コロンビア代表の日系人がいた!道工薫、90歳のサムライ蹴球人生。(北澤豊雄)

    コロンビアのバランキージャ市で現在も仕事を続けている道工氏。その眼差しは「サムライ」の文化を思わせる精悍さを湛えていた。 コロンビアのサッカー元代表に日系人がいたことはあまり知られていない。国内屈指の名門「サンタフェ」でキャプテンマークを巻いた男は、1951年にコロンビア代表に初招集され、左サイドバックとして背番号6を背負った。今年で90歳を迎えた道工薫(どく・かおる)は、日戦を前に何を思うのか。コロンビアで話を聞いた。 元コロンビア代表選手だった90歳の日系人。 コロンビアの首都ボゴタを高速バスで北上しておよそ22時間、赤茶けた大地の先にスモッグで煙る高層ビル群が見えてくる。人口約186万人の工業都市バランキージャ市は国内第4の都市だ。道工はバランキージャ市の「日・コロンビア友好協会」会長として繁華街のやや外れに事務所を構えている。目の前の通りには布地屋やボタン屋や雑貨屋が軒を連ね、

    元コロンビア代表の日系人がいた!道工薫、90歳のサムライ蹴球人生。(北澤豊雄)
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