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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

    esbee
    esbee 2008/05/25
    ハードというか、対象のパターンには興味を持ってもその根幹となる部分には関心を示さない(あえて無視する?)のがオタクの特徴のひとつかもと考えた。/言葉が想起するイメージってなくなり難いよな。田舎とかしかり
  • なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜウェブは資主義を越えていくのか 池田信夫「ウェブは資主義を越えていく」(ISBN:4822245969)を読んだ。書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。 資主義社会の前提は、資が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資家だから、資の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96 これによってITの世界では、資家と労働者を区別している「資」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれ

    なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    esbee
    esbee 2007/07/08
    ネットが力を増すがゆえに存在感が大きくなるリアルの部分とはなんだろうか。アマゾンとか?
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