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ブックマーク / econ101.jp (6)

  • ジョセフ・ヒース「学問としてのマルクス主義はなぜ凋落したのか」(2024年9月15日)

    先日投稿した「ジョン・ロールズと西洋マルクス主義の死」(原文はここ、邦訳はここで読める)という記事が、このブログ(In Due Course – substak)に投稿してきたこれまでのどのエントリより数倍も多くの読者に読まれた。私はこの事実を突き付けられ、最近の人が何を読みたがっているのかについて、自分が根的に何も分かっていないことを認めざるを得なくなった。これほどたくさん読まれると分かっていたら、このエントリはもうちょっと違った形で、カジュアルさを落として書いていただろう。 具体的に言うと、先のエントリは、私の人生の一時期に政治哲学の分野で起こった1つの論争を説明しようとしただけだった。西洋マルクス主義の運命について全般的な説明を行おうとしていたわけではなかったのだ。そこで私が述べたのはある意味で、(少なくとも哲学者の間における)マルクス主義理論へのとどめの一撃である。だが、マルクス

  • ノア・スミス「TikTok はいまも言論を抑圧している」(2024年8月26日)

    このまとめ記事のシリーズ23回目で,中華人民共和国に批判的な言論を TikTok が抑圧しているのを示すとてもしっかりした証拠に触れておいた: ネットワーク伝播研究所 (NCRI) による新研究で,[中国がプロパガンダ目的に TikTok を利用しているという事態は]すでに起きており,しかも非常に実質のあるかたちでなされていることが裏付けられた.Instagram と TikTok に投稿されたショート動画のハッシュタグを比較することで,どの話題を TikTok のアルゴリズムが押し上げたり抑圧したりしているのかを把握できる(…).一般的な政治的話題(BLM,トランプ,中絶など)に関わるハッシュタグは Instagram に比べて 約 38% の人気を TikTok では得ている.ところが,中国共産党にとって差し障りのある話題の――たとえば天安門事件,香港の抗議運動,一斉検挙などの――ハッ

    ノア・スミス「TikTok はいまも言論を抑圧している」(2024年8月26日)
  • ノア・スミス「ベーシックインカム研究でさらにがっかりな結果」(2024年7月23日)

    3週間前の記事で,デンバーで行われたベーシックインカム・プロジェクトから得られた少々がっかりな研究結果に注目しておいた〔日語版〕.さて,今度は,イリノイ北部とテキサス中部で実施されたはるかに巨大で長期的なベーシックインカムの無作為化対照実験の研究結果が出てきた.Vivalt et al. の論文から,主な研究結果の要旨を引用しておこう: 研究では,所得の変化が原因となって人々の雇用に関わる多種多様な項目に生じた影響を検討する.そのための実験として,低所得の個人から無作為に対象者を1,000名選出し,無条件に1ヶ月あたり 1,000ドルの現金給付を3年間続けた.また,対照群として,2,000名の参加者を選出し,1ヶ月に 50ドルの給付を続けた.研究では,詳細な調査データ・行政記録・専用スマホアプリからのデータを収集した.現金給付によって,対照群に比べて給付を除外した個人所得の総額は 1

    ノア・スミス「ベーシックインカム研究でさらにがっかりな結果」(2024年7月23日)
  • タイラー・コーエン 「『ゼロサム思考』と米国における政治的な分断の淵源」(2022年12月26日)

    稿では、「ゼロサム思考」という文化的・心理的な属性の原因(起源)と帰結を探る。人生をゼロサムゲームと捉える「ゼロサム思考」によると、誰かが得をすると他の誰かが損をすると見なされる。稿では、 米国で暮らしているおよそ15,000人に対して聞き取り調査を行い、各人の「ゼロサム思考度」、政治観および政策観、家系に関する膨大な量のデータを収集した。ゼロサム思考度の高さは、政府の重要性についての見方だったり、再分配政策の有用性についてだったり、移民の効果についての見方だったり、政治的な立ち位置(左派、右派)だったりと強い相関があることが見出された。さらには、各人のゼロサム思考度の高低は、その人の両親や祖父母がどんな経験をしたか――親が祖父母よりも高い地位にいけたかどうか、両親や祖父母が経済面でどのような苦労を味わったか、米国に移民としてやってきた家系かどうか、両親や祖父母が移民と交わる機会が多か

    タイラー・コーエン 「『ゼロサム思考』と米国における政治的な分断の淵源」(2022年12月26日)
  • ニック・ロウ 「ところで、『政府の予算』と『家計の予算』ってどこがどう違うの?」(2017年10月27日)

    おそらくあなたも目にしたことがあるだろう。 経済学に疎い素人が「政府は、家計と同じように、収入の範囲内で暮らさなくちゃいけない」みたいな発言を口にしているのを。そして、経済学者がその発言主を指さして嘲笑し、「そんなのは誤謬だ」と断罪しているのを。 さて、質問だ。「政府の予算」と「家計の予算」ってどこがどう違うんだろう? その違いって重要なんだろうか? これらの問いに私なりの回答を寄せるのが今回のエントリーの目的だ。「教育的な」側面を持つエントリーといっていい。 「政府の予算」と「家計の予算」を分(わ)かつとされる違いのうちで、質的にも量的にも重要な意味を持つ違いって果たしてあるんだろうか? 私にはその点が明らかじゃないのだ。 1. 政府は、強制力を行使して(あるいは、強制力を行使する可能性をちらつかせて)収入(税収)を増やすことができる。家計は、そうはできない。 この違いは、政治絡みで重要

    ニック・ロウ 「ところで、『政府の予算』と『家計の予算』ってどこがどう違うの?」(2017年10月27日)
  • ノア・スミス「格差は縮みつつあるのかも」(2023年1月2日)

    “Piketty’s Lecture 1” by European University Institute, CC BY-SA 2.0. そうでありますように 近頃あんまり聞かなくなった名前といえば,トマ・ピケティだ.2013年に,かのフランス人経済学者は『21世紀の資』刊行でいっきに世間の人々に知られるようになった.同書でピケティが述べた主張は,ようするにこういうものだった――「外的な要因がはたらかないかぎり――戦争や大規模な政府の行動による介入がないかぎり――資主義はおのずと格差をどんどん広げがちだよ.」 その主張を要約したのが,あの有名な “r > g” だ.この式は,簡潔でいて多くを物語っている.それは,資の利益率 (r) が経済全体の成長率 (g) を上回っていると,格差は機械的に開いていくってことだ.ピケティによれば,20世紀前半に格差が大きく開いていたものの,大恐慌と

    ノア・スミス「格差は縮みつつあるのかも」(2023年1月2日)
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