人生は、中年を過ぎていくあたりから、砂時計にも似ているように思えてくる。あるいは、昔見た映画館での長い映画フィルムのようなものかもしれない。生まれた瞬間からカメラは回り始め、私たちの日常を、そして感情の機微を、余すところなく記録していくが、普段、私たちは、その撮影者と人生という物語の仕上がりに意識することはない。映画館の暗闇の中で、スクリーンに映し出される物語に夢中になっている観客のように、日々の生活に没頭している。が、ふとした瞬間、ハッとする。クライマックスはもう過ぎている。フィルムの残りが少なくなっている。 それは、若い頃のようには身体が思い通りに動かなくなった時かもしれない。長年親しんだ作家や歌手など、さらに身近で親しい友人が人生というスクリーンから姿を消した時かもしれない。あるいは、鏡に映る自分の姿に、フィルムの劣化、色褪せ、ノイズを見た時かもしれない。死んだ父に似た顔や死んだ母に