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歴史に関するfaintmemoryのブックマーク (6)

  • 【公式】アパグループ|APA GROUP

    弊社ホテル客室に設置している『当の日歴史 理論近現代史』等について、南京大虐殺を否定するものだとして批判的に取り上げる動画がインターネット上にアップされたことをきっかけに、昨日からご意見やお問い合わせをいただいていますので、ここで弊社の見解を述べさせていただきます。 ご指摘のあった書籍は、当の日歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日語の他に、英語訳も付いています。 書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、書籍は

  • Amazon.co.jp: 新版 朝鮮カルタ: 牛辺さとし: 本

    Amazon.co.jp: 新版 朝鮮カルタ: 牛辺さとし: 本
    faintmemory
    faintmemory 2015/09/04
    友好も反目も、相手を知って初めてできること。これらのことわざがねつ造でないのなら資料としての価値を有しており、もし事実と異なる部分があれば出版後、誰でも読める状態を維持した上で反論/擁護すればよい。
  • 早く自虐教育をやめさせないと: 中山なりあき オフィシャルブログ

    去る3月8日の私の国会質問がネットで騒がれているようだ。NHKがYou Tubeの画面を削除したというので更に騒ぎが大きくなっていると聞いた。私は中国韓国が「歴史を直視して未来志向で」という決まり文句に我慢がならない。これは、日が侵略国で中国や朝鮮に多大な被害をもたらし、従軍慰安婦や南京事件は実在のものであるということを確定した上で、だから日は永久に中国や朝鮮に謝罪し続けなければならないという事を言いたいのだ。 これらのことを捏造したのが日の朝日新聞であり、拡げたのが日教組であり、情けないのは、それを許したのが自民党であるという事だ。 私は、日維新の会の議員として質問に立ったが、自民党ではなかなか言えないことも言えたという意味で、私が維新の会にいることの意味もあるのかなと思う。 今回は、創氏改名と従軍慰安婦の問題を取り上げ、創氏改名は強制では無かった、朝鮮女性を強制連行した事実は

    faintmemory
    faintmemory 2013/03/14
    ここまでツイッターでの言及数732。はてブ数2。
  • アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia

    アメリカ同時多発テロ事件アメリカどうじたはつテロじけん、英: September 11 attacks)は、2001年9月11日にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃[4][5][6]。9.11事件(きゅういちいちじけん)や、9.11(きゅうてんいちいち)などと呼称される場合もある[7]。 一連の攻撃で、日人24人を含む2,977人が死亡[8]、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドル(日円換算1兆1465億9500万円)のインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した[9][10]。アメリカ歴史上、最も多くの消防士と法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった[11]。また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が勃発し、世界規模での対テロ戦争が始

    アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia
    faintmemory
    faintmemory 2012/12/08
    放送自粛曲など
  • 民主党がどうしても韓国に謝罪したい理由:イザ!

  • 桶狭間の戦い - Wikipedia

    今川義元の墓(明治9年(1876年)5月建立)桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市)内 桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と今川義元軍の合戦。2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が陣を奇襲、または正面から攻撃し[2]、今川義元を討ち取った。 戦後、東海地方を制圧していた今川家が没落する一方、織田信長は尾張を完全統一したうえ畿内制圧へと台頭するきっかけとなった。松平元康(徳川家康)は三河で独立を回復して信長と清洲同盟を締結し、これが戦国時代の転機となった。 合戦の経過[編集] 合戦以前の情勢[編集] 15世紀末、駿河国の今川氏親は勢力を拡大し、駿河・遠江に領国を形成する[3]。後継の氏輝の死後に、花倉の乱と呼ばれる領国を二分する内紛が発生するが、その子である今川義元が内紛を鎮めて今川

    桶狭間の戦い - Wikipedia
    faintmemory
    faintmemory 2008/08/10
    「どうでしょう」のおかげで興味を持った。どうしてくれる。
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