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2020年4月29日のブックマーク (4件)

  • 休業に応じぬパチンコ店 経営者「店名公表は乱暴すぎる」(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、自治体から休業を求められるパチンコ店。全国で要請に従わない店舗が問題視される中、現在も営業を続ける福岡県内のパチンコ店の男性経営者(44)が28日、西日新聞の取材に応じた。同県は29日、要請に従わない店名を公表する方針。男性は「やり方が乱暴すぎる。社会全体が『パチンコ店を悪』とする風潮に恐怖を感じる」と訴える。 【動画】「涙が出た」コロナ終息願う動画、ネットで話題に 男性が経営する店は、政府の緊急事態宣言に伴い県がパチンコ店などに休業要請した今月14日以降も、午前10時~午後11時の通常営業を続けている。 男性によると、感染防止策として使用するパチンコ台を半分にし、使用済みの台の殺菌作業や店内の換気を徹底。従業員と客にマスク着用を義務づけ、マスクを持っていない客には無料配布する。多数の客が来店しないよう宣伝用ののぼり旗も撤去した。「お客さんは台と向

    休業に応じぬパチンコ店 経営者「店名公表は乱暴すぎる」(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
    false_alarm
    false_alarm 2020/04/29
    客にマスクを無料配布してるというのに驚く。マスク目当ての客もいたりして。昔通院してた内科クリニックでは、高熱でやっとの思いで着いたら、マスク持参しろと追い返された思い出。
  • 「家に居ろ」が通用しない。新型コロナに悩む歌舞伎町の現実 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    歌舞伎町は悩んでいる。「また昔に戻るだけじゃん。地下に潜ればいいよ」なんて諦めの声も聞こえる。 僕は1997年からホストとして歌舞伎町の人間になった。ホストクラブのキャストから経営側にまわり、「Smappa! Group」の会長として歌舞伎町でホストクラブ、バー、美容室など16店舗を経営している。 新型コロナの感染拡大に注目が集まってきた3月から社内で教育してきたのは「0か100かじゃない」ということだ。 「どんな状況でもお店を営業したい」、「営業なんてするのは絶対におかしい」。どちらの極端にも付かず、その考えに至る「過程」について、しっかり考えることを大事にするという方針をとった。 そして、約2カ月近く経って、その方針でやってきたことの大変さが身に染みている。しかし、最初からその難しさは覚悟していたし、それが私の仕事だと思っている。 この文章では、コロナに関連して私が経営する店舗で取って

    「家に居ろ」が通用しない。新型コロナに悩む歌舞伎町の現実 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
    false_alarm
    false_alarm 2020/04/29
    ハームリダクション
  • 「家に居ろ」が通用しない。新型コロナに悩む歌舞伎町の現実 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    歌舞伎町は悩んでいる。「また昔に戻るだけじゃん。地下に潜ればいいよ」なんて諦めの声も聞こえる。 僕は1997年からホストとして歌舞伎町の人間になった。ホストクラブのキャストから経営側にまわり、「Smappa! Group」の会長として歌舞伎町でホストクラブ、バー、美容室など16店舗を経営している。 新型コロナの感染拡大に注目が集まってきた3月から社内で教育してきたのは「0か100かじゃない」ということだ。 「どんな状況でもお店を営業したい」、「営業なんてするのは絶対におかしい」。どちらの極端にも付かず、その考えに至る「過程」について、しっかり考えることを大事にするという方針をとった。 そして、約2カ月近く経って、その方針でやってきたことの大変さが身に染みている。しかし、最初からその難しさは覚悟していたし、それが私の仕事だと思っている。 この文章では、コロナに関連して私が経営する店舗で取って

    「家に居ろ」が通用しない。新型コロナに悩む歌舞伎町の現実 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
    false_alarm
    false_alarm 2020/04/29
    ハームリダクション “何かを批判して自分の小さな道徳心を満足させて終わっても仕方がない。”
  • はじめまして|黒沢ともよ|note

    ジャムと言ったらブルーベリー。 アイスはやっぱりバニラがいちばん。 定番のものがわりと好きなくせに、"組み合わせ"となるとこだわりこだわりばっかりでちょっとおすまし顔が好き。 それがわたし。 大波乱の翌年つまり、東京ディズニーランドに『トゥーンタウン』ができたその年に生まれ、 ひとりっ子を良いことにちやほやちやほやそだてられたわたし。 初恋は幼稚園の時。鼻水がひたすら垂れてる男の子でした。双子だったんだけど、2人ともすごい鼻水が垂れてた。どちらかというと鼻水が少なめのこの方が好きでした。そんなわたし。 小学校のときには舞台に立つのが楽しくて楽しくてもう記憶のほとんどは演劇でした。中学の途中で一度ただの女の子に復帰したものの長続きせず高校に入ってからじわじわと歌ったり演じたりを再開。 2020年、24歳になったいまは、紆余曲折あり、いつのまにかいつのまにか"俳優"とかって言っていただける立場

    はじめまして|黒沢ともよ|note
    false_alarm
    false_alarm 2020/04/29
    ともよ様