豊臣秀吉(1537~98年)が、子飼いの戦国武将・ 脇坂安治 ( わきざかやすはる ) (1554~1626年)に宛てた書状33通が見つかり、兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館などが21日、発表した。 24通は1590年の天下統一前のもので、この時期の文書がまとまって見つかるのは珍しいという。研究者は「天下人を目指す秀吉の動きがわかる史料」としている。 書状は、安治を祭る神社関係者が保管していたが、市が2014年に購入し、東京大学史料 編纂 ( へんさん ) 所が修復した上で、解読した。京都の御所などの資材調達役だった安治に対し、「材木を60本」「早く40本出せ」と指示を繰り返し、北陸への進軍に同行を望んだ安治に、「 可為曲事候也 ( くせごとたるべくそうろうなり ) (けしからん)」と、叱責する記述もある。1585年には、追放した家臣1人について、「信長の時代のようには甘くない」とす