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socialogicに関するfenethtoolのブックマーク (7)

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  • 第6回 情報環境研究のキーワード「繋がりの社会性」 | WIRED VISION

    第6回 情報環境研究のキーワード「繋がりの社会性」 2007年7月 5日 ITメディア コメント: トラックバック (1) (濱野智史の「情報環境研究ノート」第5回より続く) これまで数回に渡って、Twitterとニコニコ動画を事例に挙げながら、「擬似同期型アーキテクチャ」についての考察を行ってきました。残す論点は、インターネットはもともと「非同期性」をウリにするコミュニケーション手段であったにも関わらず、なぜここにきて「同期的」なコミュニケーションを実現するアーキテクチャが出現し、多くのユーザーを獲得しているのか、というものでした。今回はこの論点について、「繋がりの社会性」という情報環境研究のキーワードを参照しながら考えてみたいと思います。 ■6-1:情報環境研究のキーワード「繋がりの社会性」 「繋がりの社会性」とは、社会学者北田暁大氏によって提出された概念で、連載でも大きく依拠してい

  • カネも居場所もない。でも生きなきゃいけない~『「生きづらさ」について』 雨宮処凛・萱野稔人著(評:清野由美):日経ビジネスオンライン

    雨宮処凛がプレカリアート界のジャンヌ・ダルクとして中央論壇に登場した時、彼女の心身が、社会学者や知識雑誌の編集者らによる“うための言説”の餌にされないことを、老婆心ながら祈った。 1975年生まれ。中学時代のいじめられ体験に始まり、自殺願望、ビジュアル系バンドの追っかけ、そして右翼運動から労働者運動へと、ドロップアウトを繰り返しながら展開されてきた人生。そんな経歴を彩るキーワードと、ゴスロリ・ファッションとのミスマッチは、いかにも現代社会の「何か」を象徴していそうだ。ニートやフリーター問題を、書斎から論じる知識人にとって、彼女が体現する「何か」を勝手自由に解釈していくことは、かなり誘惑的な作業だったはずだ。 書も最初、一抹の不安を抱きながら読み進めた。が、対談の相手である若き哲学者、萱野稔人の姿勢が誠実で的確だったゆえに、プレカリアート問題にさほど詳しくない私にも、内容が理解しやすく

    カネも居場所もない。でも生きなきゃいけない~『「生きづらさ」について』 雨宮処凛・萱野稔人著(評:清野由美):日経ビジネスオンライン
  • 顧客満足疲弊のデススパイラルは止められるか - socioarc

    顧客満足疲弊のデススパイラルは止められるか Business | Society 製品・サービスが成熟し、機能による差別化が困難になる中で、デザインやサービスの体験といった機能価値から体験価値による差別化を狙うことはごく普通になりつつある。中でも顧客満足、顧客満足を超える顧客感動を追求します、はどの企業も言ってることであり、単に言葉上の「顧客満足」「顧客感動」にはもはや差別化する余地は小さい。しかし、やらなければ競争に負けかねない。 一方で、こうした過剰な顧客満足の追求が、顧客満足主義に慣れ増長したモンスター顧客化の時代の中では、現場の労働者の感情労働(=高度な感情コントロールや期待される感情の提供を求められる労働)の度合いを高め、サービス残業を増やし、現場の疲弊を招いている可能性がある。 長時間低賃金で客や会社や社会の悪口を言わず顧客満足主義で働くことに同意しなければ「非国民」と判断され

  • 「でき婚」という日本的システム - ohnosakiko’s blog

    先日友人宅のパーティで会ったドレスメーカーの人と話していたら、こんなことを言っていた。 「近頃、ウェディングドレスの貸衣装屋さんが大変なんですよ。でき婚が増えてるでしょ。サイズが合わないから直さないとならないんです、ウエストとか」 ほお‥‥。もちろん流行りのチュニック風など、妊婦の着られるドレスもあるにはある。だがそれだと、いかにもでき婚ですと言っているように見えて気になる。まだそれほどお腹の目立たないうちに、ウエストが絞られたお姫様ドレスをどうしても着たいという人は多いらしい。でもサイズはやっぱり合わないんですよね。 晩婚・少子化の蔭で増える、できちゃった結婚。そう言えば夫の親戚にも一人いる。 実は結婚したことは知らされてなくて、たまたまその親の家を訪ねた時に、突然生まれたばかりの赤ちゃん(お孫さん)の写真を見せられた。その場に親戚以外の人もいたので「いつ結婚したの?」とは親戚としては聞

    「でき婚」という日本的システム - ohnosakiko’s blog
  • 「ウェブ社会の思想」/鈴木謙介 - 空中キャンプ

    鈴木謙介のは、「カーニヴァル化する社会」をいぜんに読んだだけで、他のは読んだことがなかったのですが、最近になって、鈴木氏(以下チャーリー。でもなぜ彼はチャーリーと呼ばれているのか…)のラジオをよく聴くようになり、それきっかけでも読んでみることにしました。とてもおもしろく読めました。関係ないけど、チャーリーはラジオ向きのいい声をしているとおもう。 こので論じられているのは、あたらしいテクノロジーに支えられた社会において、あらためて選択や自由という行為の意味づけ(または、公共圏や民主主義といった概念の定義)が変わってくるのではないか、ということである。個人情報管理型の社会という前半の論点は、ここ最近の東浩紀の議論を踏まえているように感じました。後半の、共同性や民主主義といった論点については、大澤真幸に近い印象がありました。もちろん、他にも参考にしている論はあるとおもいますが、特に大澤の

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