はじめに 古代河内湖のほとり #猪飼野津 といわれた低湿地に鎮座する #御幸森天神宮。入植した渡来の移民たちはここから広大な河内の国のクニづくりを始めたのかも知れません #仁徳天皇 目次 御幸森天神宮(大阪市生野区桃谷3丁目) 御幸森天神宮 境内 アラハバキ解 第51章公開 住吉大社と仁徳天皇陵の祭祀空間 本文 御幸森天神宮 御幸森天神宮(大阪市生野区桃谷3丁目) 御幸森天神宮(みゆきのもりてんじんぐう)は、古代河内湖のほとり、猪飼野津(いかいのつ)といわれた低湿地帯の開拓地だったところ。 御幸森神社の位置(グーグル地図と色別標高地図) 桜が満開の季節のころのお詣り。 四天王寺から北東に約2キロ。今は御幸通り-昭和世代まで疎開通りと云う人が多かった-南北路に沿って鎮座しています。(太平洋戦争の終盤、大阪も空襲が増え、奈良方面に疎開する市内の小学生が、ここを通ったことからその名で呼ばれていま