15年前の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故。 放射性物質がまき散らされ、原発から半径30キロ圏内の南相馬市原町区では多くの住民が大型バスで町外へ避難した。そんな町に取り残された人たちがいた。 物流が途絶え食料が底をつく中、介護老人福祉施設「福寿園」では寝たきりの利用者を助けるため「全員の遠方避難」に踏み切ったのだ。しかし、身体的負担もあり避難直後から利用者の死亡が相次いだ。 交錯する「葛藤」と「混乱」。後悔は15年たった今も胸に突き刺さる。あの日あの時、混乱の裏側で何が起きていたのかー。当時の現場を知る2人が重い口を開いた。 動き出す危険運転の見直し「命の重みを反映させて」2人の娘の命を奪われた遺族の26年 福島県の太平洋側、浜通りの北部に位置する南相馬市。 2011年3月11日、最大震度6弱の地震が突然、街を襲った。 沿岸部では津波が襲来し、1,158人(地震・津波・関連死含む)を

