この数年「地方分権」や「地域主権」の話が盛んだが、自分はその国が地方分権的な体制を選択するかどうかは、その国の「国情」によるとしか言いようがないと考えている。ドイツや北欧、アメリカなどが地方分権的な体制であるのは、これらの国の歴史的な成り立ちを振り返れば理解可能である。こうした国は、領邦や教区、結社の伝統があったり、ボランティアやNPOが盛んであったりなど、地方分権体制を支える社会的な条件が存在している。それに対して、今の日本で「地域主権」を唱えている人たちは、それを支える基盤に何を想定しているだろうか。自分はさっぱりわからない。例えば、スウェーデンの地方分権制度を賞賛する人は、「コミューン」と同等の機能を果たし得るものが、今の日本に見出すことができるとでも考えているのだろうか。 そもそも、日本で語られる地方分権や「地域主権」というのは、「脱霞が関」以上の意味を持っていない。「地域主権」を