ブックマーク / meltylove.hatenadiary.com (25)

  • 御機嫌日記 - 世界は称賛に値する

    ▼▼初めて行った街並みを眺めながら、わくわくする。初めて遊ぶボードゲームに、うきうきする。愉悦と快楽が待っていそうな予感に、胸が踊る。初めての出会いを前にした時だけじゃなく、既知のものに対して、妙に──改めて、わくわくうきうきできてしまう瞬間、というのも、けっこうあるかなあ。▼▼というような時も「出会い直している」雰囲気がある、って思った。初対面的な空気が出がちだ。認識刷新的な空気である。 ▼▼ともあれ、楽しそう、ウキウキワクワク、という時の気持ちや雰囲気を、うまく言葉にできたらよい、残しておけたらよいな、と思っているところは、かなりある。特にうまくなりたいと思っているところ、とも言えそうな気がする(満足できる描写があまりできてなくて後悔的に引っ掛かっていることが多いところ、とも言えそう)。人様の、楽しみにしている瞬間の言葉が、異様に好きだ、ということも言えるだろう。実のところ「人様の言葉

    御機嫌日記 - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2017/01/16
    ジュンク堂は削り取る、というかんじがしますね。
  • 手段と目的の下地 - 世界は称賛に値する

    ▼▼諸行無常。▼▼時間は常に流れている。世界はいつだって過程だし途中だ。というのが世界の通常体で、けれど、すべてがプロセスだ、と思っていると、評価ができないし認識だってしづらい。だから、人間側の都合で、ある一瞬を、ある一点を、切り取る。程よいところで世界を停止させて、そこだけを見る。移り変わりゆくステップの中で、ある特定の段階を、ピックアップし、特別視する。というような「瞬間」が、目標やゴール、目的、として扱われたりもするのだろう。 ・目的と手段をはき違える ・結果が大事とプロセスが大事 ・成果主義や努力主義(あと能力主義?) ・および、損益計算書(P/L)と貸借対照表(B/S)にまつわる考えかた ▼▼などなどにまつわる混線があるように思えたので、整理がてら書いた。特に、世界の何が「目的」となりえるもので、何が「手段」になりうるものなのか、ということが、以前からけっこう迷いどころなのだよな

    手段と目的の下地 - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2016/12/09
    いっしゅんだけぱっと視界が広がるときがあって、それは言ってみれば区切りの時、なのかもしれない。
  • 側面コレクション - 世界は称賛に値する

    ▼▼ブログやツイッターでスターの沢山つけられた人様の文章を見ていても、最近新しく出来たお店の運営コンセプトを見ていても、好きなお笑い芸人のネタを見ていても、、うわ、この頭の使いかたスゴイな! 言われてみればこんな切り口ありうる! けどぜんぜん思いつかなかったぜ! と、驚かされている。▼▼思考の隙を衝かれて驚くことの多い日々だ。っていうのは年齢を重ねても変わらないな、とも思う。思考の隙ってぜんぜん撲滅できない。 ▼▼視野狭窄に注意しつつ、複数面を見るようにしよう、と心掛けていても、多数視点を完全に支配下におけるような百眼的視点は持てないものだな、ということを、日々改めて思うのだった。ほんとうにいくら注意しても隙が残る。 ▼▼物事の別側面──物事の持つ様々な面、を、並立的にぜんぶ見てやろう、とかするならば、異なる複数の背景、の下で、対象の物事を見ることができればよいのだろう、と現状は判断してい

    側面コレクション - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2016/01/01
    私はシンさんのその姿勢に新年早々感動しました。
  • 説明のための具体例 - 世界は称賛に値する

    ▼▼判りやすく納得して貰えるための具体例ふたつみっつ考え出してみましょうよ、というような段階に来ると、途端にめんどうくさがりやがる。めんどうくさがって無意識に無言のまま避けているところがある、って改めて自覚した。人様のほうを向いて言葉を書いてみる、ってことを踏まえて言うなら、割りと致命的な弱点では? とも思った。 ▼▼抽象的な状況設定が思い浮かんでいる時なんかに、ぴきーんと閃いたりすると、よく陥っているんじゃないかなあ。抽象化プロセスの中で得た着想を具体化させるのをめんどうくさがるのだ。▼▼だからまあ、逆に、具体的というか日常的な状況の中で、ふわっと閃いた時、ならば、具体的なものには最初っから辿り着けているわけで──具体例を労せずすでに手に入れることができているわけで、結果として、何となく判りやすい形で説明ができてますねー今回は、ってことが起こってたりもんじゃないかな? って思ったりもした

    説明のための具体例 - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/11/27
    具体例っていちぶぶんをフォーカスしてるだけなので、そこから導き出される全体像が本来のものと重なるのかというと、もうそれはギャンブルな気がする。
  • 作文の心掛け - 世界は称賛に値する

    ▼▼読書感想文にはあらすじばっかり書かない。社会科見学について作文を書く時なんかは時系列に出来事を書き連ねていくだけという形にはしない。好きなもの、という題名で作文を書くなら「ぼくの好きなものは──」とは書き出さない。というか「私は」「ぼくは」というような素直な主語の書き出しをそもそも使わない。というようなことを考えながら作文を書いていたし、今も思ってるな、って思った。 ▼▼つまり、それは下手なやりかただ、って思っていた、し、今でも頭の片隅では思っている、ということでもある。そういう意識が残っている。 ▼▼今でも残っているせいで、そういった傾向が文章の中に窺えた時に、今でも少し見下してるところがあるかな、とも思う。見縊っているところがあると思う。下手なやりかただ、っていう風情で見てるところがある。 ▼▼現段階まで至れば、それでもなお、とか、そのあたりを一周して、というような形状で、つまりそ

    作文の心掛け - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/11/15
    逆にすべてのセオリーを守った文は前衛的なのかもしれない。
  • 『文章読本の名著90冊から抽出した究極の文章術』 - 世界は称賛に値する

    ▼▼文章に関する解説書を読んだ時に、この著者は「文章が見せうる力の一つである“このあたり”に関する専門家と言えそうだなー」なんてふうに思えることがある。文章が見せる、様々な性質、様々な側面、ごとに、プロフェッショナルがいる、とでもいうような印象があるのだ。あるいは、文章が見せうる効果ぜんぶを掌握できている解説者、なんて滅多におらず、無数の語り手達は、それぞれ、じぶんが得意としているところ──各位が巡り逢えた経験に従って実感できているところ、について、語っているに過ぎない──運命的にマスターすることのできた領域一つを足掛かりにして、手の届くところに、スポットライトを当てているだけ、なんて思ったりしているのであった。 ▼▼というような印象の流れに乗っているので、無数の「文章術」話を収集し、おのおのが光を当てている「得意分野」の話を組み合わせてみたら、最強の文章術が作れちゃうんじゃ……! なんて

    『文章読本の名著90冊から抽出した究極の文章術』 - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/10/17
    「究極」なんていかにもまずしい。
  • 最近買った本[2015年9月中旬] - 世界は称賛に値する

    経済学の考え方 (岩波新書) 作者: 宇沢弘文出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1989/01/20メディア: 新書購入: 4人 クリック: 25回この商品を含むブログ (33件) を見る▼▼経済学史、って最近かなり好きだ。素敵な解説書に数冊ほど巡り逢ってこれたせいもあるだろう。同じ匂いを感じた。経済学は、ほかの学問と比べて、解析するための眼差しや技法の歴史上での更新、が判りやすい気がする。学説更新の流れがほんと楽しい。 17歳のための世界と日の見方―セイゴオ先生の人間文化講義 作者: 松岡正剛出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2006/12/25メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 25人 クリック: 162回この商品を含むブログ (139件) を見る▼▼軽く立ち読みしてみたら、居ても立ってもいられない雰囲気が出たので、買った。最近の興味と合致したと言える。日史と世界史、哲

    最近買った本[2015年9月中旬] - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/09/23
    「考える練習」は「だからベケットを読めってことだよね」というのが印象に残ってる。それまでの流れぶったぎりで言っていた。
  • 日常乱雑文章(箇条書きというには長い) - 世界は称賛に値する

    ▼▼日常は、様々な要素が乱立している。並行し、同時進行している。ごった煮というか支離滅裂というか、ごちゃごちゃで、ぐちゃぐちゃで、しっちゃかめっちゃかである。というのを描写してる日記ってあんまり書いてないなと思った。改めて認識すると、多少の欲は湧く。書いてみたくなる。 ▼▼言葉にする、整理する、というプロセスの中で、現実や実感や経験、から、少しずつ乖離していくところが、やはりある。これを引き留めようとして、喧嘩するというか、抗う、争う、ギリギリのところを理解し、踏みとどまって、利潤最大化を目指す、というような動きが、つまり、文学、なのかな、って思った。とはいえ、利潤最大化なんていうような「判りやすい姿」を見せちゃうと、また、文学から離れる気もする。 ▼▼言葉を尽くすこと、単純に切り分けて判った気にならないこと、が、実感と言葉の乖離を避けるやりかた(の一つ?)だ、と思っているところはある。し

    日常乱雑文章(箇条書きというには長い) - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/09/16
    文章はいっぽん道でだから、日常のごちゃごちゃを出すには意識してごちゃごちゃにしなきゃならないが、そうすると読んでいる方は「ごちゃごちゃして読みづらい」となっちゃう。写真みたく書ければ。
  • 言語性とストーリー性と感想の書きやすさとか - 世界は称賛に値する

    meltylove.hatenadiary.com ▼▼言語的芸術と非言語的芸術を比べたら、言語的な芸術の感想文のほうが好きかも、楽かも、得意かも、なんてふうに書いた昨日の日記を、改めて読み返していて、複数、思いついたことがあったので、箇条書き的に記録しておく。 ▼▼言語的芸術、というものを思い浮かべる時に、小説、を思い描いていたところが結構あって──つまり、小説が見せてくれる「ストーリー性」というものを織り交ぜて念頭に置いていたところがあって、なんていうか、言語的芸術の感想の書きやすさ、と、ストーリー性を持っているものの感想の書きやすさ、を、ちゃんと区別できていなかったところがあるのでは? 誤認混じってんじゃん? というのを、まず思った。 ▼▼言語的芸術、を思い浮かべていた時に、小説ばかりでなく、新書や学術書、などまで想像に混ぜていた雰囲気があったりもしていて──つまり、言語表現されてい

    言語性とストーリー性と感想の書きやすさとか - 世界は称賛に値する
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    fktack 2015/08/28
    ストーリーはなんていうか、表現係というより宣伝係という気がします。
  • 論理的、って言葉のとき見るところ(助詞) - 世界は称賛に値する

    ▼▼論理的、っていう言葉を聞いた時、即座に出てくる心象、って、主語と述語の間にねじれがありますねえ……、なんて話題が話されている時の、「主語と述語の置かれかたに問題があることでねじれてしまうもの、違和感が出る狂いかた」──逆に「主語と述語の置きかたや形状を変更することで真っ直ぐと比喩できる雰囲気に直せるもの」──言葉の繋がりや流れを感覚的に見做してみせる「線」のようなもの──。 ▼▼だったりするなー、と、昨日の日記の中で気づいた。 ▼▼論理的、論理性、にまつわる話は、野矢茂樹著書、に教えを受けてるところがかなり強くあって、論理ってのは接続詞を見るべし!と理解してたのだけど、改めてじぶんの挙動を眺めてみたら、助詞ばっかり気にしてた、次第であった。 ▼▼接続詞による言葉の繋がりと、助詞による言葉の繋がり、の対比、してみよう。

    論理的、って言葉のとき見るところ(助詞) - 世界は称賛に値する
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    fktack 2015/07/26
    「しかし」て頭につけると、もうそれだけで目的果たしているぶぶんありますからね。助詞にも今後は注目してみます。
  • ことばのデッサンの整理(昨日の整理) - 世界は称賛に値する

    ▼▼文章におけるデッサン、っていう概念を昨日は思いついて、書いた。が、文章でデッサンする、っていう概念に対する認識は、改めて見直してみたら、だいぶ雑だった。粗く物事を書こうぜー、くらいの雰囲気で想像してただけだった。けれど、粗い文章を書くだけで「絵画におけるデッサン」になるわけではなくない? と思えてきた。 ▼▼粗い文章(認識の解像度が?論理の接続が?)を書いてみたところで、とにかくただ粗いだけであって、デッサンではないだろ、というか……。絵画のデッサンは別に「粗い絵画」ではないだろ、というか……。 ▼▼ことばのデッサン、ってものを考えようとするなら、粗さにばかり着目しててもぜんぜん駄目、って思ったのだった。 ▼▼「ほぼ日刊イトイ新聞」の対談内で出ていた「文章を書くことの、デッサンにあたる部分って、なんなんだろう」って切り口が、むしろ大切なのでは? って思った。 ▼▼粗く書くことでことばの

    ことばのデッサンの整理(昨日の整理) - 世界は称賛に値する
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    fktack 2015/06/24
    言葉は書いたそばから完成形ですからなにを持ってデッサンか、て考えるのは楽しそうです。
  • 文章、デッサン - 世界は称賛に値する

    ▼▼絵画におけるデッサン、のように、言葉でデッサンする、ってのは? よい? 言葉の素描、は、文章訓練になったりするかなー? なんてふうに、特に新鮮でもないような気のする発想が浮かんで、いやいやというかじぶんが文章を好きになる切っ掛けの一つであった『文章表現400字からのレッスン』って書物が、そもそも「言葉のデッサン」にまつわるものだったろ、と思い出した。極めて好きなだ。言葉を書く動機のまわりに今も鎮座している。 文章表現400字からのレッスン (ちくま学芸文庫) 作者: 梅田卓夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2001/02メディア: 文庫購入: 10人 クリック: 79回この商品を含むブログ (66件) を見る▼▼目の前にあるものを、精緻に観察し、じぶんの内面から出てきてくれたものを──認識と思いの断片を、精密に記録して、文章を組み立てる。▼▼とことん見つめることの大切さ、と、そ

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    fktack 2015/06/22
  • うまいことゴールに繋がる脇道が見えるよう待つ言葉使い、と、言葉による整理 - 世界は称賛に値する

    ▼▼理解と理解の隙間、論理と論理の隙間、意味と意味の隙間。などなどの「空隙」を軽やかに滑らかにぬって進んでくれるような「新たな道」を、開拓してみせるべく──見出し見通してみせるべく、現状所持している情報を、脳内に置き、再検査なども加えて、あとはただ待つ! 新しき道が見えるであろう角度に意識が傾いてくれるのを待つ! というような切り口で言葉が出てくるのを待っている時が、わりとある。 ▼▼前述のような「言葉の使いかた」をしてる時って、言葉で整理する、と言えるような言葉に対する視線、じゃなくなってたりするような? とふと思った。 ▼▼言語化によって整理しようぜ、とかすぐ言うけど、ほんとうに「整理」志向で言葉を書けてる時ってじぶんはわりと少なくない? っていう疑問を持ったのだった。言語化文章化による整理が綺麗だ、と言えそうな、かの文章とは、なんか調理法が違うように見えない? 的な問題意識、だと思う

    うまいことゴールに繋がる脇道が見えるよう待つ言葉使い、と、言葉による整理 - 世界は称賛に値する
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    fktack 2015/06/15
    どうやら頭の中にあるのは言葉じゃないっぽい、というのが最近の私の感覚です。
  • 『哲学の道場』中島義道──普通の言い回しこそ常識の住処 - 世界は称賛に値する

    哲学の道場 (ちくま文庫) 作者: 中島義道,小浜逸郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2013/07/10メディア: 文庫この商品を含むブログを見る カントから離れてこれを言い換えますと、哲学するにはけっして一般人の言語感覚を失ってはいけないということです。物理学者なら、時間を論ずるさいに物理量の変数としてのtから出発してもいいかもしれない。だが、哲学者たるもの、「時が流れる」とか「はやく夏休みが来ないかなあ!」という普通の言葉づかいを無視してはならない。時は決して「流れない」と私は思いますし、夏休みは絶対に「来ない」と思うのですが、それを誤りと断ずるだけでは十分ではない。われわれは、なぜこうした誤りに陥るのか? そういえば、流れる当のものは水なのだが、「川が流れる」と言う。この言い方は「時が流れる」という言い方のヒントを与えてくれるかもしれない。あるいは、夏休みが電車のように「来る

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    fktack 2015/05/13
    時は「流れない」夏休みは「来ない」私たちは過去しか観測できないからそうなのかなー、て思ったら言葉の話だった。
  • 認識の下地にしている五感と、比喩の下地にしている五感、のズレ - 世界は称賛に値する

    ▼▼聴覚中心/視覚中心/言語感覚中心/身体感覚中心、などの、ひとそれぞれ的な「認識の軸」の違いがあるのです、って話を見かけたことがある(視覚比喩)けれど、こういう「認識における素地」の話と、発語時における「比喩における素地」の話って、同じものようで結構違うのかな、ってふと思った。 ▼▼視覚中心の認識律を持っている人間だから、視覚中心の比喩を使いがちになる、というような判りやすい構図ではなさそうかも、って思えたのだった。 ▼▼聴覚的なものを中心なり下地なりにして世界を認識していることが多い、のに、言い回しになるとなぜか視覚中心/下地のものを多く使ってしまう、みたいなズレが、たまに起こってる気がする。というかむしろ、時々出来るこのような齟齬から出てくる楽しさというのがたまにある気がする、って嗅ぎ取った(嗅覚比喩)のであった。 ▼▼比喩的な言い回しは、実際の「じぶんの認識律」から出てきてるんじゃ

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    fktack 2015/05/04
    視覚中心聴覚中心て、右脳左脳みたいな位置付けでいい気がする。
  • 言い切れる事柄 - 世界は称賛に値する

    ▼▼素直に言い切ることを許せる事柄、と、正確性などを気にして言い切りたくないなと思ってしまいがちな事柄、を、多少整理してた。脳内の境界線間際にありそうなものを並び立ててた。▼▼至極最近になって、これまでとは別の視点から「言い切れる」ものを増やせないのかな?──増やせそうではないか? と考えられるようになったからだ。人様からたまに聞く「断言的に書いてよいところである」っていう説明の活かしどころが、改めて、これまでとは違う姿で、判りかけてきたおかげだ。前提や理路の噛み合ってなさが判り始めてきた。若干ズレた頑固になってたなと思えてきた。 ▼▼こういう種類の言葉は断言的に書いちゃっても別によいのでは?という判断を許せそうな理由が、ぜんぜん意識してなかった領域にあったっぽいなあ、と気づけてきた。 …… ▼▼言い切りで書いてよいと思える──末尾に「と思う」とか付けるのは蛇足──あるいは蛇足どころかむし

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    fktack 2015/04/15
    断定的に言うっていうのは、自らにくさびを打つような突き放すような、見方によっては無責任なような、無責任さをあてにしているような。
  • 日記はどこから始まる? - 世界は称賛に値する

    ▼▼頭の中を覗いて、昨日や今日──近況を振り返って、言葉にしようとし始めたら、もう日記は始まっている、というような風情がある。▼▼なんて意識があるせいで、日記に時間制限をかけよう、って思惑が毎回破綻し続けてきたのかもなー、とふと思った。 ▼▼デスクに向き合ったところ/エディタを起動したところ、あたりから計測を開始するのがよいのだと思うけど──時間の削減を目指すならなおさらよいはずだろうって思えるのだけど、まあでもなんか、実際は、違和も少し残る。前述してみた意識との齟齬がほんのり出てきてしまって、うまく腑に落とせてないまま動くことになる。って違和が、意図せぬ抵抗になってた気がしたのだった。 ▼▼日記の時間計測の話とは別の話題になっちゃう気がするけど──計測開始の起点をこのあたりに置いたりしたら意味判らなくなっちゃう気がするので別の話として語ったほうがよいと思うのだけど、記述において、最初の一

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    fktack
    fktack 2015/03/31
    私も最近「ブログはいつ書いている?」とか考えます。実際に文字を綴っている瞬間て、書き終わっている状態ではないか、とか思うのです。
  • 頭回ってない時のほうが瞬間風速的な満足度高めかも - 世界は称賛に値する

    ▼▼頭が回ってないと視野が狭くなる。見渡せる範囲が狭くなる。狭くなるせいで意外と気持ちのよい文章が書きやすくなったりもするな、と思った。与えられている世界が狭くなるおかげで余裕が出来て、チェック精度が上がって、視野内だけに限って言えばクオリティが高まりやすくなるのだろう。 ▼▼難点は、頭が回っている時に読み返したら──というか読み返す時は頭回ってる雰囲気になるので──あるいは、読み返している時を「頭が回っている」と表現していて、文章を書いている時の状況を「頭が回っていない」と表現しているだけなのでは、って気もしたけれど──むしろ、書いている最中に「読み返し脳」も同時起動できている時を「頭が回っていて、かつ、書けている」と呼んでるだけかもだけど──、いずれにせよ、視野が拡がってる時に読み直してしまうことで、視野外に実はあったチェック項目、のチェック漏れに気づいてしまって──書く時に気づけてい

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    fktack
    fktack 2015/02/19
    視野が360°だったら何も書けないと思う。人間の視野はそこまで広くはなりませんが。
  • 飛躍と補助線、と姑息 - 世界は称賛に値する

    ▼▼昨日の日記で書いた「これまでの複数の経験が一つに繋がってくれる軸や補助線が思い浮かぶ」という脳の動き(を表した言葉)と、普段から好んでる「突飛で奇抜な発想の飛躍」という脳の動き(を表した言葉)を、比較していた。対比できるかな? と思ったのだった。同じところに並置して比較するようなことが可能、ならば、見比べるべき要素はどこだろう、と思ったのだった。こちらよりこちらのほうがちょっと好きかな、くらいは言っちゃえるだろうか、と思った。 ▼▼これまでの複数の経験が一つに繋がってくれような軸や補助線が思い浮かぶ、っていう「脳の動き」は、突飛で奇抜な発想の飛躍、っていう「脳の動き」の範囲内に含まれるのでは? と思いついて、軽く納得もしてしまったので、対比的に見ようとする直観に対して、軽く駄目出ししてみた。違うじゃん、って叱ってみた。▼▼含まれないように見做せる環境設定も可能な気がするけど……、と、脳

    飛躍と補助線、と姑息 - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/02/17
    たぶん脳の中では突飛というのはなくて割と堅実なルートをとっていて、要は堅実なルートが端から見たら道なき道に見えてしまう、てことなのかも。端、には自分も含めて。
  • 一画面の文章量と、じぶんの理解一チャンク - 世界は称賛に値する

    ▼▼画面上の文字数と、認識や理解の一まとまり──一チャンクのおおきさ、って、関係しているのかなー、とふと思った。iPhoneで書きづらいとか思ってたのってこのあたりのせいなのかな、って思ったのだった。把握できる文章世界が狭くなるように感じる。目先の意味や論理しか見えなくなるような状況に陥りやすくなっている、ような。 ▼▼けどiPhone電子書籍小説を読んでても文章世界の把握が狭くなるー、って思ったことはなくない? って思って、思い直した。▼▼思い直してから、三つ思った。 1:画面上の文字数はフォントのおおきさの問題だろう。現状を省みてみたら、確かに読書アプリのフォントは結構小さくしていたのに、エディタアプリはまあまあなおおきさにしてしまっていた。だからまあここが問題なのでは? 改善できるのでは? エディタもフォント調整したら意外と書きやすくなっちゃうかも。 2:電子書籍アプリだと、小説

    一画面の文章量と、じぶんの理解一チャンク - 世界は称賛に値する
    fktack
    fktack 2015/01/28
    目は左右に並んでいるので、縦書きのテキストの場合読む前に単語が目に飛び込むそうです。画面が狭いと見通しが悪いのは、私も感じているところです。その分すぐ行が変わるので、たくさん書いている気になれます。