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公共性に関するflorentineのブックマーク (2)

  • 表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船

    ⇒世間様から公共圏へ - 地下生活者の手遊び 先のエントリを挑発的に書いた甲斐があったようで、議論が前に進みそうです。包括的な社会観の議論として、私とtikani_nemuru_Mさんの見解の相違点について確認していきたいと思います。 確かに各人が緊密に結びつけられて相互に影響がでかいところが「世間」の特徴のひとつにゃんが、それだけで「世間」となるわけではにゃー。 「世間」というのは、「個人の尊厳」がないところ これは基にして必須の論点のはずだにゃ。阿部謹也も「世間とは何か」で言っていたぞ。 仰る通りです。だから、そういうのを「東洋の土人部落」と言うのだと思いますが。佐藤亜紀氏も使用していた「世間様」という言葉を一連の議論で最初に使用したのはtikani_nemuru_Mさんだと思いますが、その典拠は阿部謹也の世間論だったのですか。ならば「東洋の土人部落」という話には必ずしもならないでし

    表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船
  • 「公共性」をめぐって(NULPTYX:石田英敬研究室)

    「公共性」をめぐって H. アーレント『人間の条件』、J. ハーバーマス『公共性の構造転換』、石川啄木『時代閉塞の現状』 1. 公共性とはなにか いま日政治状況のなかで、「公共性」は最も重要なイデオロギー的な争点になりつつある。「公共性とは何か」を正確に議論していくことは、「市民」と「社会」、「国民」と「国家」、「経済」と「市場」、「人間の権理」と「民主主義」、「政治」と「自治」、そして、「メディア」と「世論」など、私たちの生活の基的な価値の枠組みを、しっかりとした前提にもとづいて理性的に考えていくことにつながります。 (注:「権利」とは書かずに、私は、福沢諭吉にならって、英語の Rights や フランス語のdroitsのより正確な訳語として「権理」と書くことを提唱しています。「Rights」は決して「権力」の「利益(Interests)」のことではなく、「政治社会において

    florentine
    florentine 2009/11/16
    「英語の Rights や フランス語のdroitsのより正確な訳語「権理」」/「「Rights」は決して「権力」の「利益(Interests)」のことではなく、「政治社会において、当然そうあってしかるべき権能の理(ことわり)」だから」
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