以前書いた小文に、すこしだけ手を加えたものですが、データを整理している途中に偶然見つけたので、ここに(恥ずかしげもなく)晒しておきます。 - 鷗外森林太郎が「言文論」(明治二十三年四月)に、「読ませむために作れる文漸く盛になりもてゆく程に、言と文との懸隔生じて、言は必ず文に先立ちて進み、文は其後より追ひ行く如きさまとなれる」と記しているとおり、「言文一致体」というものは、原則的にはあり得ない。それはあくまでも、「読ませむために作れる文」にほかならないからだ。「文」を「言」に近づけたつもりでも、アクセントやイントネーションを表現することはできない。文字以外の――たとえば記号で、それらをいくら再現しようと努めても、声の質までをも再現することはやはりできまい、と、そこまで言ってしまえばもちろん不可能であるわけで、「原則的には」とことわったのは、そういうものを除外しなければ、という意味においてであ