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尾崎紅葉に関するflorentineのブックマーク (2)

  • 尾崎紅葉と言文一致の時代 - 黌門客

    以前書いた小文に、すこしだけ手を加えたものですが、データを整理している途中に偶然見つけたので、ここに(恥ずかしげもなく)晒しておきます。 - 鷗外森林太郎が「言文論」(明治二十三年四月)に、「読ませむために作れる文漸く盛になりもてゆく程に、言と文との懸隔生じて、言は必ず文に先立ちて進み、文は其後より追ひ行く如きさまとなれる」と記しているとおり、「言文一致体」というものは、原則的にはあり得ない。それはあくまでも、「読ませむために作れる文」にほかならないからだ。「文」を「言」に近づけたつもりでも、アクセントやイントネーションを表現することはできない。文字以外の――たとえば記号で、それらをいくら再現しようと努めても、声の質までをも再現することはやはりできまい、と、そこまで言ってしまえばもちろん不可能であるわけで、「原則的には」とことわったのは、そういうものを除外しなければ、という意味においてであ

    尾崎紅葉と言文一致の時代 - 黌門客
    florentine
    florentine 2009/11/07
    の「こがね丸」!! わたしが生まれて初めて読んだ文庫本。幼稚園生だったから漢字にひらがなふってもらってました(笑)。
  • 馬場孤蝶、尾崎紅葉に出会う - 蟹亭奇譚

    馬場孤蝶 『明治文壇の人々』(ウェッジ文庫) には、明治期に活躍した多くの作家、文学者と著者との出会いの模様が記されている。 まずは尾崎紅葉(1868-1903)との出会い。以下の引用部分に 「明治二十四年」 とあるが、当時馬場は数え二十三歳、明治学院を卒業したばかりの夏の出来事である。 時は明治二十四年の八月上旬、場所は相州の酒匂(さかは)の松濤園(しようたうゑん)に於てゞあつた。 親類の者が病気であつたので、その附添ひに行つて松濤園の離れの二階に泊つてゐた僕は、病人が昼寝のひまに、ゾラの『ナナ』の英訳を持つて、松濤園の母屋の庭の松の根方に腰をかけて、頁をめくり出したが、一寸(ちよつ)と一間位離れたところに二十六七位に見える、眼の鋭い、如何にもキリヽと引き締まつた顔だちの若い男が、跼(しや)がんで砂を握つては指の間から滾(こ)ぼし、又握つては滾しゝて、如何にも無聊(ぶれう)らしい風で居る

    馬場孤蝶、尾崎紅葉に出会う - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/10/26
    「いや、そうに決まっている」そうだそうだ☆
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