週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
今日、氷川竜介先生の講義でガンダムSF論争の話が出て、その人とマイミクになった。 その人のところに書いたコメントが、僕の悪い癖で長文になったので、ブログにプールします。 (初出:アニメック21号 1981年12月1日発行 宮武一貴) の話です。 あきまんさんもおっしゃってましたが、ガンダムはガンダムというジャンルだから、別にSFじゃなくてもいいと思います。 あと、ニュータイプやイデも絶対的なものではないということは、よく見れば分かります。が、それは80年代では分かりづらい視点だとも思います。 ニュータイプは、「ダイクンの思想(ギレンの政治の道具)」「超能力者」「人類の希望」という異なる意味を 富野らしい「ウソをつくキャラクター」(というか、そもそもキャラクター本人も事態を正確に述べない人間)たちが、 混同して使用している用語です。 ですから、絶対的ではありません。 追記(絶対的な希望という
先ほど紹介した富野インタビュー記事をなんとか日本語に訳してみた。 もう、それはヒィコラ言いながら。 途中意味のわからない部分があれば、それは富野の毒電波が強いからではなく、 オイラの英語力・日本語力双方の欠如によるものですのでご承知おきください。 というかできる人の修正求む。 まずはニューヨークへようこそ!そしてガンダム30周年おめでとうございます 富野:ありがとうございます もううんざりかもしれませんが、ガンダム30周年の感想から教えていただけますか 富野:年をとったなというのが正直な感想ですし、それについてはあまり嬉しくはないです。しかし、皆さんからお褒めの言葉をいただけることは嬉しいことですし、不満はありません。そんな複雑な気分です。 20周年のときには∀ガンダムを手がけられ、今回の30周年ではリング・オブ・ガンダム(以下ROG)を手がけられました。∀でやられたことから、今回の作品で
馬場孤蝶 『明治文壇の人々』(ウェッジ文庫) には、明治期に活躍した多くの作家、文学者と著者との出会いの模様が記されている。 まずは尾崎紅葉(1868-1903)との出会い。以下の引用部分に 「明治二十四年」 とあるが、当時馬場は数え二十三歳、明治学院を卒業したばかりの夏の出来事である。 時は明治二十四年の八月上旬、場所は相州の酒匂(さかは)の松濤園(しようたうゑん)に於てゞあつた。 親類の者が病気であつたので、その附添ひに行つて松濤園の離れの二階に泊つてゐた僕は、病人が昼寝のひまに、ゾラの『ナナ』の英訳を持つて、松濤園の母屋の庭の松の根方に腰をかけて、頁をめくり出したが、一寸(ちよつ)と一間位離れたところに二十六七位に見える、眼の鋭い、如何にもキリヽと引き締まつた顔だちの若い男が、跼(しや)がんで砂を握つては指の間から滾(こ)ぼし、又握つては滾しゝて、如何にも無聊(ぶれう)らしい風で居る
ラッダイト運動では主に織機が破壊の対象とされた ラッダイト運動(ラッダイトうんどう、イギリス英語: Luddite movement[1])、または機械うちこわし運動(きかいうちこわしうんどう)[2]は、1811年から1817年頃、イギリス中・北部の織物工業地帯に起こった機械破壊運動である。 産業革命に伴い低賃金、生産の効率化による低賃金、失職、技能職の地位低下などの影響を受けた労働者階級が使用者である資本家階級への抗議として工場の機械を破壊した[3][4]。 『ラッダイトたちの指導者』、1812年 ラッダイト運動は初期の段階では組織化された機械破壊運動であったが、後に殺人未遂を行うなど過激化していった[5]。 ラッダイト運動はイングランドのノッティンガムで始まり、1811年から1816年頃まで地域全体の大衆運動として続いた[6][3][4]。製粉所や工場の所有者は抗議者に発砲し、最終的に
サン=シモン伯爵クロード・アンリ・ド・ルヴロワ(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon、1760年10月17日 - 1825年5月19日[1])は、フランスの社会主義思想家。テクノクラートからは、テクノクラシー(科学主義的専制支配)の父としても知られている。 シャルルマーニュの血統を引くというフランスでも高位の貴族の末裔としてパリに生まれる。遠縁の親戚に『回想録』を著したサン=シモン公爵ルイ(英語版)(Louis de Rouvroy、duc de Saint-Simon、1675年 - 1755年)がいる。 宮廷人として必要な教育と軍事教練を経て、16歳でラファイエットの義勇軍の士官としてアメリカ独立戦争に参加し、合衆国の産業階級の勃興に感銘を受けている。既にその当時パナマ運河の建設計画を考案していることをみても、サン=シモンの関心が主と
我が家の布団乾燥機は、たいへんに働き者だ。十五年近く前に、三千円弱で買ったものが、未だに現役で大活躍中。冬場吹雪が続いたり、花粉症の季節だったり、梅雨で雨がしとしと降ったり、いろんな理由で布団を外に干せなくても、布団乾燥機があれば、いつでも布団はふんわりかんわり。快眠求道者としては、これはもはや生活必需品と言っても過言ではないであろう。 数年前の冬、友人宅に一週間弱滞在することにしたとき、布団乾燥機も貸してもらっていいかな、と、事前に所望してみた。友人は、「うちのどこかにあるはずなんだけど、もうずっと使ってなくて、今のマンションに引っ越してきたときに、どこに片付けたのかわからない。捨ててはないはずなんだけど、もしかしたら置く場所がなくて、夫の実家に置かせてもらう荷物の仲間に入れたのかも。」と説明してくれる。そういうことなら、と、布団乾燥機はそんなに高いものではないし、この冬何度か泊めてもら
サウジアラビアの首都リヤド(Riyadh)の街頭で、店の開店を待つ女性たち(2009年2月17日撮影)。(c)AFP 【10月25日 AFP】出演した男性が自分の性体験を赤裸々に告白したためにサウジアラビア当局が強制閉鎖した、レバノンに拠点があるサウジアラビア系テレビ局、レバノン放送(LBC)の女性ジャーナリストが、同局に勤めているという理由だけでむち打ち60回の刑を命じられた。 このジャーナリスト、ロザーナ・ヤミ(Rozana al-Yami)さん(22)本人が24日明らかにしたところによると、紅海沿岸ジッダ(Jeddah)の裁判所は、出演者の性的告白があった問題の番組について、ヤミさんにかけられていた直接的な関与の疑いはすべて却下した。 しかし、LBC放送のサウジアラビアでの業務に非常勤社員として関わっていたという理由で、ヤミさんに同裁判所はむち打ち60回の刑を命じた。裁判所は、LBC
エチオピア南部のサウス・オモ(South Omo)で、儀式の準備をするムルシ(Mursi)の人々(2009年5月7日撮影)。(c)AFP/Aaron MAASHO 【10月21日 AFP】タイ人には文化がなく、無類のセックス好き。アフリカ人は自己を破壊する傾向がある。ニカラグア人は嘘つきで暴力的でアルコール依存症――以上が、英国の一部の高級外交官たちが持った感想だ。 英国では、高級外交官が海外での任期を終えて帰国する際、その国に関する「詳細かつ率直な」評価報告書をロンドン(London)の外務連邦省に提出する慣習が06年まで続いていた。 非外交的とも言える文言が並ぶ同報告書は、同省幹部以外は目を通さない「極秘扱い」だが、英国放送協会(BBC)がこのほど、法律で定められた国立公文書の30年の保管期間が過ぎたもの以外にも、情報公開法により一部を入手。20日に始まった同局の新番組『Parting
キム・スタンリー・ロビンソン(Kim Stanley Robinson、1952年3月23日 - )は、アメリカ合衆国のSF作家であり、多くの賞を受賞した《火星三部作》で最もよく知られている。彼の作品は通常、生態学的で社会学的なテーマを掘り下げる。彼の小説の多くは自身の科学的興味の直接的結果のように思われる。彼の最も有名な作品も、15年にわたる研究と子供の頃からの火星に対する興味の結果と言えよう。 ロビンソンの作品を評論家は「文学的なSF小説」と分類する[1]。 経歴[編集] イリノイ州ウォキーガンで生まれ、南カリフォルニアで育った。1974年、彼は文学士としてカリフォルニア大学サンディエゴ校を卒業、1975年にボストン大学で英文学の修士号を得た。1982年にはカリフォルニア大学サンディエゴ校で英文学の博士号を得た。そのときの博士論文 The Novels of Philip K. Dic
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く