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2010年4月24日のブックマーク (14件)

  • スランプを脱する薬が欲しい - 備忘録の集積

    文学的守護霊 ここ二ヵ月間の執筆量が通例の半分を下回っている理由は、書きたいことがないためではなく、書きたいことが多すぎるからだ。夜空を流れる一筋の星は美しいが、満天の星の全てが銘々で思うままに飛び交い始めたならもはや収拾のつかない事態になる。ここのところは、それに悩まされている。書きたいことを一つ捕まえて綴っていくことでさえ難しいというのに、あれもこれも捕まえたいというどころではない。あれもこれも捕まえなければ表現として失敗する、というところで私は右往左往し、ある星は取り逃し、ある星には逃げられ、焦っては躓いて転倒し、両腕に抱えていたなけなしの星すらもどこかへ散ってしまった。言葉が網だとすれば、悪いのは唐突に降って湧いた大量の星なのだろうか、それとも荒っぽい目を持つ網目なのだろうか。ともかく私は今日も惨敗してここへ逃げてきたのだ。 一人称から非人称に語りを改めて書き始め、はじめの頃にあっ

    スランプを脱する薬が欲しい - 備忘録の集積
    florentine
    florentine 2010/04/24
    わかるワカルわかります~と首の骨折れそうにアチコチ深く頷きながら、でも、ムンクの『叫び』のごとく耳を塞ぎたくなったわたしナウw 書くひと、思索するひとへ、乾杯☆ ぼん・くらーじゅ!!!(自分にもw)
  • Japan Expo - ようこそ - Japan Expo Nihongo

    Japan Expo Nihongo - 公式サイト Japan Expo パリ /Japan Expo Sud マルセイユ / Japan Expo オルレアン

  • 名古屋地裁:点字訴状を受理 梅尾さん「障害者の励みに」 - 毎日jp(毎日新聞)

    名古屋市熱田区の視覚障害者、梅尾朱美さん(59)が2日、障害者自立支援法に基づく市の判定を不服として、点字の訴状を名古屋地裁に提出し、受理された。全日視覚障害者協議会(東京都)では「点字のみの訴状が受理されたのは初めて」と話している。 梅尾さんによると市は06年、梅尾さんの障害程度区分を審査に基づき、06年の審査では等級を「4」と判定したが、09年の審査では「1」に下げた。この3年間で福祉サービスの利用頻度が少なくなったことが理由になったという。梅尾さんは、この市の判定を不服として、弁護士などの代理人を立てずに提訴した。 訴状はB5判で10ページ。訴状提出後に記者会見した梅尾さんは「視覚障害者にも裁判が開かれた。視覚障害で訴訟を起こすことをあきらめていた人の励みになればうれしい」と語った。 民事訴訟法は、提訴の際に訴状の提出を規定しているが、点字についての明文規定はない。名古屋地裁は今後

  • ファクタリング 即曰入金お歓め

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    ファクタリング 即曰入金お歓め
    florentine
    florentine 2010/04/24
    id:fukuzowさん、ありがとうございます☆ オンラインですが(笑)、しかと受け取りましたv
  • なんと卑劣で愚かな私(はてこさんへの公開質問つき) - どうでもいいことかもしれない

    私はいわゆる「性的なファンタジー」というものを一切必要しない人間である。 だが、最近いろいろ言われている「表現規制問題」については個人的にいろいろ考えるところがあり、はてなを始めとするブログ界隈をうろついていた。 基的には私は「規制反対」の立場であるが、賛成派反対派のどちらの意見も興味深く読んだ。 また、「性的なファンタジー」に対して様々な見方があることも知った。賛成、反対関係なく、共感できる意見もあれば、理解できる意見もあったし、共感出来なくても理解出来る意見もあったり感想は様々だったけれど。 先程も述べたように、私は規制に反対の立場を取っている。 何故か?というのはもう、あまりにも単純でお答えするのも恥ずかしいくらいなのだが、やはり「表現の自由、思想や内心の自由を規制してはいけない」と思っているからである。 私にとって「性的なファンタジー」は全く必要としないものであるし、その表現、ま

    なんと卑劣で愚かな私(はてこさんへの公開質問つき) - どうでもいいことかもしれない
  • イケメンは女性に優しい。(非モテにまつわる抑圧の話) - どうでもいいことかもしれない

    バラエティー番組などでグラビアアイドルとかが、男性お笑い芸人に「キモイ」と言う。 そう珍しくもない光景である。私も何度か目にした。 一方イケメンタレントが、女性お笑い芸人に「キモイ(ブスとかでもいいけど)」とか言っているシーンはあまり見ない。少なくとも私は見た事が無い。イケメンタレントが女お笑い芸人に迫られても、ちょっと困った顔をしつつ優しく接する所しか見た事がない。 この差は一体なんだろう? 「女はいつも女という種として(性的な存在)として見做される」この様な言説はブログを読んだり、書いたりしている人なら誰しも(嫌という程)目にしてきたであろう。そしてこれは、おおむね事実である。*1 女として性的な視線に曝されるのは、なにも「若く美しい女」だけではない。 世間には様々な「性的な視線」が存在する。 例えば「人フェチ」や「熟女専」「デブ専」 これらはそれを専門とする風俗店が存在する程度には

    イケメンは女性に優しい。(非モテにまつわる抑圧の話) - どうでもいいことかもしれない
  • 追い詰めているのは誰だ? - どうでもいいことかもしれない

    http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2008/02/post_4d60.html なんという恐ろしい世界。 これがコミュニケーションなら私は一生コミュニケーションなんて出来なくていいと思った。気で。 そんな個人的感想はどうでもいいとして、こちらの記事ではこの「人格崇拝」と「予期的優しさ」がスクールカーストの問題と絡めて取り上げられている。 このスクールカーストの問題は前回の記事の「人間関係」の不条理さや、「努力でなんとかなる」という助言の無意味さを改めて考えさせてくれて、非常に興味深い(このカーストが社会にどのように持ち越されるかのか?と言う問題も含めて)。 で、スクールカースト上位層者が必ずしも人間性やコミュニケーション能力が優れている人ばかりではない事を踏まえて*1、「でもお前にはそういう魅力*2がないのだからせめてコミュニケーション能

    追い詰めているのは誰だ? - どうでもいいことかもしれない
  • 非モテよ、努力せよ! しからんずば… - どうでもいいことかもしれない

    久し振りの更新です。 前回の記事に書いた(とてつもなく前の事ですが)「『恋愛出来ない、したくない』という人は駄目人間である」という抑圧の事を考えていたら、こんなに時間が経ってしまった。 と言うのは嘘で、当は考えているうちにどうでもよくなってしまったのである*1。 結局の所、私の中には「恋愛したい」という欲求は見つからないし、周りからの抑圧というのも「関係ない人が何か言ってる」くらいで、軽くスルーできてしまうようなものだったのだ。 だからと言って、そうした抑圧は無いのか? というとそうではない。 上記はあくまでも「私の場合は」の話であり、それは私がアセクシャルで「他人にどう思われても別にいいや」と思える図太い神経の持ち主だったからというだけの話で、そうではない人「世の中からの『恋愛できないなんて…』というプレッシャー」を感じてしまう人は、確実に存在する。 しかし「恋愛ができないくらいで差別

    非モテよ、努力せよ! しからんずば… - どうでもいいことかもしれない
  • 神様に聞け、ということ - 素通りできなかった時のために

    テキトーなブコメをしてしまったのではないかと、今一度はてこはだいたい家にいるを読み返してみた。 コメント残そうか迷ったが、そこまでの内容なのかという逡巡があり、また返答いただいても、議論が深まるのかどうかも分からない。だから、ただ目を通していただければ、という気持ちで以下記す。 まず、「ファンタジー」という言葉が、やや曖昧で、それが上記ブログの不幸な結果につながっている。多くの人は、それを表現物として解釈してしまったきらいがある。夢物語は夢物語でも、おそらくもちのすけさんが当初言及したときの「ファンタジー」は、表出以前のもので表現物としては想定されておらず、近い言葉で言えば「妄想」なのだろう。 という前提にたって読み返してみると、少なくともはてこさんの苛立ちというか不安というか危惧というか、はよく分かる。 多分、ここに書かれているエピソードが重要なのだ。 つまり年上の内気な独身男性から雰囲

    神様に聞け、ということ - 素通りできなかった時のために
  • 今更ながらのミニスカート問題 - どうでもいいことかもしれない

    はてこさん(id:kutabirehatekoさん)から、ミニスカート問題についてお答え頂けた事をとても嬉しく思っている。 お答え頂いた事もさる事ながら、その内容が私の考えとほぼ同じであったから。 ミニスカート問題が浮上した時、私もいろいろ考えたのだけれど、反応が怖くて言えなかったのである。なんてチキンな私。 私も「ミニスカをはいていた女性が何らかの被害にあった時に責任を取るのは彼女自身だ」と考えるから。それは「彼女が悪い」という意味ではない。「加害者の罪が軽減される」とも思わない。 言うまでもない事だが、犯罪は憎むべき事であり「ダメ、絶対」である。 ただ、私は優しい人間ではないので「だからそんな格好はおやめなさい」とは言わない。好きな格好をすればいいのである。他人からどう思われようとも。 「自分の魅力を最大限に見せる」という基準も「寒いか暖かいか」という基準も「上品か下品か」という基準も

    今更ながらのミニスカート問題 - どうでもいいことかもしれない
  • イスラエルはいつまでもつのだろう - 一人でお茶を

    不謹慎かもしれない。今、心配すべきなのはパレスチナの人々のことだろう。でも、イスラエル、100年後にはどうなっているんだろうかと想像しないではいられない。なんでそうなるのかといえば、私はイスラエルとパレスチナに関してはたまに新聞で読んだ記事の断片くらいしか知識がないからなのだろうけど。 イスラエルに関してウェブ上で見つけた記事ではこんなのが印象に残ってる。 2003年6月、関曠野 アメリカの没落 (その三)の一節。イラク戦争であからさまになったアメリカ没落の兆候について述べられた文章、その最後の段落。 アメリカは常に自らを神に祝福された例外的な国とみなしてきた。そしてドル、ミサイル、石油のシステムの危機がアメリカの没落を加速化している今、この例外主義は国際社会の例外的なアウトローになるという選択へと発展した。この選択は当然国際社会の反発や白眼視を招く。だがそれだけに世界平和を執拗に撹乱しつ

    イスラエルはいつまでもつのだろう - 一人でお茶を
  • ララビアータ:『セヴィリアの理髪師』の新演出 - livedoor Blog(ブログ)

    久しぶりに、オペラの新演出について書こう。有名なロッシーニの『セヴィリアの理髪師』。パリ・バスティーユ、指揮はブルーノ・カンパネッラ、演出はコリーヌ・セロー。パリに旅行したおりに行くことになったのである。 それというのも、最近、兄がフランスからBlaise Pascal chairとかいう賞をもらって、ポリテクニ−クなどで仕事をすることになり、パリにもアパルトマンを構えたので、このさい重い腰を上げて訪問することにしたからである。 カンパネッラの序曲は、かなり自由なテムポでうんと甘ったるい味付けで始まる。幕が開くと、そこはセヴィリアどころか、まるでアフガニスタンの荒野のよう。砂漠の砂丘の陰から「アラブ風」の服装の楽師たちが現れ、アルマヴィーヴァ伯爵のセレナータの伴奏をする。アルマヴィーヴァ伯自体、アラビアンナイトに出てくる風体で、しかも頭はきれいにはげ上がっている。これが若い恋人役を演じるの

  • 普天間移設に関して絶賛妄想中 徳之島問題で出て来る批判、まとめ。(追記あり) - あんとに庵◆備忘録

    民主のなんだか判らん状況と、マスメディアの垂れ流しがあまりに酷くて混迷中な普天間問題。 話し合いも情報公開するぞと言うとこういうことになるわけだが「民意」が望んでいたことなので、政府は尚いっそう戦略の緻密さを、情報のコントロールも含め、慎重にならなきゃいかんだろうねぇと思う今日この頃である。 なんせ、ツイッターとか、ブログとか、大衆が即座に情報発信出来るんで、現地でどんなことが行われたか?ってのまで情報で流れるからな。それに加えて嘘やら都市伝説、陰謀論まで「情報」として流れ込んで来る。情報が大量な今の時代の方が情報弱者に陥りやすい。まだ決定していない事柄の先行情報、単なる噂、妄想が、区別なく情報として流れ込んでくるのは困ったものです。 普天間問題はまさにそんな状況下に置かれて混迷しています。 まぁ、流れ込んでくる情報を信じるならとにかく民主の不手際、民主案の沖縄との約束の破棄状態や、徳之島

    普天間移設に関して絶賛妄想中 徳之島問題で出て来る批判、まとめ。(追記あり) - あんとに庵◆備忘録
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

    florentine
    florentine 2010/04/24
    「私たちが自由に物を観察するということはとっても難しいということ。私たちは常にあるがままではなく、見たいように物事を観察する。」