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2015年5月17日のブックマーク (6件)

  • 太刀〈銘三条(名物三日月宗近)/〉 文化遺産オンライン

    宗近 東京都 平安 鎬造、庵棟、腰反り高く踏張り強く、小鋒。鍛は小板目約り、大肌交じり、地沸厚くつく。刃文は小乱れで小足入り、匂深く小沸よくつき、刃縁に反って半月形の打のけ風の模様が頻りにかかる。帽子は二重となり、先小丸ごころに掃きかける。茎は生ぶで、雉子股形となり、鑢目不詳、目釘孔二。佩裏の目釘孔中央に銘がある。 刃長80.0 反り2.7 元幅2.9 先幅1.4 鋒長2.1 (㎝) 1口 東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9 重文指定年月日:19330123 国宝指定年月日:19510609 登録年月日: 独立行政法人国立文化財機構 国宝・重要文化財(美術品) 三条銘については、古来宗近同人と伝え、その有銘確実の現存作は極めて少ない。太刀は、優れて美しい姿、肉置きにも湾刀としての最古の風韻を漂わせる。 室町時代以来「天下五剣」の一つに数えられ、刃文の形から三日月の号がある。 附

    太刀〈銘三条(名物三日月宗近)/〉 文化遺産オンライン
  • 【書評】書評家・西野智紀が読む『エディに別れを告げて』エドゥアール・ルイ著、高橋啓訳 社会の闇に迫る私小説(1/2ページ)

    エドゥアール・ルイという名は、筆名ではなく、著者の現在の名だ。改名前は、エディ・ベルグルといい、書の主人公の名前である。彼は、家族も故郷も自分の名前も、すべて捨て去らねばならなかった。書は、1992年生まれ、20歳を超えたばかりの若者が、過去の自分からの逃亡の顛末(てんまつ)を包み隠さず綴(つづ)った、衝撃の私小説である。 フランス北部、ピカルディ地方の工業地帯で育ったエディ・ベルグルは、生まれついて声や挙動が女性的で、趣味も女っぽいものに向いていた。そのため、中学では、顔に唾を吐きかけられたり、頭をレンガにぶつけられたりされるといった苛烈ないじめと暴力の標的にされてしまう。フランス語で同性愛者を嘲弄(ちょうろう)するときに使う「ペデ」という言葉を投げつけられながら。 エディの住む村は、男が強い権力を持ち、ワルであることが最善とされる封建的かつ閉鎖的な地域だ。女っぽい彼は、父親からも

    【書評】書評家・西野智紀が読む『エディに別れを告げて』エドゥアール・ルイ著、高橋啓訳 社会の闇に迫る私小説(1/2ページ)
  • 【画像あり】パプアニューギニアで発見された新種の「ザリガニ」が美しすぎるwwwww - アクアカタリスト

    まるでアメリカザリガニの写真に修正を加えて作り出されたフェイクにも見えるこの非常に鮮やかの体色のザリガニ。 しかし、実際に存在しているというのだ。しかも人工的な配偶によって作り出されたものではなく、自然界に生息する。 ドイツの研究者らによって研究され、ジャーナル誌のZooKeysに新種としてその論文が掲載されたこのザリガニ。インドネシア原産の鮮やかな体色が特長で学名は「Cherax pulcher 」と付けられた。"Pulcher" はラテン語で“美しい”を意味する 「この生物は私が今まで見てきたザリガニの中で最も美しかった。非常に印象的です。」 このザリガニの研究論文の主著者であるドイツ人生物学者Christian Lukhaup博士はこのように語る。 Lukhaup博士がこのザリガニを発見するに至ったきっかけは、ニューギニアでザリガニ収集をしていた友人から送られてきた画像であった。こ

    【画像あり】パプアニューギニアで発見された新種の「ザリガニ」が美しすぎるwwwww - アクアカタリスト
  • 株式会社いよぎん地域経済研究センター

    産業の近代化とともに、わが国の製造業はコストや効率を重視してきた。しかし一方で、長年にわたって伝統技術を受け継ぎ、次世代に伝 えてゆく「名工」達がいる。  今回から「愛媛の『名工』をたずねて」と題し、愛媛を代表する作家をたずね、制作工程や作品を紹介する。第1回は、和釘鍛造の鍛冶、白鷹幸伯氏である。 松山市堀江町にある白鷹さんの工房、「トン、トン、トン」と鉄を鍛えるハンマーの音が響く。  「うちは、田舎の鍛冶屋よ。何も大したことはしよらんかった」  白鷹さんの父親は、松山地方の野鍛冶。地鉄(じがね)に鋼をつけて鍛え、くわやなた、建築金物などの道具を製作していた。高校卒業後、一度は家業を手伝うものの、26歳で上京、日橋の刃物商「木屋」に勤めながら、弁護士を目指すため中央大学法学部の2部に入学した。  「鍛冶屋が嫌でたまらず、逃げるようにして東京に行った」と当時のことを振り返る。しかし、木屋在

    florentine
    florentine 2015/05/17
    和釘鍛造の鍛冶、白鷹幸伯氏 「千年の釘」
  • Microsoft Word - a0105-5法隆寺.doc

    florentine
    florentine 2015/05/17
    ―法隆寺に使われていた鉄釘―
  • 細川忠利 | 偉人伝 | 旅ムック.com 熊本

    肥後五十四万石の初代藩主として徳川幕府の黎明期を支える 細川忠利生没年 天正14年10月11日生誕(1586年11月21日)〜寛永18年3月17日没(1641年4月26日) 戦国の混乱期に精緻な政治感覚を発揮し、教養人としても重んじられた祖父・藤孝(幽斎)、父・忠興(三斎)を持った細川忠利。加藤家改易後の肥後をおさめ、外様としては異例の54万石の大大名家に登りつめた政治力は、明治維新まで続く基盤となった。 忠利は、忠興と明智光秀の娘・玉(ガラシャ)の三男として、天正14年(1586)に誕生。15歳から徳川家に人質に出され、徳川家康の嫡男・秀忠に仕えた。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの前である。「中納言殿(秀忠)のご出馬お供できるように願い出るがよい。もしお供が許されなければ、二里でも三里でも前へ前へと出て、着陣(宿泊)ごとに挨拶せよ」と父・忠興が手紙を送るように、徳川家への忠誠心の証と

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