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2015年5月18日のブックマーク (5件)

  • 米川琴翁(よねかわ きんおう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1883-1969 明治-昭和時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。 明治16年12月25日生まれ。米川正夫,米川文子の兄。米川敏子の父。姉米川暉寿(てるじゅ)にまなび,ついで斎藤芳之都(よしのいち)に,明治38年には上京して小出(こいで)といに師事。一時姫路でおしえたが,東京にもどって大正9年研箏会を創設した。昭和44年1月24日死去。85歳。岡山県出身。名は親敏。

    米川琴翁(よねかわ きんおう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    florentine
    florentine 2015/05/18
    米川正夫,米川文子の兄。米川敏子の父
  • 米川敏子 - Wikipedia

    米川 敏子(よねかわ としこ、1913年2月2日[1] - 2005年12月13日)は、生田流箏曲家。二代を数える。 1913年箏曲家・米川琴翁の娘として兵庫県姫路市に生まれる[2]。牛込高等女学校(現・豊島岡女子学園中学校・高等学校)卒業[1]。1942年日文化連盟コンクール1位となるなど、若い頃から高い評価を受けた[3]。芸術祭では奨励賞、優秀賞などを受賞。数多くの作曲も行った。父の死後家元となる。1996年、人間国宝[3]。2002年、日芸術院会員。2003年、文化功労者[4]。2005年12月13日、東京都港区で死去[5]。 米川の死後、2007年に次女で箏曲家の後藤裕枝が「米川敏子」を襲名した[6]。 弟の米川恭男(二代目米川親敏)も箏曲家。ロシア文学者の米川正夫、箏曲家の米川文子(初代)の姪にあたる。 出典[編集] ^ a b デジタル版 日人名大辞典+Plus ^ 日

  • 谷崎潤一郎 美味礼讃フルコース - 藍色手帖BLOG

    florentine
    florentine 2015/05/18
    素敵☆
  • 神奈川県立歴史博物館 中世東国の茶 - なにがし庵日記

    入口に入ると、二つの茶臼がお出迎え。 片方は南宋の唐物茶臼(野村美術館蔵)である。 鎌倉の茶は宋代の禅由来抹茶喫茶文化の伝播である。 そのキーアイテムが茶臼であり、展示ポスターを堂々と飾る一品である。 …けっして「ウッス!」という挨拶でないと信じたい。 鎌倉時代は供給元が寺で、権力者も分けてもらうという感じ。 室町に至るとぐっとカジュアルに民間でも楽しんでいる、というのが証拠立てて展示されている。 鎌倉時代の茶は、供給元が寺であり、しかも禅寺とは限らない。 禅の茶はそれなりに理性的だが、真言宗系はそうでもない。北斗法の供物とされるお茶は、完全に怪しいドラッグである。 称名寺蔵の「万事秘密集書」にある「茶の湯の作法」が非常に面白かった。 まず九字を切り、軍荼利明王呪を唱える。 「ナムアラタムナタラヤチモシセンダニカバサラフロタヤヲンンコロンノムシロ(略)」 現代のお茶の失ってしまった当の

    神奈川県立歴史博物館 中世東国の茶 - なにがし庵日記
    florentine
    florentine 2015/05/18
    わー、やっぱり面白そう。行く、絶対に行く!
  • Kyoto University Research Information Repository: 第1号

    【翻訳】ジョルダーノ・ブルーノ「キュレネの驢馬」 ブルーノ, ジョルダーノ; 岡, 源太 (2011-03-25) あいだ/生成, 1: 56-63