この書は大正七年の五月、二三の友人とともに奈良付近の古寺を見物したときの印象記である。大正八年に初版を出してから今年で二十八年目になる。その間、関東大震災のとき紙型をやき、翌十三年に新版を出した。当時すでに書きなおしたい希望もあったが、旅行当時の印象をあとから訂正するわけにも行かず、学問の書ではないということを標榜(ひょうぼう)して手を加えなかった。その後著者は京都に移り住み、曾遊(そうゆう)の地をたびたび訪れるにつれて、この書をはずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した。そのうち閑(ひま)を得てすっかり書きなおそうといく度か考えたことがある。しかしそういう閑を見いださないうちに著者はまた東京へ帰った。そうしてその数年後、たしか昭和十三四年のころに、この書が、再び組みなおすべき時機に達したとの通告をうけた。著者はその機会に改訂を決意し、筆を加うべき原稿を作製してもらった。旅行当時の印象
紀元前8世紀から紀元前1世紀にかけてイタリアで高度な文明を発展させたエトルリア人は、宴会や音楽、ぜいたくを愛し、しかしとても信心深かったと言われています。高度な文字文化を持っていたものの現在ではほとんど資料が残されておらず、どんな文化を築いていたかがわからないため「謎の文明」と言われることもあるエトルリアの言語が刻まれた石板が新たに発見され、謎を解明する手がかりになると見られています。 Text in lost language may reveal god or goddess worshipped by Etruscans at ancient temple | SMU Research http://blog.smu.edu/research/2016/03/28/text-in-lost-language-may-reveal-god-or-goddess-worshipped-b
北上の日本現代詩歌文学館へ塚本邦雄展を見に行きました。没後10年回顧展です。 塚本邦雄旧蔵書・旧蔵音源映像資料と本人直筆原稿・書簡ほか関連資料は死後散逸の危機を免れました。日本現代詩歌文学館に所蔵されているもののほか、ご子息の塚本靑史氏が保管している遺品も多数あるとのことです。今回の展示はこのなかから厳選された出展品を通して、塚本邦雄の人となりと作品世界をデビュー以前から晩年までの時系列に沿って同時代の文学史のなかでの位置に照らして紹介するものです。 コンパクトな展示ですが、じっくり見ると1時間半はかかります。限られた空間と出展点数のなかで塚本邦雄の魅力を余さず伝えるよい展示です。企画にあたられた関係者のみなさまそして学芸員のみなさまのご尽力にひたすら頭が下がります。 展示室中央のインスタレーションが出色です。緑色万華鏡光が床に投影され、その上に塚本邦雄の代表作を印刷した透明アクリル板の短
六年半のあいだにいくつかの雑誌に発表された作品が一冊にまとまると、長篇としての新しい姿を見せた。第二次大戦頃のフランスを生きたルーシェという未知の“詩人”の痕跡を、堀江さん自身を思わせる“私”が探し続ける物語だ。 「最初の一篇は独立した短篇として書きました。書き終えて、何か余るものが体の中にあり、次に短篇を書く機会があると、もう一度、それを咀嚼し直し、新たな一篇を書く。それを少しずつ積み重ねる。時間や空間もあちこち飛ぶので、それぞれがどうつながるか、六、七年書いているあいだに、こういうことなのかもしれない、と少しずつ自分にも見えてきました。それでも、まだ完全に終わってはいないような気がしています」 フランス留学中に古物市で手に入れた、古い絵はがきに書かれた詩を通して“私”はルーシェを知る。本職は会計検査官だったという彼の足跡をゆっくりとたどりながら、その周囲にいた人たちと、やりとりする中で
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