書評ないしは文芸時評が大きな力を持ち、新たな才能を誕生させたり、忘れさられようとしていた作家を復活させることがある。それどころか、新しい文学や思想が生まれるための助産婦の役割を果たすことがある。 いや、正確にはそうした時代がかつてあったというべきかもしれない。なぜなら、残念ながら、現在、書評や文芸時評がそのような大きな役割を演じているとはとうてい思えないからである。 新聞や雑誌には書評欄や文芸時評欄がいまでもあるが、それが多くの読者に読まれ、本を買うときの指標として使われているとは、正直なところ、 言い切ることができない。 つまり、現在という時代は、批評ジャーナリズムが本来の役割を果たしてはいないのである。 その原因は複雑で、一概にこれとは明示できないが、一つだけ確実に言えるのは、こと文芸に関していえば、批評性を有する作家が少なくなってきたことだろう。つまり、批評家としても才能を持つ作家が
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