タグ

2021年10月6日のブックマーク (8件)

  • 日めくりシャア専用その3「アルテイシアにしては」 - 玖足手帖-アニメブログ-

    前回に引き続いて第二話「ガンダム破壊命令」から。 サイド7に取り残された生存者を探していたセイラ・マス(アルテイシア・ソム・ダイクン)は壊れたガンキャノンの頭部の部品を撮影したり回収していたシャア・アズナブル(キャスバル・レム・ダイクン)と出会う。(スーパーナパームを使う前に、ガンダリウム合金でできているガンキャノンの装甲が凹んでいるのはおかしいのだが。第一話の絵コンテでも、ガンタンクの部品を運ぶトレーラーが破壊されてもガンタンクの部品自体は凹みもしないという指定があったのだが。まあ、ガンダムもセイラさんが乗った時にグフのヒートロッドで足とかを破壊されていたけど) セイラさんはシャアに向かって「お捨てなさい!」「ヘルメットを取ってください」と銃口を向けて丁寧に命令するのだが。 しかし、アルテイシアにしては、強すぎる。 シャアはひと目見て「に、似ている…」とセイラさんが妹であると直感する。ホ

    日めくりシャア専用その3「アルテイシアにしては」 - 玖足手帖-アニメブログ-
    florentine
    florentine 2021/10/06
    セイラさん、好きですね。ファーストガンダム好きなのは男も女も相手の思うとおりにならないしディスコミュニケーションがっつり描かれてるところ
  • 服部徹也連載「第6回 金之助 対 漱石――理論と創作のデッドヒート(前編)」『夏目漱石はどんな授業をしたのか?』

    受講ボイコットまで受けていた夏目先生は、シェイクスピア講義で一躍人気者に。同時進行していた「文学とは何か?」という根的な問いに取り組む「文学論」講義にも勢いがついてくる。だが、すべての文学を説明し尽くそうとする文学理論家夏目金之助の前に、やがて強力なライバルが出現するだろう。それは、すさまじい速筆で次々と話題作を生み出し、やがて夏目金之助を大学から立ち去らせてしまう小説家――もちろん夏目漱石である。二人がライバルであるとはどういうことだろうか。そして二人の理論と創作が演じるデッドヒートとは何のことだろうか。 今回は文学理論家夏目金之助と小説家夏目漱石の対決の伏線となる、シェイクスピア講義と「文学論」講義の交点に注目してみよう。 図1 漱石旧蔵書『マクベス』にはさまれていたメモのオモテ (東北大学附属図書館漱石文庫蔵) 図2 漱石旧蔵書『マクベス』にはさまれていたメモのウラ (東北大学附属

    服部徹也連載「第6回 金之助 対 漱石――理論と創作のデッドヒート(前編)」『夏目漱石はどんな授業をしたのか?』
    florentine
    florentine 2021/10/06
    “小説家夏目漱石の表現は、夏目金之助の文学理論ではいまだ説明のつかない領域へと、やがて足を踏み入れていく。”
  • 服部徹也連載「第4回 オバケの権利を擁護する」

    漱石が帝大在職中に唯一発表した学術論文は、「マクベスの幽霊に就〔つい〕て」(『帝国文学』1904・1)だった。いったいあの漱石がどうしてオバケについて論じているのだろうか。このことを辿っていくと、漱石の文学理論のアイディアの源に行き当たる。 漱石の論文は、英語圏のシェイクスピア研究にもとづき、上演史上の論点を取り上げたものだ。一見、他人の説を紹介しただけにもみえるが、実はそうとも言い切れない。「文学論」講義と同時期に行なわれた『マクベス』講読講義に端を発するこの論文からは、漱石が演劇論を参照しながら文学理論を作り出そうとしていた試行錯誤の一端をうかがうことができる。 『マクベス』講義とそのテクスト 連載第3回では、漱石のシェイクスピア講義が人気を集めていったことを紹介した。その第1弾が『マクベス』講義(1903年9月29日-1904年2月16日)だ。とはいえ、やはり英文科学生の目はきびしか

    服部徹也連載「第4回 オバケの権利を擁護する」
  • 服部徹也連載 第2回「漱石アンドロイドがまだ思い出せないこと」

    百年、私の墓の傍〔そば〕に坐つて待つてゐて下さい。屹度〔きっと〕逢ひに来ますから――『夢十夜』にそう書いた漱石は没後百年となる2016年12月、アンドロイドになって甦〔よみがえ〕った。二松学舎大学が大阪大学、朝日新聞社の協力のもと、漱石アンドロイドを作成し大学等で講義を行なわせるというプロジェクトだ。科学と文学とが協働したプロジェクトが、漱石没後100年の2016年、生誕150周年の2017年と続いたアニバーサリー・イヤーを盛り上げたのは興味深い。漱石もまたイギリス留学中に化学者池田菊苗との交流を通して、「学問をやるならコスモポリタンのものに限り候(略)僕も何か科学がやり度〔たく〕なつた」(1901年9月12日、寺田寅彦宛書簡)と感慨を漏らし、科学的な文学研究の方法論を探求した人であったからだ。 しかし、肝心の漱石アンドロイドの授業というのは、『心』や『夢十夜』などの作品の朗読を行うものだ

    服部徹也連載 第2回「漱石アンドロイドがまだ思い出せないこと」
    florentine
    florentine 2021/10/06
    “なぜ他国の文学を学ぶのか。それは、盲従的=奴隷的な模倣(servile imitation)のためではなく、独自の見解を打ち立て、自らの独創性を育てていくためだと漱石は説く。”
  • 服部徹也(大谷大学助教)「夏目漱石はどんな授業をしたのか? 受講ノートを探す旅」『夏目そうせきはどんな授業をしたのか』

    夏目さんの文学論や文学評論をよむたびに当時の聴講生を羨まずにはゐられない。 (1914年12月21日、井川恭宛 芥川龍之介書簡) 1914年、当時22歳の芥川龍之介は親友への書簡にそう記した。漱石の自宅へ毎週門下生が集う「木曜会」に、芥川が初めて参加する日の約1年前のことだ。東京帝国大学文科大学英文学科講師、夏目金之助(漱石)が行った講義にもとづく『文学論』(大倉書店、1907)と『文学評論』(春陽堂、1909)に、すでに相当親しんでいたことがわかる。漱石が去ったあとの英文学科に通っている芥川は、現教師陣への不満を漏らすとともに、漱石の講義に憧れた。 いったい、漱石の講義はどんなものだったのだろうか。その講義は、同時期に小説家としての夏目漱石が誕生することと、どのように関わっているのだろうか。私もまた『文学論』や『文学評論』を読み、漱石の講義を追体験してみたいと思った。それらの著作の元とな

    服部徹也(大谷大学助教)「夏目漱石はどんな授業をしたのか? 受講ノートを探す旅」『夏目そうせきはどんな授業をしたのか』
  • 服部徹也連載「第3回 受講ボイコットされる夏目先生を誰が救ったか」『夏目漱石はどんな授業をしたのか』

    連載第1回で簡単に紹介したとおり、夏目漱石の東京帝国大学での講義は逆風のなかで始まった。抗議のため、受講ボイコットや、所属学科の変更を行なった学生までいたほどだ。しかし、ほどなくして漱石の講義は「満員御礼」と言われるまでに、英文学科内外の学生達の支持を集めていく。一体どのように、夏目先生はピンチを切り抜けていったのだろうか。学生側からみた大学の雰囲気を、当時の学生の日記を通して味わってみよう。 図 1 1900年頃の東京帝国大学文科大学が入っていた校舎内観 (図の出典は末尾にまとめて記載) ヘルン先生の、夏目先生の、三四郎のいたキャンパス 学生にクロースアップする前に、キャンパスの様子を具体的に思い描いていきたい。まずは筆者の『はじまりの漱石』(新曜社、2019)のカバー・表紙の話から始めよう。カバー・表紙に用いた写真(図1)は、ゲーム「文豪とアルケミスト」をプレイしたことがある方には学校

    服部徹也連載「第3回 受講ボイコットされる夏目先生を誰が救ったか」『夏目漱石はどんな授業をしたのか』
  • 服部徹也連載「第5回 自宅で調査の旅をしよう」『夏目漱石はどんな授業をしたのか?』

    1901年11月6日付で、病床にある正岡子規(1867年10月14日-1902年9月19日、図1)はロンドンの漱石に宛てて次のような手紙を出した。 僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雑誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廃止。ソレダカラ御無沙汰シテマス。今夜ハフト思イツイテ特別ニ手紙ヲカク。イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カッタ。近来僕ヲ喜バセタ者ノ随一ダ。僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガッテ居タノハ君モ知ッテルダロー。夫〔ソレ〕ガ病人ニナッテシマッタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往〔イッ〕タヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ。若〔モ〕シ書ケルナラ僕ノ目ノ明〔ア〕イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ) 図 1 正岡子規 (国立国会図書館ウェブサイト「近代日人の肖像」より) 漱石は多くの身近な人を結核で失った。1887年

    服部徹也連載「第5回 自宅で調査の旅をしよう」『夏目漱石はどんな授業をしたのか?』
  • 地球の輝き、ここ数年で急に薄れた理由は? 米研究

    (CNN) 地球はかつてに比べると明るさが薄れ、ここ数年は目に見えて薄暗くなっている――。米ニュージャージー工科大学の研究チームが過去20年の観測に基づき、そんな研究結果を発表した。 研究チームはビッグベア太陽天文台の望遠鏡を使って過去20年の間、太陽の周期と雲の状態を毎晩観測し、月の暗い面が地球からの反射光を受けてその光を跳ね返す「地球照」と呼ばれる現象を観察してきた。地球照の量は夜ごと、季節ごとに変動する。 論文を発表したニュージャージー工科大学のフィリップ・グード氏によると、月の4分の3が欠けた状態の時でも丸い形が見えるのは、この4分の3の部分が地球照に照らされていることによる。 研究チームが20年にわたって観測を続けた結果、この地球照の明るさが薄れつつあることが分かった。 「実際には、地球から反射されているのは太陽光なので、それが薄暗くなっている」とグード氏は解説する。 地球が反射

    地球の輝き、ここ数年で急に薄れた理由は? 米研究