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服部徹也(大谷大学助教)「夏目漱石はどんな授業をしたのか? 受講ノートを探す旅」『夏目そうせきはどんな授業をしたのか』
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服部徹也(大谷大学助教)「夏目漱石はどんな授業をしたのか? 受講ノートを探す旅」『夏目そうせきはどんな授業をしたのか』
夏目さんの文学論や文学評論をよむたびに当時の聴講生を羨まずにはゐられない。 (1914年12月21日、井川... 夏目さんの文学論や文学評論をよむたびに当時の聴講生を羨まずにはゐられない。 (1914年12月21日、井川恭宛 芥川龍之介書簡) 1914年、当時22歳の芥川龍之介は親友への書簡にそう記した。漱石の自宅へ毎週門下生が集う「木曜会」に、芥川が初めて参加する日の約1年前のことだ。東京帝国大学文科大学英文学科講師、夏目金之助(漱石)が行った講義にもとづく『文学論』(大倉書店、1907)と『文学評論』(春陽堂、1909)に、すでに相当親しんでいたことがわかる。漱石が去ったあとの英文学科に通っている芥川は、現教師陣への不満を漏らすとともに、漱石の講義に憧れた。 いったい、漱石の講義はどんなものだったのだろうか。その講義は、同時期に小説家としての夏目漱石が誕生することと、どのように関わっているのだろうか。私もまた『文学論』や『文学評論』を読み、漱石の講義を追体験してみたいと思った。それらの著作の元とな