小説の巧拙を論ずるには篇中の人物がよく躍如としているか否(いな)かを見て、これを言えば概して間違いはない。 人物の躍如としているものは必ず傑作である。人物が躍如としていれば、その作は読後長く読者の心…
小説の巧拙を論ずるには篇中の人物がよく躍如としているか否(いな)かを見て、これを言えば概して間違いはない。 人物の躍如としているものは必ず傑作である。人物が躍如としていれば、その作は読後長く読者の心…
これを読むひとは、私が何を言っているのかわからないかもしれない。というより消すつもりで書いているので許してほしい。 どうにも書けなくて、苦しくて、身体中が痛みを訴えるので日がな一日ぼうっとしていたら、私の担当官ラファエルがやってきてパスワードを変更なさいと言った。私はそれに応じなかった。というか、めんどくさくてほうっておいた。 「序言――あるいは、削除されるかもしれない書き出し」を書いてから地球時間でどのくらい経ったのかわからない。少なくとも私はさいきん泣いてはいない。ただ起きていられなくて寝ている。いったん、この日記を記しはじめてから私はだいぶ恢復したはずが、いよいよとなったら書けなくなった。それでも、あの日からそれなりの月日が経ってしまっているのだと思う。たとえ、この〈繭〉のような空間で私のいう「時間」というものが過ぎいくものとして在るのではないとしても。 それにしても、書く、という行
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