その日は冷たい雨が降り、上野駅公園口を出てすぐの西洋美術館に行くあいだにも陽子の手指はかじかんでいた。絵画教室の場所は千代田線の千駄木駅からのほうが近かったが、陽子は通勤していたころの癖でJR常磐線を使ってしまう。両親の住む我孫子駅でいったん降りたせいもある。父はこの雨のなか犬の散歩にいったとかで不在だったが、母は手ぐすね引いて待っていた。 これ好きだったわよね、と陽子の好きな銘柄の紅茶を淹れてしばらく、耳が遠くなり物忘れの増えてきた父親の愚痴をとりとめもなく喋りつくし、三杯目を注ぐころには陽子の夫の不満がこぼれでた。 誠さんは滅多に見つからない好い旦那さんだと思ってたのに、という遠回しの非難より、孫が見たいと面と向かって言われたほうがはるかにずっとましだった。無神経なことをいう母が煩わしい。それなのに、さいきん陽子は母のいうことに従っていればまた違う人生があったかもしれないと考えるように