中近世住宅の畳敷き様について 宮澤尚歳 和室には畳が敷かれている。畳は何処の家にもある身近な存在で殊に意識されることもない。現代の生活文化の変容は、住居に和室を必要としない傾向にある。しかし一方、文化財建造物の多くに畳は敷かれている。 畳は古代からあり、絵巻物にも畳は描かれる。それは置敷きか追回しの敷き方であり、畳の敷詰めは、応仁の乱後の書院造りの成立と共に発達したとされる。長方形で二対一の辺長をもつ畳は、多くの組み合わせを可能とし、その敷き方は礼法家によって雛形本を生み、畳敷きの普及を促したとされる。その畳の敷き方の形とはどの様なものであるか、本論では書院造りの遺構から畳敷きの実態を調べ、資史料を検討し、そこから畳敷きの形について考察した。 第一章では、畳敷きに関する先行研究を検討した。内藤昌氏の「畳割」、岡本真理子氏の「畳敷様雛形」、平井聖氏の「日本の近世住宅」の三論考があり、そ
『享保名物帳』と名刀伝説への一考察― 村岡直美 『享保名物帳』は徳川八代将軍吉宗(1684〜1751)が本阿弥家十三代当主光忠(生没年不詳)に命じ、世評に高い太刀、刀の248振りを刀の特色、銘や由来などから、代付けして編纂させたものである。『享保名物帳』の原本は存在せず、写本と転写本が残っている。『享保名物帳』の写本には本阿弥家から徳川吉宗に提出したものを原本とする『名物鑑』と本阿弥家の控え帳を原本とする『古刀名物帳』がある。 『享保名物帳』に関する先行論文に、渡邊妙子「名物・名刀の銘が語るもの」がある。渡邊論文では『享保名物帳』がなぜ、藤四郎、正宗、江の三工を名工として評価したのかを考察し、三作は本阿弥光忠の観点ではなく、本阿弥光徳の鋭い観点と美意識によって名工を評価したのではないかと結論づけている。中でも藤四郎の評価が最も高い理由として、南北朝以来、作品が一定して、しかも遺作が多い
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