細川忠興の晩年とその後の八代 ● 忠興の晩年・その1 元和2年(1616)豊前小倉生まれの本寿院養清教円(杉本院)という当山派の山伏が、豊前中津城から肥後八代城へと移られた三斎公にしたがって肥後に移り住み、三斎公の死の18年後、切腹後蘇生し、時の八代城主長岡(松井)佐渡寄之を90日間呪詛して死にます。現在は八代市荒神町に権現堂として、また芦北郡芦北町に西龍神社として祀られています。 八代市袋町にある現在の医王寺は、当初は長丁にあって、三斎公が城の祈祷寺として本寿院に再建させて、その住職にしたところでしたが、杉本院(本寿院)の切腹後、時の城主長岡寄之から没収破却され、杉本院の死の二年後、寄之夫人によって現在地に再建されたものです。 現在の医王寺本堂には、長岡家(松井家)代々の位牌の前に、杉本院の位牌が置かれています。またその棟札には養清坊の怨念消滅の文字が刻まれています。(棟札写真後掲) 晩