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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (2)

  • トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」用メモ - shinichiroinaba's blog

    昨日24日の「現代経済思想研究会・特別セミナー 稲葉振一郎・田中秀臣・山形浩生・トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」」は盛会のうちに無事終了いたしました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。 当日のレポはtwitterをもとに前田敦司さんがこちらにおまとめになっていらっしゃいます。また田中さんの感想兼問題提起はこちらです。 いかにペーストするのはぼくが事前に自分用に作った覚え書きです。私的メモですからいい加減です。読み上げ原稿ではありません。実際の会ではここでの論点の半分くらいしか出せていません。 ===================================== 山形浩生の芸術論を少し敷衍してみよう。 山形によれば、芸術の主たる機能は、人間の認知能力の「別の使い方」を開示・例示してみせるところにある(「アート・カウンターパンチ」)。 ここで

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  • とりいぞぎ栗本薫「ぼくら」三部作について - shinichiroinaba's blog

    『時代』『気持』は風俗小説として読むことができる。ことに『気持』は「オタク」という言葉もまたおそらくは「やおい」という言葉もなかった頃、もっとも早期におけるコミケ周辺の状況を描いたものとして注目に値する。『世界』は、まあ、なかったことにしたい。『大いなる助走』のあとでこういうものを書くのは大変だ。 さて、すでにあちこちで指摘されたとおり、この連作は庄司薫の四部作にはっきりと呼応している。 ことに『時代』はあからさまに庄司第4作『青髭』を継承する。『青髭』ラストでの妊娠した少女の だって、人間が好き勝手に生きるってことは、頭がよかったり力があったり才能があったりする人だけに許される贅沢なんでしょう? そうじゃない人は、周りの言うことをよく聞いておとなしくしている他ないんでしょう? 人間はみんな同じだなんてうそで、自由に生きる資格のある力のある人と、一所懸命おとなしくしていてそれでやっと生きて

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